↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生きる、何が、あっても  作者: 虹の箸
第1章 始まりの3人

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/44

実戦2

 王都の大本営、参謀本部会議室。

 重厚なマホガニーの円卓に、前線司令部から急馬で届けられた一通の報告書が叩きつけられた。

「……信じられん。三方を完全に包囲され、兵力差は一対十以上。にもかかわらず、味方の損害は皆無。対して敵主力部隊は『突撃の瞬間にピンポイントで爆薬の密集地帯へ誘い込まれ』完全殲滅だと?」

 白髪交じりの老将軍が、葉巻を持つ手を震わせながら報告書を読み上げた。周囲を囲む高級将校たちも一様に息を呑み、沈黙している。


 奇跡という言葉すら生ぬるい。これは単なる戦果の報告ではなく、一枚の芸術的な『殺戮の証明書』だった。


「報告を上げた前線指揮官によれば、すべてはその小隊を率いていた新任の少尉……ルキウスの単独指揮によるものだそうです。彼は意図的に右翼の防衛線を放棄し、自軍の命を『逃げられない餌』として盤面に晒すことで、敵指揮官の心理を完全に操作し、死地へ誘導したと」

「自軍の命すらも、計算式の歯車として使い潰したというのか……。士官学校を出たばかりの、わずか十代の青二才が」


 報告書の余白に記された戦術図解は、あまりにも整然としており、人間味というものが一切排除されていた。味方の恐怖、敵の焦燥、天候、地形、そのすべてが数学の数式のように組み上げられ、たった一つの()へと収束している。


 将軍は葉巻を灰皿に押し付けると、低く唸るように命じた。

「このルキウスという少尉を、ただちに王都へ呼び戻せ。……最前線の泥の中に放置していい頭脳ではない。この異常なまでの冷徹さと戦術眼、我が国の心臓部(参謀本部)で飼い慣らす」

     

 奇跡の殲滅戦から数日後。

『腐肉の塹壕』と呼ばれた最前線は、不気味なほどの静寂に包まれていた。

 敵の主力が消滅したことで、包囲網は完全に瓦解した。生き残った兵士たちは泥水をすすりながらも命拾いしたことに安堵し、本来ならば自分たちを救った若き少尉を英雄として胴上げしてもおかしくない状況だった。


 だが、ルキウスの野戦テントの周囲には、誰一人として近づこうとする者はいなかった。

 歴戦の軍曹をはじめ、部下たちの瞳に宿っているのは、感謝や尊敬ではない。純粋な『恐怖』だった。


 彼らは理解してしまったのだ。あの瞬間、もし敵の突撃が数秒でも遅れていれば、自分たちは背後から撃たれ、起爆した爆薬ごと吹き飛んでいた。若き少尉は、自分たちの命運をサイコロのように転がし、表情一つ変えずに爆破のスイッチを押したのだと。


 自分たちは人間として扱われたのではない。チェス盤の上で都合よく配置された、ただの『囮のポーン(歩兵)』だったのだ。


「少尉殿。……王都より、伝令が参りました」

 おずおずとテントに入ってきた軍曹の言葉に、ルキウスは手元の書類から顔を上げた。


 彼の軍服には、まだ数日前の戦闘で浴びた返り血と、硝煙の匂いが色濃く染み付いている。泥に塗れた野戦テントには不釣り合いな、豪奢な軍馬に乗った王都の伝令使が、ハンカチで鼻を覆いながら分厚い封筒を差し出した。


「ルキウス少尉。大本営より、貴官の異動を命ずる辞令である」

「ご苦労様です」

 ルキウスは恭しく封筒を受け取ると、封蝋をペーパーナイフで静かに切り裂いた。


 中に入っていたのは、特例中の特例とも言える栄転の辞令。国家の軍事、防衛、そして戦略のすべてを策定し動かす最高中枢機関――『参謀本部作戦課』への配属命令だった。

 それは、並の軍人であれば一生かかっても手の届かない、輝かしいエリートコースへの切符である。


 だが、辞令に目を通したルキウスの顔には、微かな笑みすら浮かばなかった。

(第一段階終了。……予定通りだ)


 彼にとってこの栄転は、自ら計算し、自ら確定させた『当然の事象』に過ぎなかった。


 ルキウスは最低限の荷物だけをトランクに詰めると、振り返ることなく野戦テントを後にした。

 テントの外では、生き残った小隊の部下たちが整列していた。誰の口からも別れの言葉や祝辞は出ない。ただ、得体の知れない怪物を見送るように、引き攣った顔で無言の敬礼を捧げている。


 ルキウスもまた、彼らに労いの言葉をかけることはなかった。

 使い終わったチェスの駒に話しかけるプレイヤーはいない。彼の視線はすでに、この泥濘の塹壕の先――国家という巨大な盤面を動かす王都へと向けられていた。

 迎えの馬車に乗り込むべく、ルキウスは泥に塗れた軍靴でステップを踏み鳴らした。


 王国軍の中枢、そしてやがて国家のすべてを意のままに操り、最悪の崩壊へと導く『宰相』へと至る、血塗られた権力の階段。その恐るべき第一歩を、若き怪物はただ冷徹に踏み出したのだった。


お読みいただきありがとうございました。

もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。