第三章 第16話 「流れ込むもの(山の縁)」
伏見は、音が増えていた。
朝から、荷の音が止まらない。
木が鳴る。
水が鳴る。
人が呼ぶ。
「こっちや、急げ!」
「次の船、もう出るで!」
「仕分け終わっとるか!」
声が重なり、渦になる。
弥七が笑う。
「ほんまに来よったな。」
目の前を、荷が流れる。
酒樽。
布。
干し魚。
そして――
正水紅。
お葉が、素早く人を振り分ける。
「その荷は右や!」
「菓子はこっち、崩すなや!」
迷いはない。動きは速い。
幸が帳面を見ながら言う。
「増えています。」
清継が問う。
「どれぐらいや。」
幸は答える。
「三倍……いえ、四倍に近い。」
弥七が口笛を吹く。
「そら詰まるわ。」
だが――詰まっていない。
荷は分かれ、流れ、また繋がる。
止まらない。
源蔵が樽を見ている。
「ええ音や。」
コン、と叩く。澄んだ音。
伊平じいさんが頷く。
「吉野や。」
「間に合うとる。」
一拍。
じいさんは別の樽に手を当てる。
木目を撫で、鼻を近づける。
「……せやけどな。」
皆の視線が向く。
「貴船や鞍馬のミズナラも、ええかもしれんな。」
弥七が、わずかに目を細めた。
「……鞍馬、か。」
清継が気づく。
「知っとるんか。」
弥七は肩をすくめる。
「昔、ちょっとな。」
お葉がにやりとする。
「“ちょっと”で済む顔やないで。」
弥七は苦笑する。
「山は、貸し借りが残るんや。」
一拍。
「まだ返してへんもんがある。」
清継が静かに言う。
「使えるか。」
弥七は少し考え――頷く。
「話は通る。」
幸が口を開く。
「鞍馬衆……山の道と、水の上流を押さえています。」
「京に入る前の流れ、ですね。」
弥七が続ける。
「せや。」
「北山から下ろす荷は、あいつらの目ぇ通る。」
一拍。
「逆に言えば――」
お葉が言う。
「通してもらえる、か。」
弥七は笑う。
「顔が利けばな。」
伊平じいさんが言う。
「ええ木ぃは、山から来る。」
「人もや。」
沈黙。
清継は短く言った。
「繋げ。」
弥七が頷く。
「任せとけ。」
その声は、軽い。だが――
どこか懐かしさが混じっていた。
場面が変わる。
夕暮れ。伏見の外れ。
山へ向かう道。弥七が一人、歩く。
風が変わる。空気が冷える。
「……久しぶりやな。」
小さく呟く。
木々の間に、気配。姿は見えない。
だが――
確実に“見られている”。
弥七は立ち止まらない。そのまま言う。
「借り、返しに来た。」
沈黙。
風が鳴る。そして――
上から声が落ちる。
「遅いわ。」
弥七が、わずかに笑う。
「生きとったか。」
枝が揺れる。人影が、音もなく降りる。
顔は半分、影の中。
「お前もな。」
一拍。
「何しに来た。」
弥七は答える。
「流れを、通したい。」
沈黙。
男は、しばらく弥七を見ていたが――やがて言う。
「……面白そうやな。」
一歩、近づく。
「誰の流れや。」
弥七は、迷わず言う。
「伏見や。」
風が止む。男の目が、わずかに変わる。
「……都に喧嘩売るんか。」
弥七は笑う。
「流れが、そうさせる。」
沈黙。
そして――男は、小さく頷いた。
「ええ。」
一拍。
「通したる。」
弥七が息を吐く。
「助かる。」
男は背を向ける。
「ただし――」
振り返らずに言う。
「山は、見とるで。」
弥七が答える。
「上等や。」
その背中に、気配が増える。
一人ではない。
弥七は振り向かない。
ただ――歩き出す。伏見へ。
流れは、さらに広がる。
山と水が、繋がった。
だが――
それは同時に、見えぬ目が増えたことでもあった。




