第三章 第12話 「樽の声」
京と伏見を結ぶ道に、変化が出始めていた。
「止まれ。」
検問である。
荷は開けられ、細かく調べられる。
「関銭だ。」
「規定が変わった。」
商人たちの顔に、苛立ちと不安が混じる。
「またか……」
「流れ、止まるでこれ……」
その噂は、すぐに伏見へ届いた。
弥七が舌打ちする。
「来たな。」
縁も頷く。
「締め付けや。」
清継は静かに言う。
「試しに来とる。」
その頃、伏見の蔵では――一人の老人が、樽の前に立っていた。
伊平じいさんである。
「……軽いな。」
樽を撫でる。木目を指でなぞる。
「これは、吉野や。」
源蔵が頷く。
「分かるか。」
じいさんは鼻で笑う。
「分からんようでは話にならん。」
弥七が覗き込む。
「何が違うんや。」
伊平じいさんは言う。
「締まりや。」
樽を軽く叩く。コン、と澄んだ音。
「吉野杉はな、目が細かい。」
「水を抱くが、溜めすぎん。」
源蔵が続ける。
「せやから、酒が濁らん。」
じいさんは頷く。
「伏水と相性がええ。」
清継が問う。
「どこから。」
縁が答える。
「吉野で樽丸にする。」
「大和川で下ろして――」
「淀川の流れに乗せる。」
弥七が続ける。
「最後は陸で伏見へ、か。」
清継は頷く。
「流れは繋がっとる。」
伊平じいさんは言う。
「せやけどな――」
一拍。
「途中で止められたら、全部死ぬ。」
その言葉に、場が静まる。
検問。関銭。
流れを断つ力。
清継は言う。
「止めさせん。」
弥七が笑う。
「どうやって。」
清継は短く答える。
「緩める。」
その夜。検問所。
焚き火のそばで、兵たちが肩を落としていた。
「疲れるな……」
「荷ばっかりや……」
そこへ、一人の商人が近づく。
弥七だった。
「おつかれさん。」
軽く声をかける。
兵が顔を上げる。
「なんや。」
弥七は小さな壺を差し出した。
「これ、舐めてみ。」
「なんやこれ。」
「水飴や。」
兵が眉をひそめる。
「甘いだけやろ。」
弥七は笑う。
「ちゃう。」
「蜂蜜、混ぜてある。」
一人が試しに舐める。
沈黙。
そして、目が少し開く。
「……あまい。」
「やろ。」
弥七は続ける。
「湯に溶かして飲んでみ。」
「蜂蜜湯や。」
別の兵が笑う。
「なんやそれ。」
弥七は肩をすくめる。
「お偉方も飲むで。」
「疲れ、抜ける。」
半信半疑。
だが、疲れた身体には響く。
やがて、壺は兵たちの間を回る。
「……悪くないな。」
「温いのもええな。」
弥七は何も言わない。ただ、笑っている。
しばらくして。
「ほな、通ってええで。」
一人が手を振る。
「細かいのは、明日でええ。」
弥七は軽く頭を下げる。
「助かるわ。」
荷が、動く。止まらずに。
その頃、伏見。
伊平じいさんが、最後の樽を叩く。
コン、と響く。
「これや。」
清継が頷く。
「通す。」
じいさんは言う。
「木は嘘つかん。」
一拍。
「水もな。」
弥七が戻ってくる。
「通ったで。」
縁が笑う。
「緩めたな。」
清継は静かに言う。
「止めさせへん。」
場面は京。
宗歓が報告を受ける。
「検問は?」
「……機能しておりますが……」
一拍。
「完全には止まりません。」
宗歓の指が止まる。
「なぜ。」
「現場が、緩んでおります。」
沈黙。
宗歓は、ゆっくりと笑った。
「面白い。」
だがその目は、冷たい。
「人を使うか。」
小さく呟く。
「流れを操るには――」
「まず、人の弱いところから、か。」
その言葉は、弥七のやり方と似ていた。
だが――向いている方向が違う。
伏見の風が吹く。
流れは止まらない。
だが、その裏で――
同じ“人”を使う者同士の戦いが、静かに深まっていた。




