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【“冥界の番犬 ケルベロス”が出現しました】
【制限時間内に対象モンスターを討伐してください】
視界の中央に青白い光が集まり、半透明のウィンドウが表示された。
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討伐ミッション
冥界の番犬 ケルベロスの討伐
難易度 ☆☆☆☆☆
制限時間 60:00
クリア報酬
「スキルレベル上昇ポイント」
「天命簒奪の輪」
失敗ペナルティ
「プレイヤーレベル減少」
「星命値の低下」
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残り時間は、二分三十七秒。
俺の体力は一割を切り、回復薬もすでに使い果たしていた。
目の前では、三つの頭を持つ巨大な黒犬が低い唸り声を響かせている。
ケルベロスの全身を覆う黒い毛は炎のように揺らめき、その隙間から赤黒い光が漏れていた。
三つの口から吐き出される息は、周囲の草木を一瞬で腐らせていく。
まともに食らえば、今の俺では耐えられない。
「これで……最後だ」
腰を落とし、鞘から剣を引き抜く。
銀色の刃が月明かりを反射し、冷たい輝きを放った。
ケルベロスの中央の頭が咆哮する。
次の瞬間、巨体が地面を蹴った。
大地が揺れ、黒い影が視界を覆う。
俺は地面を蹴り、突進を紙一重でかわした。
鋭い爪が頬をかすめ、赤い雫が宙を舞う。
痛みを感じている暇はない。
すれ違いざまに剣を振り抜き、ケルベロスの脇腹を切り裂く。
赤黒い血が噴き出した。
しかし、浅い。
ケルベロスは地面を削りながら無理やり身体を反転させ、右の頭が炎を、左の頭が黒い霧を吐き出した。
逃げ道を塞ぐように、二つの攻撃が迫ってくる。
俺は正面へ走った。
炎と霧のわずかな隙間を抜け、ケルベロスの懐へ潜り込む。
【スキル《ブリンク》を発動します】
身体が一瞬だけ光へと変わった。
視界が銀色に染まり、次の瞬間にはケルベロスの背後へ回り込んでいた。
狙うのは、三つの頭を支える首の付け根。
これまでの戦闘で何度も攻撃を重ね、ようやく黒い毛と皮膚を切り開いた場所だ。
残っている力のすべてを両腕へ集める。
「終わりだ!」
全力で剣を振り下ろした。
銀色の刃が傷口へ深く食い込み、骨を断つ。
ケルベロスの三つの頭が、同時に苦悶の咆哮を上げた。
巨体が大きく傾き、地響きを立てて倒れる。
しばらく足を痙攣させたあと、ケルベロスは短い断末魔を残し、青白い粒子となって消滅した。
静寂が戻る。
俺は荒い呼吸を繰り返しながら、その場に剣を突き立てた。
【”冥界の番犬 ケルベロス”を討伐しました】
【討伐ミッションをクリアしました】
【クリア報酬を精算します】
【大量の経験値を獲得しました】
【レベルが上昇しました】
【Lv.85になりました】
次々と表示される通知を眺めながら、俺は小さく息を吐いた。
だが、通知はそれだけでは終わらなかった。
【あなたの行動により、天界と冥界の均衡が揺らぎました】
「……均衡?」
ただの討伐クエストで表示されるような文章ではない。
俺が目を細めると、さらに新しいメッセージが現れた。
【星座『万の遠吠えに応える星』が、あなたに称賛を送っています】
【星命値が少し上昇しました】
【称号《偏衡者》を獲得しました】
偏衡者。
均衡を一方へ傾けた者、という意味だろうか。
称号の詳細を確認しようと指を伸ばしたが、ウィンドウには何も表示されなかった。
「また非公開情報か……」
俺――朝倉レイは剣を鞘へ戻し、頭上を見上げた。
夜空には、数え切れないほどの星が輝いていた。
現実でも、これほど美しい星空を見たことはない。
いや。
今では「ゲームの中」という表現さえ、少し古いのかもしれない。
頬を撫でる夜風。
足元から漂う土と草の匂い。
剣を握ったときの重さと冷たさ。
戦闘によって速くなった心臓の鼓動。
そして、頬に残るわずかな痛み。
そのすべてが、現実とほとんど変わらなかった。
世界初の完全感覚接続型VR機器。
その専用タイトルとして発売されたオンラインRPGは、サービス開始からわずか三年で世界最大のゲームとなった。
登録者数は二十億人を超え、ゲームに興味がない人間でさえ、その名前だけは知っている。
《アストラル》がここまで人気になった最大の理由は、現実と区別できない映像でも、圧倒的な自由度でもない。
プレイヤー一人ひとりに、異なる物語が用意されることだった。
このゲームには、決められた攻略法が存在しない。
複数のシナリオ生成AIが、プレイヤーの行動や性格、過去の選択を分析し、その場で新たなクエストを作り出す。
敵を倒し続ける者には、戦いの物語が。
困っている人々を助ける者には、救済の物語が。
他人を騙し、利用する者には、裏切りと謀略の物語が。
同じ場所を訪れ、同じ人物に話しかけたとしても、同じ物語を体験できるとは限らない。
俺が現在進めているのは、《星座を夢見る獣の旅路》という長期シナリオだ。
《アストラル》には、“星座”と呼ばれる存在がいる。
プレイヤーたちの物語を空の彼方から観測する、圧倒的な上位存在。
星座はそれぞれ異なる伝承や力を持ち、気に入ったプレイヤーに称賛や祝福を与える。
そして、ごくまれに契約を持ちかけることがある。
星座と契約したプレイヤーは、その星座の化身となる。
化身となれば、人間の領域を超えた力を行使できるようになり、一般のプレイヤーでは立ち入ることすらできない上位シナリオへの参加が許される。
当然、星座に関係するシナリオは非常に貴重だ。
世界中のプレイヤーが化身になる方法を探しているが、確実な条件はいまだ発見されていない。
俺の進めている《星座を夢見る獣の旅路》も、名前からして星座に関係しているはずだった。
しかし、これまでに起きたことといえば、特定の行動を取った際に星座から反応が送られてくる程度。
契約どころか、星座と直接会話したことすらない。
今回のケルベロス討伐も、攻略サイトには存在しない完全な個人シナリオだった。
それでも、これまでとは違う点がある。
【あなたの行動により、天界と冥界の均衡が揺らぎました】
あの通知だ。
ただモンスターを一体倒しただけで、世界の均衡が変化するとは思えない。
もしかすると、今回のクエストには、俺の知らない別の意味があったのかもしれない。
そう考えていると、新たなウィンドウが現れた。
【長時間の接続を確認しました】
【健康維持のため、現実世界への帰還を推奨します】
視界の隅に表示された時刻は、午前二時十三分。
明日は学校がある。
正確には、もう今日だ。
「あと少しだけ進めたいけど……」
ここで続きを始めれば、確実に寝坊する。
ただでさえ、最近は朝のホームルームに間に合わないことが増えていた。
さすがにこれ以上はまずい。
俺は名残惜しさを振り払うように口を開いた。
「ログアウト」
言葉に反応し、目の前にメニュー画面が開く。
【ゲームを終了しますか?】
俺は迷わず【YES】を選択した。
握っていた剣の感触が消える。
頬を撫でていた風も、足元の土の硬さも、少しずつ遠ざかっていく。
夜空に輝いていた無数の星が線となって流れ、世界が青白い光へ溶けていった。
やがて、視界が完全な暗闇に包まれる。
接続が解除される際に感じる、身体だけが宙へ投げ出されたような浮遊感。
次の瞬間。
俺は自分のベッドの上で目を開けた。
見慣れた白い天井。
薄暗い部屋。
聞こえてくるのは、パソコンの冷却ファンとエアコンの音だけだった。
俺は頭に装着していた《リンク・クラウン》を外し、枕元へ置いた。
「さすがに疲れたな……」
身体を起こし、固まった肩を回す。
右腕が、妙に重かった。
長時間同じ姿勢で寝ていたからではない。
何時間も剣を振り続けたあとに感じるような、筋肉の奥へ沈み込む重い疲労。
「なんだ、これ……」
《リンク・クラウン》は脳へ電気信号を送り、ゲーム内の感覚を再現する機械だ。
ゲームの中でどれほど走ろうが、剣を振ろうが、現実の筋肉が疲労することはない。
少なくとも、今まではそうだった。
俺は右手を握りしめる。
指には、まだ剣の柄を握っているような感覚が残っていた。
気のせいだと思い、固まった体を伸ばす。
そのときだった。
指先に、何かが触れた。
空気ではない。
薄い膜のような、わずかな抵抗。
俺はその感覚を知っていた。
《アストラル》でメニュー画面を開くときの感触だ。
「……まさか」
半信半疑のまま、指先で空中を二度叩く。
その瞬間。
何もないはずの空間に、青白い線が走った。
光は四角形を描きながら広がり、一枚の半透明な画面を作り出す。
「……え?」
見間違えるはずがない。
何千回と目にしてきた、《アストラル》のシステムウィンドウ。
それが今、現実の俺の部屋に浮かんでいた。
そして、画面には見覚えのない文字が表示されていた。
【現実世界との同期が完了しました】
【メインシナリオを開始します】
【星々は、あなたの世界を観測しています】
【システムを最適化させます】




