第一話 転移①
今作こそは折れずに執筆しきる…予定。
「お待たせいたしましたぁ、特製よだれ鶏です!」
「生ビール一丁いただきました!」
「ありがとうございましたー!」
「つくねと砂肝ですね!すぐお持ちします!!」
都内某所。駅前の大通りから一本外れた路地、その更に奥地で一軒の居酒屋が賑わっていた。
今日は月曜日。週始めはどこの居酒屋も閑散としてるはずだが、「居酒屋 万」と書かれたその店だけは週末を彷彿とされるほどに客で溢れ返っていた。
都内で個人経営となると敷地は限られる。それでも万はカウンターが10席に4人がけのテーブル席が5つと10人席が2つほどと、程々の席数を確保していた。
キッチンには紅白の鉢巻を巻き、白衣に身を包んだ老齢の男性が1人、ホールには和服を纏ったこちらも老齢の女性が1人。そしてその両方を行き来する和服の男性が1人。見たところ30歳程だろうか。
キッチンに籠る無口な大将とは対照的にホールを回す女将は年齢を感じさせないほどに明るい。そんな個性的な2人に挟まれている男性は――ガタイが良い、と言うのが最初の印象だろう。際立ってこれという特徴は無いが、180cm程の身長は日本人の平均よりも大きい方だが、老齢の男女といるとさらに大きく見える。
この店がここまで繁盛しているのは大将の作る絶品料理と女将の接客によるものだ。年老いた2人に欠けた機動力を補い、陰ながら店を支えている男性だが、店の中の立場的には言わば”見習い”。個性的な2人に挟まれているせいで見た目に目が行きがちだが、キッチンとホールを卒なくこなし、超人気店を支えている彼の動きは同業者が見れば凄腕だと一目でわかる。
23時を過ぎ、いつものように店を締めている時。普段は黙々と作業を続ける大将が手を止め、カウンターに腰掛けた。
「…大介、少し話がある。」
大将が珍しく呼び掛けた為に大介と呼ばれた男性は一瞬目を見開くが、すぐに手を止めて大将の傍へ向かう。
「…掛けろ。」
その言葉と共に女性がスっと対象の横の席を引き、座面をポンポンと叩いた。
大介は女性に軽く頭を下げ、席に着く。
「…お前、ここで働き始めて何年目だ。」
「中学を出てすぐだったので…15年目ですかね。」
「…そんなに経つか。時間の流れとは早いものだ…。」
「そう、ですね。」
掴み所の無い話に、大介は大将が言葉を紡ぐのを待つ。大将は無口である分、話をするとなると要件だけ伝える事が殆どだったが、今日は何処か様子がおかしい。
「……お前は随分と立派になったな。お前を拾った時、こうなるとは想像もしていなかったが。」
「いえ、私などお二人と比べたらまだまだです。」
これは謙遜でも何でもなく、嘘偽りない大介の本心だった。店を開けてから閉めるまで、無限と言っても過言では無いほどに来る客達が頼む大量の注文を素早く捌き、かつ料理の質を一切ブラさない大将。全ての客が飲む酒のペースと料理の出るスピードを把握しながら、調理以外の一連の仕事を一切の遅れなく、タイミングよく行っていく女将。大介はそんな二人を心から尊敬していた。当然、仕事面だけではなく人間性もなのだが。
「…お前はもっと自信を持っていい。本来であればもうとっくに自分の店を持っていてもおかしくない程だ。」
「そんな事は…。」
「…大介。16の頃から見ているお前の事だ、気づいているだろうが俺と美和子はもう歳だ。」
「何を言うんです。お二人は昔からお変わりなくお元気で…」
「大介!」
大介は大将の珍しい大声にたじろぐ。大介とて、二人の老化に気付いていなかった訳ではない。目を逸らしていたのだ。
中学卒業と同時に両親の会社が倒産。そして二人は蒸発してしまった――大介を残して。ある日目覚めてベッドから起き上がると、家には誰もいなかった。両親は以前から仕事で忙しく、家にいない事は度々あったが、その時は1日待てど2日待てど帰ってこなかった。
3日目、漸く家のチャイムが鳴った。遅すぎる帰宅に文句のひとつでも言ってやろうと玄関を開けた大介の前に現れたのは黒いスーツに身を包んだ借金取りだった。そこで大介は知ることになる。両親は逃げ、大介に遺したのは巨額の借金だけだったことを。
その日のうちに家を追われ、絶望の淵で大雨の中を彷徨っていると、不意に太陽が姿を現した。
一人大雨の中を歩く大介に傘を差し出し、声をかけた夫妻――それが大将と女将だった。
彼等は身寄りを無くした大介を自宅に招き入れ、温かい食事と寝場所を提供した。その日、大介は人生で一番泣いた。泣きながら大将の作った料理を口に運ぶ哀れな少年に、夫妻は提案した。『家族や親戚と連絡がつくまでうちで暮らすか?』と。
その日から大介は2人に恩返しをしたい一心で懸命に働いた。夫妻は働く必要はないと言い、高校に行かせてやろうとも言ったが大介は断った。元々就きたい仕事があった訳ではなく、勉強もさほど得意でなかった大介は高校に行くことができない事など気にも留めていなかった。
18になる頃には金も十分に貯まり、大介は一人暮らしを始めた。最初の頃は貰った給料を全額夫妻に返そうとしていたが、二人はそれを拒否した。その金は自分のために使えと何度も説得し、渋々折れた大介はどうにかこれ以上迷惑をかけないようにしようと考え、一人暮らしに至ったのだ。
一人暮らしを始めたとはいえほぼ毎日店で3人は顔を合わせていたし、更に定休日の火曜と水曜も3人で出かけることが少なくなかった。身寄りを無くした大介からすれば二人は親代わりの存在だったし、若い頃子宝に恵まれなかった夫妻も大介を実の息子のように可愛がっていた。
16歳の頃から家族同然に過ごしてきた二人の老化は大介にとって辛く、直視できない現実だったのだ。
「…俺たちはそろそろこの店を閉めようと思う。美和子と何度も話し合った結果だ。」
「じゃ、じゃあ大将、私にこの店を継がせてください。私が育ったこの店が無くなるのは耐えられません…!」
「…お前ならそう言うだろうと思っていた。だが―――それを認めることはできない。」
「何故です!確かに私如きがこの店を継ぐにはまだ早いのかもしれませんが…」
「…大介。さっきも言ったが、俺も美和子もお前の腕は認めている。だからこそ、だ。こんな古くさい店ではなく、自分で居酒屋を作ってみろ。お前にしかできない形があるはずだ。」
「そんな…」
「大介、私たちはね、あなたに自由に生きてほしいの。この店は確かにあなたにとって思い出深いかもしれないけれど、縛られてはいけないわ。まだ見ぬ一歩を踏み出してみなさい。そうすれば自ずと道は見えてくるはずよ。」
気づけば大介の両眼からは涙が零れ落ちていた。自らが半生を過ごしてきた場所がなくなってしまう。その悲しさと、寂しさと、切なさと、そして何より…。
「誠治さん、美和子さん…。拾ってもらったあの日から、一秒たりともお二人への恩を忘れたことはありません。俺に…生きる場所をくれて…本当に…ッ…!」
大介が二人の前で涙を見せるのは出会ったあの日以来だった。自分を救ってくれた二人にこれ以上心配をかけるまいと、大介は心に決めて生きてきた。初めて三人で買い物に出かけた日も、初めて大将に怒られた日も、初めて女将に抱きしめられた日も、初めて給料をもらった日も、二人の前では我慢して、与えられた自分の部屋に入ってから泣いていた。当然二人は気づいていたが、それについて言及はしなかった。それが絶望から這い上がり、一歩一歩成長する少年に対する礼儀であると思っていたからだ。
大将は嗚咽する大介の肩に手を置き、女将は大介の背中をさすっていた。
「…まあ、まだ少し先の話だ。それまでにある程度どうするか考えておけ。」
「…ッ…はい…!」
大介は涙を拭い、締め作業を再開しようとした―――その時だった。
ドガァンッ!
フライヤーが突然轟音と共に燃え上がった。その火は横においてあった廃油へと飛び火し、キッチン全体へ一気に燃え広がった。
「大将!女将!逃げて!!」
大介はドリンカーを目掛けて一直線に走った。締め用のホースを蛇口に刺し、キッチンに向けて水を噴射していく。大介がいくら水をかけても、火の勢いは増すばかりだ。
「大介!店はいいから、早く逃げなさい!」
「そんな訳にはいかないんですよ!この店だけは、絶対に…!!」
女将と大将は鎮火を諦めない大介を見兼ね、一度は入り口まで逃げたものの、再び店の中に戻ってきた。
「ダメだ、二人とも!!俺もすぐ行くから、逃げて―――」
大介が言いきらないうちに、弾けた火の粉がドリンカーへと侵入した。瞬く間に広がる火を見て流石の大介も諦めて逃げようとしたその瞬間。ドリンカーにおいてあるビール用の炭酸ガスが爆発し、爆炎が三人を包んだ。
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