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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 三章 乱世の下の青春
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敵の思惑

 恒興つねおきが信長軍に駆けこんでほとんど間を置かず、戦闘は始まった。


 先陣の内藤ないとう勝介しょうすけは兵たちを叱咤激励して抗戦したが、長田おさだ重元しげもと軍の攻勢は凄まじい。兵たちが息切れすることも恐れず、最初から乾坤一擲けんこんいってきの勝負を挑んできていた。がむしゃらに力押しをすれば小勢の信長軍は次第に後退せざるを得ないことを重元は分かっていたのである。


(織田の兵どもを押しに押して、北にある天王てんのうの森まで誘導してやる)


 それが、重元の作戦だった。地元の民たちから「天王の森」と呼ばれている森林には、長田軍の別動隊が潜んでいる。重元軍の猛攻によって後退させられた信長軍が天王の森に到達した直後、別動隊が奇襲攻撃をかけて信長を討ち取る計画だった。


(本来ならば、もっと簡単に信長を討てたはずなのだが……。あの逃げ足の早い若武者のせいで、予定がいささか狂ってしまった。だが、必ずや天王の森で信秀の嫡男をほふってみせる)


 当初の予定では、重元の本隊が大浜街道沿いの村で信長軍を待ち伏せ攻撃し、ほぼ壊滅状態まで追い込むつもりだった。そうすれば、信長軍は伏兵がいる天王の森まで大潰走して、信長の首級を容易くとることができたはずである。


 しかし、池田恒興の活躍(?)によって、重元本隊の待ち伏せ作戦は中途半端なものになってしまった。天王の森へと誘導されつつある信長軍は、劣勢ながらも陣形を何とか保っている。これでもほとんど不意打ちに近かったはずだが、織田家歴戦の勇将・勝介は恐るべき粘り強さを発揮して、重元の大猛攻を耐えに耐えていた。


「皆の者、怯むなッ。先陣の我らが潰走すれば、他の部隊までもが友崩れしてしまう。あと半刻(約一時間)ほど耐えろ。かくのごとき俄攻にわかぜめ(強引に攻めること)は、長くは続かぬ。敵兵はすぐに疲れるであろう。敵の攻勢が弱まった隙を突き、逆襲するのだ!」


 勝介は十文字槍を縦横無尽に奮いながら、幾度となくそう吠え、麾下の兵たちを励ます。


 その傍らには恒興もいて、わぁわぁと喚きつつ刀を無我夢中で振り回していた。初陣の若武者にはよくあることだが、完全に頭に血がのぼっているらしい。恒興の近くで戦っていた足軽の虎若とらわかは、敵と間違われて危うく斬られそうになった。


 一方、戦況を見守っていた中備えの信長は、自軍がじりじりと後退させられつつあることに気づいていた。


平手ひらてじい。勝介は頑張ってくれているようだが、我が軍は少しずつ押されてきているぞ。何か策はないのか」


「今は劣勢を耐え忍ぶしか手がありませぬ。敵軍は捨て身の突撃を仕掛けてきており、小勢の我らは敵の猛攻を防ぐのがやっと。我が軍の勝機は、敵が攻め疲れた時を狙って反攻に転じることのみです」


「……分からぬ、なぜなのだ」


「ですから、今は敵の猛攻が終わるのを待つ以外には勝つ方法が……」


「それが分からぬと言っているのだ、爺ッ」


 信長は気が立っているのか、語気も荒々しくそう叫び、目の前で展開されている敵味方の激戦のありさまを指差した。


「見ろ! 奴らは、我らよりも兵の数が多いのだぞ。しかも、不意打ちを喰らったせいで我が軍は防戦一方だ。どう考えても奴らのほうが有利で、心にも余裕があるはずだ。それなのに、敵軍はなぜあんなにも死に物狂いになって戦っている⁉ まるで、何らかの意図があって、森がある北の方角へ押しやろうとしているようではないか! 爺よ、このまま押され続けていて本当によいのか⁉」


「言われてみれば、確かに……。ハッ⁉ も……もしや!」


 信長がイライラしていたのは、敵将・長田重元の戦い方に不気味さを感じていたからのようだ。「敵の大将は二重、三重の罠を用意しているかも知れない」と警戒していた政秀だが、信長に指摘されてようやく重元の思惑に気がつくことができた。


(そうか……! 恐らく、長田重元は我が軍の背後に伏兵を置いているのだ! 兵を伏せている場所まで我らを誘導するために、力任せの攻撃で我が軍を北へ北へと追いやっているのに違いない!)


 この地には牛頭天王ごずてんのうを祀る神社が存在し、近辺にはその神社の社地(神社の領地)である松の森林が繁茂している。重元が兵を伏せているとしたら、そこしかない。


「い……いかん! 何とか押し返して前進せねば……このままでは森で伏兵に襲われてしまう!」


 政秀は大慌てで伝令を遣わし、先陣の勝介に「これ以上は押されるな。背後に伏兵がいる」と伝えさせた。




            *   *   *




「なぬっ⁉ 後方に伏兵だと⁉ しまった、これは挟撃作戦であったか!」


 伝令から政秀の言葉を伝達された勝介は、激しく顔を歪めてそう叫んでいた。


 政秀は「後方に伏兵がいるから後退するな」と言う。だが、勝介も陣形を維持しつつ防戦するので手いっぱいなのである。無理に押し返そうとして陣形が乱れてしまったら、小勢の信長軍はあっという間に全軍が潰走状態に陥ってしまうだろう。


「……平手様には悪いが、敵の策略にはまってしまった時点で、我らの敗戦は確定してしまったのだ。前方にも後方にも敵がいるのならば、ここでどれだけ踏ん張ったところで、どっちみち我が軍に逃げ道はない。前後から襲われるのが避けられない現状では、できるだけ信長様の本隊の守りを固くして、信長様を討ち死にさせないようにすることこそが肝要だ」


 政秀は、優秀な外交官と戦略家であり、大局を読む才能は織田家随一だ。信長が初陣で敗北してしまったら、信長の嫡男としての地位が揺るぎかねないと焦っているのだろう。


 しかし、叩き上げの生粋の武官である勝介のほうが、局地的な戦闘においては政秀よりも的確な判断ができる。これは、もう「負け確定」の戦いなのだ。限りなく無に近い勝利の可能性にすがって無茶な戦闘を行えば、それこそ信長を戦死させてしまう恐れがある。


(こうなってしまったからには、いかにして被害を最小限にして信長様を逃がすか、ということを我々は考えるべきだ)


 と、勝介は現実的な判断を下していた。若い頃ならば、勝介も猪武者な性格を暴走させ、政秀に命令されるままに敵軍に無謀な突撃をして玉砕してしまっただろうが、彼も武将として成長し、経験も重ねている。戦場で暴れ回るだけの斬り込み隊長は、すでに卒業していたのである。


「恒興よ。俺の兵を少し分けてやるゆえ、後方の信長様の本隊へと向かえ。敵が背後から奇襲を仕掛けてくるらしい。命を賭けて、信長様をお守りするのだ」


 勝介は、数人の敵兵を十文字槍で薙ぎ飛ばすと、そばにいた恒興に怒鳴りながらそう命じた。


「でも、俺が兵たちを連れて行ったら、内藤様が……」


「俺の心配などしている場合かッ! お前は信長様から弟のように可愛がられている股肱ここうの臣ではないか。信長様をお守りすることだけを考えておればよいのだ」


「し、しかし……」


「何だ? 足が震えているのか、お前。今さらになって、怖気ついて動けなくなったのか?

 ……馬鹿者! 出陣はまだ早いと止められたのに、無茶をして戦場に飛びこんだのだから、男ならば最後までその無茶を貫かぬか!」


 勝介はそう叱り飛ばしながら、恒興の尻を思いきり蹴った。恒興は「ギャッ!」と叫んで転びそうになったが、何とか踏ん張る。


(そうだった……。俺は、信長様をお守りしたくて、ここまでやって来たのだ。怯えている場合などではない!)


 おのれにそう叱咤した恒興は、パチンパチンと自分の両頬を叩くと、信長の本隊めがけて猛然と走り出した。


 勝介は、そんな恒興の背中をチラリと見てフフンと微笑み、


「おい、そこのお前たち。ここはいいから、恒興に従って信長様の護衛に行け」


 と、麾下の兵たち五十数名に命令していた。その兵たちの中には、虎若とらわかもいた。

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