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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 二章 父たちの戦国
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酔いどれ平手

「遠路はるばる、よくぞ参られましたな。ここは寺ですので精進しょうじん料理しかお出しすることができませんが、どうぞごゆるりとおくつろぎください」


 その日の夜。

 本願寺ほんがんじ証如しょうにょが料理の膳を出して平手ひらて政秀まさひで青山あおやま与三右衛門よそうえもんをもてなすと、政秀は上機嫌で「いやいや、それがしは美味い酒さえ飲めたら、それで満足でござる。この地の酒は非常に美味ですなぁ」と言って笑った。


 五十二歳の政秀は、この時代ではもう十分に年寄りだが、まだ壮年期と言っていい与三右衛門よりも二、三倍のペースで酒をぐびぐびと飲んでいる。それなのに、まったく呂律ろれつが怪しくなく、まるで素面しらふのようである。


「……それで、今日はどのような用件で我が寺に?」


「用件というほどのことはありませぬ。大坂おおざかが非常に栄えた町だと聞いていたので、尾張に帰る前にぜひこの目で見てみたいと思いましてな。京都で殿様やお世継ぎの吉法師きっぽうし様に土産みやげを買おうと思っていたのですが、どこもかも荒れ果てていたので買い物どころではありませんでした。この町で良い品を見つけて、買って帰ろうと考えておりまする」


 それはただの方便だろう。買い物がしたいのだったら、すぐ近くに大貿易都市の堺があるではないか。

 心の中ではそう思いつつも、証如はにこやかに微笑んで「なるほど、そうでしたか」と答えた。


「それでしたら、拙僧が日頃愛用している中国渡来の磁器を差し上げましょう」


「なんと、明国より渡来した磁器でござるか?」


「ええ。先年の遣明使けんみんし派遣の際、管領かんれい細川ほそかわ晴元はるもと様と堺の商人たちが大陸へと渡るための渡唐船ととうせん大内おおうち氏が日明貿易を独占していた時期なので正式な遣明船ではないとされてきたが、近年は異説もある)を造ろうとしたのですが、その時に我ら本願寺が造船にいささか協力して、水夫の人員も手配したことがあったのです。その礼として、懇意の堺商人からたくさんの磁器を贈られたのですよ」


(日明貿易にまで関わっていたのか。侮れぬな、本願寺……)


 政秀が驚愕きょうがくしている間に、若い僧侶が、透き通るように青い文様が美しい磁器を持ってきた。証如の説明によると、「青花せいか」という陶磁器らしい。


「こちらの青花の大皿とさかずきを差し上げます。信秀殿とお世継ぎ殿が喜んでくださるとよいのですが」


「おお、これは見事な。しかし、よろしいのですか? いきなり押しかけた我らにこのような立派な品を下さって……」


「私は『王法を守り、仏法を聖人の御時の如くせよ』という先代法主・実如じつにょの遺言を守り、古き善き秩序を尊んでおりまする。尾張の信秀殿もまた、朝廷や伊勢神宮という古き善き伝統を尊び、多額の献金をなされたとか。いわば、我らは同志。これからも親しく交わりたいと心から願うゆえ、ささやかな贈り物をさせて頂いたのです。どうぞ、遠慮なくお受け取りください」


「なるほど。では、ありがたく頂戴いたそう。

 ……親しく交わりたいと願っているのは、我らも同じことです。我らの領地の西には一向宗の門徒が大勢いますからな。以前、戦をしている最中に、彼ら門徒たちに危うく背後を襲われそうになったことがあって、あの時は冷や冷やしましたぞ。ははははは」


 政秀はもう何十杯目か分からない酒を飲み干すと、わざとらしく大笑した。証如も表面上は微笑んでいたが、


(伊勢や尾張にいる本願寺の門徒たちが、尾張国内の戦に首を突っ込まないように釘を刺しにきたのか……)


 と、ようやく相手の意図を察していた。


「それはもう、当然のことです。先代法主はこうも言い残しています。『諸国の武士を敵にせらるる儀(しか)るべからず』……と。我ら僧侶は、武士と武士の争いには中立であるべきだと心得ておりまする。けっして、織田殿の背後を襲うような真似はさせません。どうぞご安心を」


 証如がそう言うと、政秀はわずかに赤くなってきた顔をほころばせ、ニッと笑った。


「その言葉を聞けて、安心いたした。……なあ、与三右衛門」


「ぐごー……ぐごー……。魚が……魚が食べたい……。精進料理なんて不味い……。むにゃむにゃ……」


「あはははは。こやつめ、ほんのちょっと飲んだだけでもう酔いつぶれておるわ。若いのに情けないぞ。あはははは」


 政秀もだんだん酔いがまわってきたようだが、それでも呂律はしっかりしている。


「魚が食べたい……むにゃむにゃ」


「諦めろ、与三右衛門。本願寺ではな、表向きの客には精進料理しか食わせてくれぬのよ。管領の細川家からの客人だったら、寺のおきてを曲げて魚料理でもてなすらしいがな。ケチくさいのぉ~。あはははは‼」


(こ……この酔っ払いジジイめ……)


 一見すると酔っていないように見えても、政秀はだんだん判断力がなくなってきたようだ。急に饒舌じょうぜつになり、証如に本願寺の悪口を言いまくった。証如は怒りを何とかおさえ、笑顔を崩さすに無言で話を聞き続けている。


 呂律が怪しい酔っ払いの戯言たわごとだったらそれほど腹も立たないのだが、政秀は(表面上は)ちょっと顔が赤いだけで、


「本願寺はケチじゃし、その門徒たちは後ろから武士を襲う卑怯者じゃ! 精進料理なんて誰が喜ぶものか、魚を持ってこーい! あはははは!」


 と、しっかりとした口調で罵ってくるため、我慢するのが大変だった。さっき渡した陶磁器を返せ、と言ってやりたい。


 証如は自らの日記に、石山本願寺を訪ねて来た平手政秀のことをこう書き残している。


「一段大酒(大酒飲み)」


 証如の前でいったいどれだけの酒を飲んだのか分からないが、わざわざ日記に書くぐらいだから相当な量を浴びるように飲んだのだろう。

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