そっと脇に佇む役者の手を引いた
同じ学校に通う、二人の生徒の死は生徒をほんの少しだけ賑わせた。だが、葬式をした後生徒たちは疲れたと、肩が凝ったと、笑いあうのだろう。そこに居た生徒はそこに【居た】だけの存在だったのだから。
例えば、話した生徒も居ただろう。笑い合って、友人となった生徒も居ただろう。二人の可愛さ、人気の高さからその二人に恋心を抱き頑張った人間も居ただろう。だが、そんな人間すらも二人を【終わった】存在として忘れてしまう。つまらない日常を壊す、井戸端会議の話のネタに成り下がるのだ。
その生徒を良く思っていた教師と親族、とても仲の良かった友人、そして―――――
恋人、を除いて…
橘 弥生の葬式で見た春樹の姿は絶望を通り越して、痛々しかった。橘が死んだのは踏み切りでの不幸な事故だったと葬式の日に教師から聞いた。
恋人だった春樹は、目の前で彼女が死ぬ様を見たのだと、葬式で見た春樹の姿を……恐ろしく思った俺は教師に詰め寄り、吐かせた。
あまりの事の重大さに、俺は座り込んだ。
俺は橘を知っていた。一目ぼれをし、告白もした。だが、『春樹君が好きだから』と言う言葉で諦める事を決めたのだった。春樹は何処か人と一線を隠すような、そんな奴だった。いや、そんな奴になっていた。昔は、そんな人間ではなかったのだ。
だから、この娘なら、人の事を第一に思い優しく微笑むこの娘なら、春樹を―――救ってやれると思った。だから、俺は自分の初恋よりも幼馴染が救われることを優先した。
何よりも、春樹があの悪夢から解放される事を俺は望んだのだった。
だが、何なんだ。この仕打ちは。
神が居るなら問い詰めたい。『あんたは何を考えているのか』と、運命が既に決まっているなら俺が捻じ曲げてやりたい。
だって、酷すぎるじゃないか。【踏み切り】で【大切な女】が死に、目の前が『赤』く染まる。まるで過去の再現のようなそんなこと。
俺は目をそむけた。背けるだけしか出来なかった。幼い頃に、現状をまだ理解しきらない春樹にわかるように説明してしまった。そうして春樹を壊してしまった俺だったからこそ。
あんな春樹を目の前に、壊さずに触れられる自信が無かった。
絶望の中から救い出すことが、出来る自信が無かった。
橘の血液と、引きちぎれて、既に乾いてしまっている液体状だったであろう肉を被った制服のまま春樹は葬式に参列していた。親族の席、その最前列に座っていた。
学校関係者の参列席の最前列に、俺と石川は座っていた。
俺は現実には思えなかった弥生の死を、その光景で実感し、理解した。
多くの教師たちは、その姿に『何を考えている』と腹を立てていたが、担任と彼女を知る教師たちは違った。
彼らは、『絶望的な姿だった』と考えた。春樹の姿と、橘の、死に様をそう考えた。だって、そうじゃないか。春樹が絶望している、そして、開いている棺には布が掛かっていてどうやっても橘の遺体は見ることが出来ない状態だったのだから。
遺体に掛かった布すらも、人の形をしていなかったのだから。
橘は親しい教師には春樹を自慢していた。本当に幸せそうに微笑って、春樹も優しく希望に満ちた眼で彼女を見ていた。『これで良いんだ』『これでよかったんだ』と、何度思ったことだろうか。
彼女は本当に春樹の過去を癒しかけていたのだ。だが、この事故とあの女の邪魔で全てが狂っていた。
石川が春樹をどういう目で見ていたのかは知っていた。そして、石川が何をしていたのかを春樹に話したのは俺だった。だが春樹は悲しそうに笑って、
『弥生が、笑っている。どうしようもないんだ、私には―――』
そう、呟いた。
嗚呼、また俺は。春樹を悲しませる。誰よりも親しくて良い友でありたいと思っていた。だが、どうしても俺は春樹を悲しませた。
だから、この女に任せるべきではないとは思っていた。だけど私は石川に春樹の事を頼んだ。
春樹が立ち直るように、絶望し続けないように。もしかすると良い結果を生んでくれるかもと期待までもしていたのだ。
自分さえ良ければ、自分こそが春樹には相応しいと。思い込んでいた傲慢な女だった。だが、その傲慢さが気の強さになって無理やりでも前向きにさせてくれるのではないかと少し思っていた。
だから――『解った、中谷君のことは任せて』。そう言ってもらえた時に安堵した。俺は投げ出し、逃げ出したのだった。春樹のあんな姿、もう見たくは無かった。
俺は火葬場まで付いていくはずだった。『見届けるだけでも良いですから』そう橘のお母さんに言われたが、彼女の骨なんて見たくも無かったし、それを見てまた絶望するかもしれない春樹を、支えられる自信も無かった。
結果、それは起こった。
何処か、俺も予感していたのかもしれない。俺は副担任に呼び出された。どうやら錯乱した春樹が俺の事を呼んだらしい。
暇だったのと、橘達と親しかったと言うことで保険医の先生が俺を急いで火葬場へと走らせてくれた。
着いた時には、既に回りは暗く、火葬場には赤い。光が囲んでいた。一目見たその赤色灯に、俺は踏み切りをイメージした。春樹ほど、酷くはないが俺もあの過去を知っていた。
道路と楽しくリズムカルに音を鳴らす、憧れの電車が真っ赤に染まっていた。それにも興味が引かれたが何よりも春樹を優先した。春樹は、事の中心の外れで青い服の正義の味方に囲まれていた。春樹もまた、電車と同じように赤く染まっていた。
青い服の人たちが春樹の周りを囲んでいるのを見た。それがどうしても、春樹を虐めている様な錯覚に陥った。
俺は走り寄って、その青い服の間を押しのけて春樹の側に近づいた。
青い服から庇うように、俺は春樹に覆いかぶさって聞いた。
『大丈夫か?』
俺の言葉に、春樹は
『出かけるんだ。楽しいところへ』
あの日の前日から言っていた言葉を言い続けていた。それに脅えた俺は、全てを言った。
青服の人間たちが焦るのを感じた。だが、俺は全て言い放った。その、春樹の見開いた目が俺の後ろを捉えたのに気付いた。
その視線を辿ると、真っ赤な色彩を持つ男と目が合った。
赤色灯の塊が記憶にアクセントを付けていて、赤色灯にはあの日の記憶が閉じ込められていた。
春樹は大体の事を忘れていた、知ってはいた。だが、肝心の部分を忘れていた。自分を庇護する様に、春樹が絶望した部分だけが。
あやふやだった。
火葬場に着くとあの日のように青い服の大人に止められた。今のこの人たちは正義の味方ではなかった。大切な親友の傷を抉る、非情な悪だった。
俺は警察に『春樹に呼ばれた』と説明すると、警察も少し困っていたようですんなりと火葬場に入れてくれた。まず、見つけたのは人を焼く機械。きっとこれで橘は燃やされたのだろう、俺はその横の扉を見る。そこには黄色いテープが張ってあり、【立入禁止】と書かれていた。
奥に進むと、橘のお母さんが俺を見つけて走ってきた。お母さんは俺の手を引くと『春樹君が大変だ。』と言って、骨壷を抱える橘のお父さんの元へと連れて行ってくれた。二人は、神妙な顔で俺に話しかける。
「春樹君は。私に石川さんを見せないように目を覆ってくれたの。だけど、春樹君は―――っ!」
「彼は、石川さんの遺体を鮮明に見てしまったんだ。もっと近くにいた火葬場の関係者の方は、失神して救急車で……」
物凄い異臭だったとお母さんは言った。お父さんは、臭いで気付いて見ない様に参列者に言ってから、お母さんを春樹の手元から見せないように移動させたそうだ。橘のお母さんが居なくなると、春樹はその場にしゃがみ込み、吐いたそうだ。
三日間何も食べてなかったらしい春樹からは何も嘔吐物は出なかったが、代わりというように胃酸が吐き出され、その様は内蔵全てを出そうとしているように見えたという。
お父さんは、春樹の背を摩った。そうしていると、自然にそして微かに言葉を放った。
『にし…、……ぃにっ、しぃ……』
そう、吐いている間延々と呟いていたそうだ。まるで、名を呼ぶことで何かがあって救われると。そうでも、言うように。
俺は切望する。春樹の為と、思って離れたが。実は俺に一番側に居て欲しかったんじゃあないのか…?あの女なんかじゃなくて、全てを知ろうと何も考えずに踏み込むようなあの女じゃなくて。自分を知っている俺に、助けて欲しかったんじゃあないのか?
俺は橘のお母さんに春樹の居場所を聞くと、急いでそこへと駆けて行く。
床がかなり高くなっている、畳を敷いた場所だった。もしかすると人によってはそこで葬式をするのかもしれない。橘のときは、学校関係者が居たから使わなかっただけで。
春樹はそこの端に座っていた。
デジャブ、
春樹は、地面の段差に座っていた。『赤』を被った姿のまま―――、
俺は周りを見回す。何を捜しているか、そんな物考えてはいない。とにかく、捜したかったのだ。
『赤』を、
『赤』を持つ、あの男の姿を―――――、
そう、それはまるで知っていたかのように、分かっていたかのようにそこに居た。
『赤』の色彩を持つ男は、窓の外に居た。
どうやってそこに居たのか、何時から居たのかは解らないが。窓の向こうに男は座っていた。春樹を真似するように座り込み顔を伏せて、だがその顔は似ても似つかない笑みを浮かべて――――。
闇を纏うような衣服を身に着けて、空に浮かんでいる三日月のように皮肉屋な笑いを浮かべ、俺を微かに見る。それだけで、目が離せない。あの時だって、振り返った瞬間から男が居なくなるまで、ずっとその目を見ていた。まるで、全ての主導権を男に握られたように。
俺は男を見つめる。すると男は微かに口を動かす。何かを伝えようとする。俺の意識は眼から、口元へと移動した。
じ
ゃ
ま
は
す
る
な
それだけを、口で伝えると男は立ち上がり――…消える…。
俺は男を追おうと思った。あの日のように、男が居なくなった事すら解らなかったわけではないのだから。振り返り、走り出そうとする。だが、それは不可能だった。
「に……し、ぃ」
微かな、助けを求めるような。それでいて縋ってくるような甘えた声に、俺の脚は止まる。
目の前、そこに居たのは春樹だった。葬式で見たときよりも酷く荒れた髪、虚ろな眼。そして、震えた…その手。
俺の胸元に縋りつく春樹は震えていた。ただ、悲しそうな声で俺の名前を呼びながら春樹は俺に縋ってきていた。
俺はその肩を壊れないように触れることしか出来なかった。そうするだけで、春樹の震えは少しはマシになったが、それでも止まらなかった。
俺は落ち着くのを待とうと、春樹がさっきまで座っていた場所へ歩を進める。春樹はそれに素直に従うが、どうしても俺の胸元から離れようとはしなかった。
俺が座ると春樹は俺の膝の上に座り込み。また胸元で嘆きだした。
「……しぃ、にしぃ」
小さく呟くその声は、ただそれだけ、それだけしか口にしなかった。いや、それだけしか口に出来なかったと言った方が正しかった。
春樹は、その言葉以外。何も言わなかったのだから。
春樹を守るために、俺は初恋を捨てた。
その初恋は、親友に幸せを齎して、そして親友を絶望のどん底に陥れた――――。
今度は、償いでも不器用でも良い。
今度は、俺が、親友を……
春樹を、救いたい。