舞台で踊る彼の舞踏は歪に歪み
そこからはまるで絵空事だった。
いろんな人たちが集まってきて、警察が弥生を弄んで白い車に乗せていった。弥生に染まった私をその白い車は一緒に運んだ。いや、私が弥生の側に居たかったから私はその車に乗った。
消毒液の臭いのする暗い建物の椅子に座らされた。
私が椅子に座って間もなく、弥生の両親が私の元へとかけてきた。その顔は青ざめていた。
「春樹、くん?」
何処か幻想じみた感じがする。そうやって声をかけてくる弥生の両親――、母親の声が、弥生の声に聞こえて――――。
だが、それは確かに弥生の母親だと私は確かに認識し、返事をするが『はい』の二文字以外何もいえなかった。
そうやって、時間が過ぎて私の元に警察がやってきた。弥生の両親は私から少し遠巻きにその様子を見ていた。
あそこに居たのは私だけだったから、警察に色々と聞かれた。
「どうして弥生さんは電車に轢かれたのか。」
それが一番聞きたかったようだ。私も、知りたくて堪らない。だって、幾ら私が質問したとしても弥生には音が聞こえていたはずだ。なのに弥生は何もしなかった。私も叫んだ、走った。走ったことは電車の乗客が見ていたらしく警察も納得していた。
だが、弥生が音に気づかなかった事に警察は薬をやっていたか。と言うことにつながった。
それを勿論、私と弥生の両親は否定した。
家でも家以外でも弥生は元気で優しい子だったのだ。私も彼女にとっては自慢だったらしく彼女の両親も私のことは良く知っていた。私は彼女の両親には二回しかあっていなくて詳しくは知らなかったが、私の味方をしてくれていた。
「原因になりそうなことは、何か?」
最終的に警察はそう聞いてきた。
私は錯乱していたのか、問いかける形で答える。
「空に、花が咲いたら…どんないろ……?」
私の言葉に警察は首を傾げて、どういうことかと聞いてくる。私にも解らない。
そんな事をしているうちに、弥生の母親が口を開く。
「そう、聞いたのかもしれません。」
弥生の母親は弥生からそんな事を聞いていたそうだ。突然変な質問をして、その度に私を褒めてくれるのだと。
その言葉に少しだけ納得したようで、警察は帰って行った。
学校を休む気など無かった。だけど、弥生から離れたくなかった。だから、私はずっと彼女の横に座っていた。
弥生の親族がやって来て、私に声をかけていく。誰一人として、私に疑いの声を浴びせなかった。
もし、私が弥生を殺していても疑えるとは思えない。
全身に血液を被ったまま、恋人を見詰め続ける人間に殺意があったと誰が思うのだ。
私は、何も考える気がなくなった後、ふとそんな事を思った。
だけど、何を考えようが弥生は確かに鉄のイキモノに殺されたのだ。
……違う。弥生は私に殺されたのだ。
考える事しかさせないようなそんな質問をして、私は弥生の危機察知能力を欠落させた。私が…
「殺した―――……」
何時の間にか通夜になっていた。だけど私にはそんな事判るはずが無かった。ただ、目の前に居る弥生だけを見詰めて弥生が動かされるたびについていっていただけだった。そうして喪服の親戚の中、弥生の『赤』に染まる私を腫れ物を扱うように親族たちは接してきた。
だから、私の言葉に弥生の両親は逸早く気付き直ぐに私に弁解をしにきた。
「春樹君は悪くない。これは、運の悪い事故。なのよ…、解る? 弥生も春樹君を責めてなんて居ないの、春樹君がちゃんと」
「殺した。」
弥生の母親の言葉に、『責める』と言う言葉に私はまた呟く。そうしか考えられなかった。弥生は、賢いから、弥生が死ぬ事なんてありえないと思ったから。
だから、『殺した』と言う結論にたどり着いた。だって、そうだろう?
『死んで』ないなら、『殺して』居るんだろう?
弥生の両親は私の言葉に、下手に口を出すより落ち着くのを待った方が良いと判断したのか、静かに離れて行った。
葬式には多数の生徒が出席した。
その内、生前の弥生を正確に記憶している人間は極僅かだった。
教師もほとんど居たがその内、弥生の誕生日と血液型すらも、知っている人間は三人程しか居なかった。
皆、涙を流して学友の死を悼む。だけど、その内【弥生の死】を悼んでいるのは一体何人?
生徒のうち【葬式だから】泣いているのは一体何人?
泣いていない生徒のうち【どうでも良いから】で泣いていないのは一体何人?
実際には、本当に【弥生の死】を悼んでいる人間は誰一人として泣かなかった。いや、泣けなかった。だって、そうだろう?現実味の無い【弥生の死】に泣ける筈が無い。遺体すらも原形を留めていなくて、【弥生の死】を象徴できる遺体は決して人の眼に晒される事が出来なかった。
私は全てを見ていた。首すらも踏み潰されてグチャグチャになっていたのを、骨が砕けて肉が千切れて挽肉になっていたところを私は見ていた。
私はその惨状を知っていた。弥生の『赤』、鮮血を被った制服を着たまま私は葬式に出ていた。着替える事なんて出来ない、弥生が居ない事をわかってしまうから、だから私は泣けなかった。全てが、絶望的過ぎて――――…
葬式も終わり、私たちは火葬場へと足を運んでいた。今は、弥生が骨になるまで待っている。
「中谷、くん……」
誰かが声をかけてきた。私は顔を上げ、その声のする方向を見た。そこには弥生が親友だと自慢していた石川 奈緒が、悲しそうな顔をして立っていた。目が、乾いていた。
「大丈夫…? 中谷君、事故から寝てないみたいだし。それに、着替えても…ないでしょ………?」
石川は痛々しげな目を私の制服に向ける。私にはそんな視線、必要ない。私は三日間まともに言葉を発していない唇を動かして石川に答えた。
「だいじょ、ぶ……うん、生きている。私が、弥生を殺して、私は…生きている…」
私の言葉に石川は少し戸惑う動きを見せたが、私が少し錯乱していると弥生の母親から聞かされ、納得していた。石川は私にそっと声をかける。
「中谷君、どうしてそう思うの?」
私は―――、
思っていたことを全てぶちまけた。石川の言葉の何がきっかけだったのか私は全てを口にした。
あの日朝、夢で見た男が学校の坂に居た事、男が消えたこと、帰りにいつものように質問をして、その所為で弥生は電車に撥ねられたのだと。私は全てを言った。
それらの言葉に、石川は少し疑問を持っていたらしい。考えるような仕草をして、私の周りに居る親族には聞こえないように声を潜めて言った。
「その男が、弥生に何かしたのかもしれない。」
その言葉に、立ち上がりかける私を石川は軽く肩を抑え、静止させる。私の意識は石川の言葉で覚醒した。私はどうして、という視線を石川に向ける。石川は神妙な顔で頷く。
「あのね、中谷君が目が離せなくなったのは、【催眠術】だと思うの。」
こんなところで弥生が死んだ理由を考えるのも不謹慎だと思うのだが、そんな事今は関係ない。
「催眠、術…?」
聞いた事ぐらいはあるが現実にはありえないと私は思っていた。だからこそ石川の導き出した答えに簡単には納得できなかった。私は奇異の眼で石川を見る。
「外国では催眠術対策に、【視線を合わさない銀行】が実際にあるの。理由は催眠術をかけられてお金を奪われないようにだって。」
石川の瞳は、本気で物を言っている眼だった。私は、その話を疑いながら少しだけ信じる事にした。
「どうしてそう思ったんだ?」
私は、石川に問いかける。石川は、私の右側で目線で『外で』と言うと私を外のベンチへと誘う。一応親族の人たちに声をかけると、親族の人たちはまともに話が出来るようになった私を見て安堵した表情をかけてきた。
石川は、私の制服の血液を気にすることなく右手を掴んで引っ張っていく。
ミギテガ、オチタ――
突然駆られた不安に私はその手を必死に振り払う。だが、石川はそんな私を笑ってもう一度、今度はしっかりと掴む、何がおかしいのかは解らない。だが、私は必死だ。石川の方も繋いで居たいのか強く掴んだままだ。
その手が痛くて、離して欲しくて―――、それでも、離さないで欲しくて……
「離して、くれ。離して離して、離して離して……」
私の言葉を照れているのだと勘違いしたようで、石川はからかうような笑みを私に向けてくる。
その笑みが返って私を不安にさせる。親友だからなのか、弥生の笑顔に、よく似ていて――――
「―っ、! 離せ、離せ――…離せ!!!!」
私は何時の間にか叫んでいた。その声に、私は驚いた。だが、私よりも驚いたのは石川の方だった。突然の叫び声に石川は手を放す。だが、引っ張っていた手を離した石川は尻餅をつく。
強く打ったのだろうが、石川は私が叫んだ事と今の私の形相が恐ろしかったのか目を見開いて決して目を離さない。
……私はその石川の表情に正気に戻る。右手ではなく左手を差し出し、石川が立ち上がるのを手伝う。
「……ごめん、右手は……触らないで―…」
立ち上がった石川は私が顔を伏せるのを見て微かに頷く。
そして…
「何が、あったの?」
無情にも聞いて欲しくない事を聞く。私は首を振るとベンチへと歩を進めた。だが、石川は弥生と違って物分かりが良くなかった。
「中谷君? どうしてか言ってくれないと、どうしようもないんだよ?」
正論。そう、正論に聞こえる。だが、何をして欲しいか、何を要求しているかを既に言っているのなら仮定は必要ないだろう。仮定を聞いて要求を知る事は出来るが要求を聞くとそれで納得できる。何があったとしても、だ。だが、どうしても石川は仮定の部分を知りたいらしく、ベンチに着いたというのに座ろうとはしない。
「どうしてなの?」
石川は首を傾げて問いかけてくる。だが、私は聞いて欲しくないから要求を先に言ったのだ。聞かれて話しては意味が無い。私は顔を逸らし言う。
「言いたく、無いんだ。」
「中谷君、弥生には言ったんでしょう?」
石川は何処か不貞腐れた顔をする。この、女は何処まで無神経なんだ。私は顔をこわばらせて石川を見る。
石川は頑として自分が言った言葉の意味と重さを自覚していない。
「弥生には言って、私には言わない? 中谷君変だよ。」
私は、弥生にすら言ってはいなかった。
「言ってない!」
だが、石川は信用しない。
「嘘! 私が言ったんでしょっていったら、反応したじゃない!」
「反応したのはそこじゃないんだ!」
私の言葉に石川は問う。
「じゃあ何処よ」
そんな事、いえるはずが無い。まさか、【死人には言えて生者にはいえない】と言ったと思ったなんて。私は口を紡いで悩む。それを見て、石川はやっぱりと言った表情で私を見る。
「やっぱり、言ったんじゃなの。どうしてよ、どうして私には言えないの!?」
この女は、私が言わなくては引かないだろう。私は、どうして反応したかを話す事にした。
「石川、私はお前が弥生を完全に過去にしてしまっている事に、反応したんだ。」
「過去…?」
やはり石川は自分の言葉を自覚していない。しっかりと考えて、放った言葉ではない。
「そうだ。私は死んだ人間には言えて生きている石川にはいえないと聞こえたんだ。」
「そんな事、言うわけ無いじゃない。」
私を睨む石川の表情は、そんなことはどうでも良いといったようにしか見えない。
「嗚呼、そういう意味に聞こえたんだ。実際にそういう意味で言ったのかは置いておいて、……ごめん。こんな事を言って…」
そうだ、大事な人をなくしたのは私だけじゃないんだ。この目の前の石川だって―――。石川は心外だと言う表情はしているが、目が。
『下らない』
そう言っていた。
嗚呼。そうか、この女は……
「私は、単純にそんなに絶望していないでちゃんと立ち直って欲しかっただけよ。【弥生】に縋っていたら何時までも空っぽのままでしょう?」
そんな、私を気遣う言葉を放つ石川。私はその言葉に有り難うとだけ言って、脱力したようにベンチに座り込んだ。石川も私に続き、ベンチへと座った。俯いたまま、目線だけで石川を見る。
石川は……、笑っていた。
私に気付かれないように、微かに……
「私ね。中谷君の事が大好きだし…。それに、絶望したままじゃ弥生も悲しむよ?」
嗚呼、そうなんだよ。だけど、愛している人を失ったら、こんな物だろう? 石川は私の左手に絡み付いてきた。それを振り払う必要も振り払う気もなかったので、そのままにして置いた。私は、中で話していた続きを聞いた。
「それで? 石川はどうして赤い男が弥生に催眠術を使ったと思うんだ。」
私の問いに石川は少し首を傾げ、そして問いに答える。
「いや? 私は中谷君にも使ったと思うよ。」
更に、石川は私が混乱するような事を言う。私を混乱させて楽しんでいるのか、そう思うぐらいに。
「あのね、まず催眠術で男が居ないと思わせて見えなくした。それから、弥生に踏み切りを見えなくしたのよ。」
とても、現実味の無い結論。だが、納得できる物でもあるしどうしても納得は出来ないことだった。汗をかくほどに呆れた。
「……それだけ?」
「勿論よ、でもこれくらいじゃない? 納得できる理由って。」
確かにそうなのだが、それじゃあ意味が無い。確かに、弥生が音に気付いていなかっただけではないと思ってはいた。
踏み切りの、黒と黄色の警告色。それは人の目を奪い、危険だと知らせるためのもの幾ら集中すると周りが見えなくなる弥生だとしても、あれには気付くはずだ。
私は何となく前を見る。そこには、山があった。この火葬場は山奥に建っているために周りに山があるのは当然だった。濃いほどの青、解りやすく言うのなら緑があった。それはむせ返るほど濃く、そして恐ろしいほどに多かった。
「私はね。警察が事故って言ったからたぶん事故なのだと思う。だって、側に居た中谷君には弥生を殺す理由が無いもの。」
私が、殺した。だから私は否定したかった。だが、私は何時まで経っても何もせずに、石川の為すがままになっていた。
多分、私はそう言って欲しいのだろう。私には罪は無いと、私はすべき事はやったんだと――…私の左手。つい、最近まで弥生が手を繋いでいた手を今は石川が繋いでいる。それは、繋いでいると言うよりも絡まされていると言うものだった。
石川が何かを言う。私は決してそれには答えず、まともに耳にすらしなかった。目の前には青い木々が溢れる。
視界の端に移る駐車場にとまる車は、白や赤と言った色とりどりの色彩があった。だが、その中で教師陣の車はたったの一台。建物内に居た教師は担任と副担任だけだった。こんな所に来れるのは親友だった石川と恋人の私だけだろう。私は山の手前に在る道路に目をやる。その道路は決してきちんと舗装された物などではなく砂利道だった。
そういえば、弥生の母親の実家は山奥で自分も山が大好きなのだと、前に弥生が言っていた。私は生きていた弥生を思い出す。弥生は優しく微笑う人だった。可愛く、そしてふんわりと微笑う。人を包み込むような優しさを持っていた。
左側で絡みつき、ただ言葉を放つ石川を無視し、私は火葬場へと入り込む道路の入り口にふと目をやる。
ミツケタ、
頭を掠める。記憶とあの日の色、あの私の記憶を凌駕した。
色彩――――……
「『赤』……」
私は口にする。その色彩の名を、その【記憶】の名を。
私の呟いた言葉に反応して、石川が動くのがわかる。だが、私は目線を外せなかった。まるであの日の朝を再現したかのように。
そこにはあの日の『赤』が立っていた。『あの日』と何一つ変わらぬ姿で。
「あ……」
お前は何者か、弥生を殺したのはお前か、色々と聞かなくてはいけなかった。聞きたかった。だが、あり過ぎてかそれとも、それを言わせない雰囲気を男が持っていたからなのか。ともかく、私は何もいえなかった。
男は、記憶の【赤】を纏い私を見つめていた。
待て、本当に男は私を見詰めているのか?
ふと、横を見た。そこには石川が不思議そうな顔をして私を見ていた。……私は再び男を見る。男は私を見て、そして―――
微笑う。
そうか、弥生は私の横に居た。それを、男は気付いて――、笑った。
口が裂けたように、微笑う。私に、そして弥生を、石川を見て、微笑う。
「何を、する気だ。」
無意識に、呟いた言葉は石川の耳に届き、私の顔を覗き込んだが私はそれを視界に入れることは無かった。この言葉で鼓膜を震わせる必要があるのはこの女ではなく、赤い髪をした。
男――――――
「お前は――っ、まだ何かするつもりなのかっ、!」
私は勢いよく立ち上がる。石川が戸惑うのを無視する。いや、戸惑うのに気付かない。そうだ、目の前に居る男にしか私の意識は無かったのだから。
何時の間に男が私の前に来ていたのか、私にはそんな疑問すら浮ばなかった。絶望の中、見つけた負の感情の捌け口。私を立ち上がらせる為の唯一の存在。それが、今の私にとってのこの男の存在理由だ。
憎しみ怒り、悲しみ、理不尽かもしれない。偶然にもここに居ただけなのかも知れない、だが、学校前の坂でどうして私に笑った。どうして弥生に笑った。どうして、今私に近づいた。どうして――――――、
この男は私に笑いかける…………?
男は裂けるように笑う。昔の都市伝説、口裂け女のように耳まで裂けているわけではない。一番、近いのは【不思議の国のアリス】。公爵夫人の飼い猫の不思議の国唯一の相談者、【チェシャ猫】の笑み。
あの三日月形の笑みを浮かべる男はその特徴的な『赤』を風に遊ばせる。
そして笑うのをやめ、今度は小さな不適な微笑を浮べ、口を開く。
「私は、君を助ける為の存在だ。」
石川はその声を聞いてかその場に座り込み、何の反応もしなくなった。私はようやく石川を私の意識の中に入れたのだ。石川は濁った、無感動な瞳でただ一点を見詰める。私はその視線の先を追う。そこには男の瞳があった。
私は衝動的な怒りに駆られ、男の胸倉を両手で力任せに掴む。
「石川に――っ、何をした!」
男は顔から笑みを失くすと私に呆れたように言い放った。
「私は君を救ったんだ。」
また、私の味方だと言うような言葉を放つ。それでも私は止まる訳が無い。その黒い服の襟首が伸びるのを男は少し気にするように服に目をやる。だが、それが返って気に喰わない。
「何が『救った』、だ! 弥生もそうなのか!? だが弥生は何もしていない! 何もしていないんだ――っ!」
私の言葉に男は、一つ溜息をつくと私の手を払う。簡単には払える力で掴んでなんていなかった。だが、男は蚊を払うよりも簡単に私の手を外す。音一つしない滑らかな動作で…
そうして、男は石川に手を伸ばそうとする。一瞬、三日前の弥生の事を思い出し咄嗟に男と石川の間に立つ。男はまた面白そうに笑うと、私に向き直る。
「君は…、この【石川】については、何も否定しないんだな。」
私に何処か企むような挑戦的な言葉をかける――、男は何かを知っているのか自信の満ち溢れた言葉を放つ。
「そうだよ、私は知っている。君は、この女が弥生を邪魔に思って色々な陰湿な虐めをしていたこと。そしてそんな事をしながら親友を演じていたこと。そんな偽善者の行為をしていた事を知っているのを知っている。私は君がこの女をよく思わずにむしろ嫌っていた事を知っている。私は、君が弥生を…」
「黙れ!!」
私の言葉に男はまた微笑む。 まるで、『それで良いんだ』とでも言うように。
男は私の肩を軽く押す。すると私の体の力が抜け、その場にへたれ込んでしまう。必死で力を入れて立とうとするが、腰が抜けたように動けない。いや、全身に力が入っていないと言った方が正確だ。だが、何故か私はその場に座り込む形で男を見詰めている。男は全て知っているように、知っていたかのように私に笑いかけ、石川を肩に担ぐと火葬場の方へと歩いてゆく。
動けない私には何も見えない。だが、男が離れてゆくのが解る。
(追わなくては)
追って、止めなくては。きっと男は私を救うと言って石川を殺してしまうだろう。それを阻止しなくては。
だが、思いに反して私の身体は一向に動かない。私は、じれったくなり消えかける男の足音に声をかける。
「名前は――っ、何だっ!」
男の足音が止まる。特に振り返るもしない身動き一つ、する音は聞こえてこない。もしかすると、男は消えてしまったのか? そう思ってしまうほどに静かだった。私は、ただその沈黙に耐えるだけだった。男が口を開き、息を漏らす音が聞こえる。
「何故、知りたい。」
確かに知る必要は無い。弥生をどうやって殺したのか、そちらの方が大事だろう。だが、この時の私にはそんな事考えも付かなかった。
「……お前が何者か、知るためだ。」
これは決して嘘ではなかった。この男が何者かさえ、私は知らないのだ。男は既に私の事を知っていると言うのに、だ。せめて私は男と同じ土俵に立ちたかった。男は微かな息をまた漏らす。違う、小さく微笑う。
「私は、【中谷 冬哉】(ナカタニ トウヤ)。君をよぉーく知っている存在だよ。……春樹?」
何処か挑戦的で、からかう様な言葉に私は腹が立ち後ろを振り返る(・・・・・・・)。体が動いた事には反射的に起こした行動であった為に気が付かなかった。そして勢いよく振り返り、私は怒りを忘れた。
既に、男は居なかった。
走ったにしては言葉から今の私の動作までさほど時間はかからない。だから、走っている所ぐらい見えるはずなのだ。だが、男は居ない。何故?
見えるのは灰色の飾りっ気のない建物と、長い大きな煙突。その建物の裏にはベンチに座っていた時に見えた山と変わらない山が。そして―――――、
燃える、弥生の体。その一部が、空へと舞い上がる。濛々と、私は天上へと旅立つとでも言うように。
私には、男が行ったと思われる火葬場の中へと走るしかなかった。
走って、中にたどり着いた時。弥生の体が焼き終わったと係りの人間が人を呼んでいた。
私はそうして奥から出てきた弥生のお母さんに話しかける。
「あの、石川を見ませんでしたか?」
私は男の事を伏せておいた。今、この人たちを混乱させるような事を言っても何の役にも立たない。むしろ冷静な判断が失われるかもしれないと思ったからだ。
弥生のお母さんは首をかしげて困った顔をする。
「さぁねぇ…、春樹さんと一緒に出てから見てないけど…?」
「嗚呼、有り難う御座います。」
私の少し落ち込んだ様子に弥生のお母さんはそっとと言うように聞いてくる。
「……石川さん、何かあったの?」
私は、弥生のお母さんの顔を見詰めて、本当に心配なのだと思った。私はお母さんに耳打ちする、小さい声で石川は居なくなったと。お母さんは少し慌てた様子だったが、私が肩を軽く叩くと落ち着いたように私の目をしっかり見据え、言った。
「私も、捜します。きっとここの何処かに居ますから。」
もう、弥生の遺骨を骨壷に入れなくてはならないと言うのに弥生のお母さんは真剣な形相で石川を探し始めた。私も、もう一度外へと出る。
先まで居たベンチには勿論、歩いてきた所も何も無い。私は顔を上げ、火葬場の入り口を見る。そこにも勿論、中谷 冬哉と言う男の姿は無い。
(火葬場の、裏手は……)
そういえば火葬場の裏手はまだ探していなかった。そう考え、火葬場の建物へと近付こうと建物を見たときだった。何かの、違和感を感じたのは。
違和感を辿ると、たどり着くのは空。空は憎々しいほどに晴れ渡り、弥生の死を祝っているようにも見えた。だからと言って雨を降らせと言っているのではない。弥生は、青空が好きだった。
立ち上る、煙が空に吸い込まれる。青空に誘われるように、きっと弥生は大好きな青空の中を泳ぐのだろう。
私は、火葬場の煙突の煙を眺めていた。
人を燃やす火葬場の煙を、見ていた。
今日は、弥生しか火葬はしない。弥生しか死んでいないからだ。そう、弥生と同時に燃やす遺体も、一つもありはしない。
ならば、どうして今煙が立ち昇っている。
弥生の火葬は終わった。彼女は、もうただの白い骨になった。既に外に出され、今遺骨に―――――――
「弥生のお母さん!」
私は遺骨を骨壷に納める親族たちに急かされて、箸で弥生の遺骨を拾おうとしていた弥生のお母さんを呼ぶ。彼女は、持っていた長い箸を隣に居た夫に渡すと、私の元に走り寄って来た。
「どうしたの、何かあったの、?」
何処か焦った様子のお母さんに、係りの人間を呼んで欲しいと言うとお母さんはすぐさま走り出し、係りの人間を呼んできてくれた。
喪服にすっきりとした顔立ちのこれと言って特徴の無い、普通の好青年と言った印象を持たせる男に私は問う。
「あの、先程使っていた物以外に火葬する機械などはありませんか?」
男は私の言葉にすぐさま【ある】と答える。私がそこへ案内して欲しいというと、男は弥生を火葬していた物の近くにあった壁の扉を開けようとする。だが、男が扉を引くと既に鍵は開いており、いや、壊れており簡単に開いてしまった。男は自分がミスしたと思いそれを隠す為か、何も無かったように貼り付けた暗い顔で言った。
「この中です。今は使っていませんが…」
私は男の言葉を聞かずに中に走りこむ、お母さんも私についてくるのが音でわかった。
中は真っ暗だったが一箇所、赤いランプが点ったところがあった。
私はそこに近づく。それには【使用中】と書かれており、その下には良く見ると【使用可】と書かれていた。突然、周りが明るくなり、係りが照明をつけたのだと解るのにそう時間はかからなかった。私は、男に声をかける。
「あの! これ【使用中】になっていますが、!」
男は私の言葉に慌てて走り寄る。そしてその顔が見る見る青くなったのを私は見てしまった。男はランプと操作パネルを見ると震える唇を開く。
「確かに使用されています。何も、焼く御遺体なんて無いはずなのに…。」
男も最悪の事態を予想したのだろう慌てて操作パネルを弄る。最終的には【緊急停止】を押す。すると、暫くして耳鳴りがするほどに静かになった。恐らく弥生の時から引き続いて聞いていた音だった為、耳が慣れてしまっていたのだろう。
男は次に【ドアの開閉】を押すと、私とお母さんに離れるように指示した。
微かに扉が開くと異臭がした。
どうやら、最悪の事態のようだ。
半分ほど、ドアが開くと高温の熱気が私たちの顔にかかる。それは耐えられないほどではなかったが、この先の事を考え私は弥生のお母さんの少し後ろに下がる。
あと、三分の一に達したところだった。背の高い私にはこの位置からでも見えた。
それは、決して見て良い物などではなかった。
茶色の異物だ。その原型を知っているからこそ、私は少し耐えられなかった。
覚悟をしていた為か私は冷静に弥生のお母さんの両目を塞いだ。お母さんは少し不思議がっていたが抵抗はしなかった。彼女も見たくは無かったのだ、自分の娘の親友の哀れな姿など。
まだ完全には焼けてなかったからが、茶色く爛れたそれは先程の弥生の亡骸よりも酷かった。愛する人間が骨になるのを見ると酷いと思うが、それ以上に、そして別の意味でそれは酷かった。生きながら入れられたのだろう、扉の近くで倒れる形をしていたそれは扉に手を伸ばしていた。
微かに残っている。人の形をしている、だからこそ、その惨状を目の当たりにしたような気になる。口だった穴は大きく開かれていた。きっと叫んだのだろう、その眼だったところは大きく穴が空いている。熱さと恐怖で目を見開いたのだろう。指先はぼろぼろに先が削れている、きっと出たいと引っかいたのだ。
彼女には、元々一本指が足りなかった。だからこんな状態でもわかってしまう。左手の親指は、指の付け根から無かった。
信じたくなかった、夢であって欲しかった。指があって欲しかった。彼女は火葬場の裏手の山に迷い込んだのだと、そうであって欲しかった。
だが、間違いない。これは、彼女だ。
石川 奈緒、だ。
「うぎゃあああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ―――!!!!!!!!」
男の叫び声が聞こえた。
だが、私は叫ばなかった。叫べなかった。
ほんの数日で、また、一人。大切な人を喪ったのだから。
たとえ本当の親友ではなくても、弥生には親友だった。そして、私にとっても。裏で黒いものが渦巻いていたとしても弥生と三人で笑いあったあの日常の中では、私にとって彼女は大切な友人だった。
二度目の絶望に、私は言葉を、失った。




