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春の赤 と 冬の白銀  作者: よづは
2/26

舞台に上がった彼は不適に笑い、繰り返す




 白い光を感じて、目を覚ました。

 ……いや、それは単なる気のせいだろう。正確には『夢の終わりが訪れたから夢から覚めた』、今までいたその場所から放り出されたから、こっちを見始めただけ。


 久しぶりに見たその夢は、本当に懐かしいほど幼い頃のものだと思う。だが、実際はたったの十一年前のことだった。そう、夢は夢ではなかった。

 【過去】。それは、そう呼ぶべきものだった。

 私にとって踏み切りは『赤』と表現するべき物だった。それは幼い記憶からくるものなのか、それとも他の人間も同じなのか、ともかく私にとってそれは『赤』だった。





 詰襟の制服に少し窮屈さを感じ、私は制服の前を開ける。

 本来はだらしないといわれるような行動、だけど、こんな息苦しい制服を着せられてこんな格好をするなと言う方が無理難題だ。この制服は製作者の趣味なのか?それとも着た人間が何を思うのかを考えずに決めたのか?何度も疑問に思ったことがある。とにかく、私はこのきっちりと着用すればかならず息苦しさを伴うこの制服が、大嫌いだった。

 まあ、ブレザーでネクタイを着用しなければならないよりはマシだろう、とも思う。とは言っても、少しばかり熱くなる事があるこの季節だ、たまには辛いと思う時もある。

 私の通う高等学校へと続く、急な坂で、私はそんな事を考えていた。

 体力づくりを強制するかのような斜面、益体も無い考えが出てくるのはしょうがない事だろう。しかし嫌味に聞こえるかもしれないが、私はこの坂が嫌いではない。山の上にある学校に行く以外にこの坂を上る人間など居ないと思うのだが、何故か明らかに学校に関係のなさそうな容貌をした人間が良くこの坂を通る。

 そんな人間を観察するのが、私のひそかな楽しみだ。


 それなのに、今日は何故かそんな人間が居ない。

 その事実を少し残念だと思ながら、ただ下を見て校門までの残る僅かな坂を上ろうと思った、その時だった。


 ジャリッ、


 突如私の耳に届いた異音、それは――砂を踏む音。

 この道はきちんとアスファルトで舗装されているが、道の両側は山だ、そんな砂の音がしてもおかしくはない。

 おかしくはないのだが、それでも私は、その音に反応して顔を上げた。

 普段ならば感じないものを感じているという実感、日常の中にあってはならない物がある異物感、それは『違和感』の名前を持って、私の中にのしかかる。

 違和感に押し上げられるようにして、私は下がっていた顔を上げ、


 そして顔を上げる寸前で、私は違和感の元凶に気付いた。

 視界の隅に入った、足音の元凶たる『足』。 

 その足が、下に向いているのだ。

 ここを通る人間を見ることはある。が、それは何故か皆のぼりの人間で、私の通る時に下る人間は居なかった。

 居ない物が居るという、一つの実感。

 それとはもう一つ、突き刺すように感じる違和感がある。

 それは『視線』。

 完全に顔を上げずとも気付くもう一つの違和感、それが、私に向かって投げかけられている視線の存在だった。

 つまり、この足の持ち主は今歩を止めていて、あろうことか私の姿を凝視している、と言うことになる。

「…………っ」

 這い上がってくる猛烈な異物感、日常の中に入り込んだ誤植の存在を全身で感じながら、私はその人物を視認するべく顔をあげ――――

 そして、顔を見たとたんにたった一つの『色』に思考を奪われた。


 病的までに白い肌、全ての【闇】を織り成したかのような漆黒の長衣。

 細身の身体に吸い付くような服であるために筋肉があることに気付くが、もうそんな事まともに認識は出来なかった。

 そう、私は文字通り目を奪われていた。


 深く、濃い『赤』に

 その、長い長い『緋色』の髪に―――


 それは、確かに今朝見た夢。幼い記憶の中で最たる程の鮮明さを誇る、記憶の中の男。

 その髪が決して染めた物などではなく、その男の所有する『地毛』であると、私は理解した。知っているわけではない、理解しているのだ。その男の髪が、生誕から今までその色を保ち続けていた、ということを。

 染めるなどという安直な行為で、安易に出せるわけではない程、その色彩は深すぎる事を――。


 その髪の持ち主は、ただ私の事を見詰めていた。

 その琥珀のような美しい茶色の目で、

 ある意味では、いとおしげに。



 口元に、まるで裂けているかの様な笑みを浮かべて―――――




「春樹君?」

 唐突に声をかけられた。

 驚いて反射的に向いた先、そこにはショートカットの小柄な少女がいる。

 微かに吹く風が少しだけ、彼女の髪を攫う。その髪色は茶髪、男の髪には似ても似つかない――――

 反射的に前を向く。

 そこには男は居なかった。

 坂の下のほうを見ても、男の赤い髪は愚か、いっぺんの赤い色すら見えない。上りを見てもそこには男は愚か、生徒の姿すらない。

 驚愕と困惑、二つが混合したかのような表情で、私は辺りを再び見回し、

「春樹君? どうしたの?」

 私の思考など何処吹く風で彼女、タチバナ 弥生ヤヨイは私に声をかけてきた。

 ただ前に居た男を見つめる姿が奇妙に見えたのだろうか、不思議そうな表情を浮べる弥生に、私は、

「えっ、ああ、ごめん」

「ごめんじゃないよ。春樹君、どうしたのそんな風に突っ立って…?」

 小首をかしげる弥生。その姿は綺麗と言うよりも愛らしい。私を見つめるクリクリとした大きな黒い瞳に私の顔が映る。

「いや、あまりにも変わった髪色の人を見たもんだから、つい……」

 私はもう一度、男の立っていた場所見た。

 髪の一本は愚か、そこには誰かがいた痕跡すら見当たらない。髪の一本でもあればあの男の存在を証明できるが、現状では、不可能だろう。

「春樹君の銀髪じゃなくて?」

 私の頭、あの男と同じ程度の、腰までの長さがある銀髪を見詰め、弥生は何処か神妙に問いかけてくる。

 簡潔に、私は頷いた。

 再び弥生のほうへ向き直る。

 弥生は少し下を向いてからまた、不思議そうな顔をして言った。


「春樹君以外、誰も居なかったけど?」


 奇妙な答えだと、そう思えた。

 そうだ、私以外誰も居ないわけがないのだ。なにしろ、

「今さっき、弥生が声をかけるまで居たはずだけど?」

 そうだ。居たはずだ。男は確かにそこに居て、弥生の言葉と同時に消え去った。それが私の認識。

 しかし、弥生が再び返してきた返答は、肯定ではなく否定だった。

「春樹君、大丈夫?」

 私の心配をする弥生の表情は嘯いている顔ではない。

 ………何か、私が思い違っていたのか…?

 内心で思い、私は表情を僅かに和らげた。

「いや、大丈夫だ。多分寝ぼけてただけだ。」

 そう? と弥生は笑顔を浮かべる。

「じゃ、一緒にいこ?」

 いって私の左手に腕を絡ませ、弥生は坂の上へと私を引っ張る。

 弥生は私の彼女だ。こうする事に不思議はない。

 告白を受けたのは高校に入ってすぐ、一年生の頃。勢いでOKしたが、かなり人を気遣うタイプのようで余り踏み込んで欲しくないところには踏み込んでこない。私のトラウマの事も知っているのか、過去については一定の部分を避ける。

 だからなのか、私は弥生のことを好意を持って受け入れられた。

 恋人なのだから、当然だと思うのだが、それでもそんな思いがない恋人も居るのだ。私には理解出来ないことだが、それは少なくとも事実。だからこの関係も、ある意味では幸いといえるのだろう。



 何かを理解できなくともその疑問を置き去りにして、時間は進む。


 そう、既に授業は終わり、私と弥生は帰り道の坂を既に過ぎていた。


 あの男は何なのか、思考の中へと沈む。

 記憶の中の男よりほんの少しだけ老けていたように見える。記憶の中の男は今の私と同じ年程度、だが朝の男は私より二歳ほど年上に見えた。恐らく記憶の中の男は十七歳、今朝見た男はそれが正しいとして十九歳。外見的にもそれが相応なのだろうが――――如何せん、情報が少なすぎる。今の状況では、何も断言出来ないのが現状だ。


「春樹君、今日は何だかぼ~っとしてたね。」

 弥生は小さく微笑んで私を見る。

 高校二年生、私達は同級生だが、同じクラスではない。学校での弥生の人気は中々に高いが、【私の恋人】になった途端、弥生への告白は止んだそうだ。

『私の事を良く知ってるのは、春樹君だけだよ』

 何時だったか、そんな風に弥生は嬉しそうな微笑を浮べていた。

 


 何となく、弥生に競争をけしかけた私は、いつものように途中で競走に飽きた弥生と左手を繋いで歩く。何が駄目なのだろうか、私の右手は誰とも繋いだ記憶がない。

 夕焼けに照らされた道。それは記憶には似ても似つかない橙色。

 私は案外この色が好きらしい。理由なんて子供の頃から好きだったので覚えていない。多分単純な理由だったのだろう。

「弥生は…空に花が咲いたら、何色だと思う?」

 町の中、横にある道を辿れば必ず駅に着く場所。回りくどく言えばそうだ。直接的に言うのならば踏み切り。

 弥生は突然、かけられた奇妙な問いに少しの戸惑いを見せるが、私が突然変な事を言うのは慣れているかのように直ぐに戯れるような笑顔で、走り出す。

 そういえば、もうすぐに電車が発車する時刻だ。私は腕時計を見てそう思った。


「空、だよね?」

 可愛いその顔が、私のほうを見る。だけど、左手にはもう彼女の手は無い。何処か、寂しげな思いが頭を掠める。


カン、カン、カン、カン


 踏切が鳴り出す。

 そういえば、夢も踏み切りだった。


ガタンゴトンガタンゴトン


 駅が近いからなのか、直ぐに電車は来る。踏み切りの音と電車の音は早く、激しく音を響かせる。

 既に遮断機は下りていて、私と走り出した弥生の間を一本の遮断機が塞がる。


 …ちょっと待て…?


 遮断機は一本だったか…?


 弥生は何故か音にすら気付いていない。私がかけた問いかけに真剣に悩んでいる。

 そのまま進んでくれたのなら良いのだが、そう思いながら私は走り出す。

「弥生!」

 私の声に弥生は立ち止まり、こちら振り向く。


「なあに? 空の花の色なら決まったよ。」

 踏み切りの真ん中で、弥生は微笑む。必死で走る私を不思議そうに見つめて楽しそうに微笑う。


カンカンカン、ガタンゴトンガタンゴトン、カンカンカン




「花の色はねぇ…」

 弥生は直ぐ真横にあった鉄の塊に気付かないまま。


 いつものように、微笑んで……――――――





グヂョッ、





 聞き覚えのある音と色が私の聴覚と視覚を支配する。

 肉と骨の砕け、破れる音。


 いや、肉袋が破れる音。肉がちぎれる音、肉の袋から血の飛び出る音。それらを引き起こした元凶、鉄の塊は色を添えられている。

 中には沢山のイキモノが……


 テツノイキモノガ、オンナノヒトヲ……


 

 目の前に広がる色彩は、私の記憶に染み付く『赤』

 大切な人に染まる、私を自覚する―――――――っ



「うわあああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――――!!!!!!」









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