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第9章 湯上がり令嬢のクレームと、試作品(プロトタイプ)による事業提案

1

「ちょっと! どういうことよ、今日の営業は休みだなんて!」

大衆浴場の崩れかけたボイラーの前で、俺とダリアが頭を抱えていた時のことだ。

バンッ!と勢いよく地下室の扉が開き、一人の少女が怒鳴り込んできた。

金糸のような美しい長い髪に、スラムには似合わない整った顔立ち。年は俺たちと同じ、十六歳くらいだろうか。しかし、その顔は怒りで真っ赤に染まっていた。

どこかで見たことがあるような気もするが、今の俺の脳内データベースは素材と特許のことでパンパンだ。思い出せないし、思い出す余裕もない。

「私の毎日の唯一の楽しみである『一番風呂』が! ひと月ぶりにやっとまともな熱いお湯に入れるようになって感動してたのに、なんでまた急に閉まってるのよ!」

「……はあ? なんだお前、急に入ってきて。客なら表の『臨時休業』の札を見ただろ」

俺は徹夜の疲労と苛立ちから、つい声を荒げた。

「炉の土台が熱暴走メルトダウンして崩れかけてるんだよ! 物理的なハードウェアの欠陥だ、文句を言われたって直るもんじゃない!」

「直すのがあんたたち経営者の責任でしょうが! 私はあの熱いお湯じゃないと満足できない体になっちゃったのよ!」

ズカズカと詰め寄ってくる少女。とんでもないクレーマーだ。

「うるさいな! だったら、青い炎の熱に耐えられる『超耐熱素材』でも持ってきてから文句を言え! そんな都合のいいもん、スラムのその辺に転がってるわけ……」

「あるわよ。森の奥のダンジョンに」

「……は?」

少女は腕を組み、ふんっと鼻を鳴らした。

「『ミスリル』よ。鉄よりも遥かに硬く、どんな高温にも耐える幻の鉱石」

「ミ、ミスリルだと……!?」

ダリアがハンマーを落として叫んだ。

「お前、本当に言ってるのか!? そりゃお伽話の金属だ! もし実在するなら、熱にも圧力にも耐える究極のインフラ素材になるぞ!」

「実在するわよ。でも、市場じゃ誰も見向きもしない『ゴミ扱い』だけどね。硬すぎるのよ。ギルドが持ってる一番高位の魔法特許の炎を何日当てても、一ミリも溶けないんですって。加工できないならただの石ころと同じでしょ?」

俺とダリアは顔を見合わせ、同時にニヤリと笑った。魔法に依存しない物理法則の極致、ダリアの反射炉の『青い炎』なら確実に溶かせる。

「場所はどこだ! 頼む、教えてくれ!」

俺はさっきまでの苛立ちも忘れ、少女に詰め寄った。

「場所は東の森の奥のダンジョンよ。でも、あんたみたいなヒョロヒョロの小間使いが、魔獣がウヨウヨいる森に行けるの? スライムにすら負けそうな顔してるじゃない」

少女は偉そうにふんぞり返った後、やれやれと肩をすくめた。

「まあいいわ。私のお風呂を復活させるためよ。優秀な『護衛』を紹介してあげるから……ついてきなさい!」

「あ、言い忘れてたわ。私の名前はセシリアよ。早くお風呂を直しなさいよね、変な子」

2

セシリアに強引に連れられ、俺たちは王都の冒険者ギルドを訪れていた。

荒くれ者たちが集う酒場のような空間で、彼女は迷うことなく奥のテーブルで頭を抱えている一人の青年に近づいた。

「アレン! ちょうどいいところにいたわね。ちょっと手伝いなさい」

「……セシリア。お前、また勝手にこんな危険な場所に出入りして。今度は一体どんな厄介事を持ち込んできたんだい?」

アレンと呼ばれた青年は、身の丈ほどもある巨大な剣を傍らに置き、ひどく疲れた顔でため息をついた。まるで、お転婆な妹に振り回される苦労人のお兄ちゃんといった様子だ。

しかし、彼から放たれる魔力と身体能力のオーラは桁外れだった。スラムには絶対に存在してはいけないレベルの強者だ。

「厄介事じゃないわ。私の行きつけのお風呂が壊れちゃったから、直すための石ころを森のダンジョンまで取りに行くのよ。あんた、護衛しなさい」

「お風呂? 石ころ? 君ねえ、僕だって暇じゃないんだ。それに見てごらんよ、この剣を」

アレンは傍らの大剣をテーブルに置いた。

見れば、その分厚い鉄の刃はボロボロに刃こぼれし、無数のヒビが入っていた。

「僕の身体能力と魔力に、ギルドの鍛冶屋が打った鉄の剣が耐えきれないんだ。一度の討伐でこの有様さ。こんな状態じゃ、森の奥深くの魔獣の巣窟になんて行けないよ」

「(……なるほど。高すぎるスペックに、ハードウェア(武器)が追いついていないのか)」

俺の脳内で、完璧な事業計画ビジネスモデルが組み上がった。ビジネスにおける最強の交渉術は、言葉ではなく「実物プロトタイプ」を見せることだ。

「ダリア。あれ、持ってるか?」

「ああ。予備で打っておいた長剣サイズのやつだな」

俺の合図で、ダリアが背中の布包みから一本の剣を取り出し、テーブルの上にドンッと置いた。

装飾の一切ない、無骨で鈍い輝きを放つ刃。特許魔法のゴミではなく、青き炎と鉄槌で極限まで鍛え上げられた『真の鋼』の剣だ。

「アレンさん、とおっしゃいましたね。とりあえずの代用品として、この剣を使ってみてください」

「え? 君は……? いや、気持ちはありがたいけど、その辺の鉄じゃ僕の魔力を通した瞬間に……」

アレンは苦笑しながら鋼の剣を手に取り、軽く魔力を流し込んだ。

——次の瞬間、彼の目の色が変わった。

「なっ……なんだ、この金属は!?」

アレンはガタッと席を立ち、震える手で剣の刀身を撫でた。

「僕の膨大な魔力を、一滴も弾かずに吸収している……!? ギルドの鉄じゃない! これほど強靭で、密度が高く、しなやかな金属なんて見たことがない!」

「俺と彼女の技術で作った『はがね』です。ギルドの脆い鉄とはレベルが違う。……ですが」

俺は持ち前の営業スマイルを浮かべ、彼を真っ直ぐに見据えた。

「あなたの規格外の力では、この最高の鋼ですら、いずれは摩耗してしまうでしょう。そこで俺たちから提案ビジネスがあります」

「提案……?」

「俺たちは、市場で誰も加工できないと言われている『ミスリル』を溶かして打つ技術を持っています。俺たちをダンジョンの採掘ポイントまで護衛してください。その代わり、報酬として……『勇者であるあなたに真に相応しい、ミスリルの剣』を一から打って提供します」

鋼のプロトタイプで圧倒的な技術力を見せつけられたアレンに、もはや断る理由などなかった。

「……本当に、僕の力に耐え切るミスリルの剣を作ってくれるのかい?」

「俺の設計と彼女の腕に誓って。絶対に壊れない、最強の剣を」

アレンは鋼の剣を力強く握りしめ、顔を上げて破顔した。

「分かった。君たちのその技術に賭けてみよう。よろしく頼むよ、小さな経営者さん」

3

翌朝。

俺、ダリア、そして『勇者』クラスの実力を持つアレンの三人は、ミスリルが眠るという未踏の森の入り口に立っていた。

「よし、アレンがいれば魔獣対策セキュリティは万全だ。採掘用のピッケルも持ったし、行くぞ!」

「ええ、さっさと済ませてお風呂を復活させなさい」

当然のように俺の隣を歩き出すセシリア。

俺は慌てて彼女の肩を掴んだ。

「いやいやいや! なんでお前までピクニックみたいな顔してついて来てるんだよ!? 森の奥だぞ! 魔法も使えなさそうな箱入り娘が来ていい場所じゃない!」

「当たり前でしょ。あんたたちが途中で逃げ出したり、ミスリルを独り占めしないか『監査』するためよ。言ったでしょ、私のお風呂がかかってるの」

彼女は毅然とした態度で、ふんっと胸を張った。

魔獣の恐怖など微塵も感じていないらしい。ただの世間知らずのお嬢様か、それとも頭のネジが数本飛んでいるのか。

「アレン! こいつを止めてくれよ!」

「……ははは、無理だよ。彼女が一度言い出したら、誰にも止められないんだ。僕が責任を持って守るから、連れて行ってやってくれ」

アレンが諦めたような笑顔で肩をすくめる。

俺は深くため息をついた。

「好きにしろ。ただし、危なくなっても俺は戦えないからな。自分の身はアレンに守ってもらえよ」

「自分の身くらい自分で守るわよ。さ、行くわよ!」

こうして、元・時価総額一兆円の経営者、天才ドワーフの少女、苦労人の最強勇者、そしてクレーマーのワガママ令嬢という、あまりにも歪なパーティによる「究極のハードウェア調達プロジェクト」が幕を開けた。

俺たちは、鬱蒼と茂る魔の森の奥深くへと足を踏み入れた。まさかこのダンジョンで、セシリアの真の能力バグを思い知ることになるとは、この時の俺はまだ予想すらしていなかった。

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