第7章 青き炎の遺産と、小さなドワーフの鉄槌
1
『真の鋼を鍛えるには、まず「最も冷たい炎」を探せ。それは、王都で最も熱い場所に眠っている』
廃工房で見つけた暗号文を前に、俺は数日間、馬小屋の掃除をしながら頭を悩ませていた。
「最も熱い場所」で「冷たい炎」を探す。とんちのようだが、俺は前世の理科の知識、すなわち「燃焼工学」の記憶を引っ張り出し、一つの仮説に辿り着いた。
「(……炎は、温度が上がるほど赤から黄色、そして『青』へと色を変える。この世界の人間にとって青は水や氷を連想させる『冷たい色』だが、物理現象としては青い炎こそが最も熱い完全燃焼の証だ)」
つまり探すべきは、魔法ではなく物理的な手段で「青い炎」を生み出す特殊な燃料(コークスや特殊炭)か、その構造だ。
では、王都で最も熱い場所とはどこか?
鍛冶ギルドの総本山か? いや、特許魔法の炎に依存している連中の炉は、ただ赤い炎を上げているだけで温度は低い。
物理的に最も大量の熱量を必要とし、かつドーバン爺さんが過去に出入りできた場所。
それは、スラムと平民街の境界にある、王都最大の『市営大公衆浴場』の地下ボイラー室だ。あそこなら、魔法特許を使えない下民のために、毎日大量の薪と石炭が燃やされている。
俺は深夜、屋敷を抜け出して大公衆浴場の裏手へと向かった。
巨大な煙突から黒煙が立ち上る地下ボイラー室。俺は【万能】の微細な魔力操作で鍵のシリンダーを弄り、こっそりと内部へ侵入した。
むせ返るような熱気と石炭の匂い。
だが、その奥の灰捨て場に、不自然な魔力波長を放つ隠し扉を見つけた。ドーバン爺さんの残した金属のシリンダー(鍵)を差し込むと、カチャリと重い音がして扉が開く。
その瞬間。
「……動くな。泥棒稼業にしては、随分と理屈っぽい場所を狙うじゃないか」
背中から、重鈍な金属器を突きつけられた。
2
振り返ると、そこには煤だらけのオーバーオールを着た、俺より少し背の低い少女が立っていた。
年の頃は俺と同じくらいか。尖った耳と、小柄ながらも筋肉質で引き締まった腕。そして何より、暗闇でも爛々と輝く意志の強い瞳。
「ドワーフ……? いや、ハーフか?」
「アタシはダリア。お前が手にしてるその鍵は、三ヶ月前に死んだアタシの爺ちゃん……ドーバンのものだ。どこで盗んだ?」
ダリアと名乗った少女は、鋭い声で俺を問い詰めた。
なるほど。彼女もまた、祖父の残したメッセージを追いかけてここまで辿り着いていたのか。だが、最後の暗号の意味が分からず、このボイラー室で足止めを食らっていたらしい。
「盗んでない。あんたのお爺さんが残した『メッセージ(合金銅貨)』を解読して、テストに合格したただのエンジニア志望さ。……ダリア、あんた『冷たい炎』の正体が分かるか?」
「冷たい炎? 氷の特許魔法と火の魔法の合成か何かだろ。アタシは魔法はからきしだから、その先が進めなくて……」
「違うよ。炎は、酸素と完璧な比率で結びつき、限界まで温度が上がると『青く』なる。青(冷たい色)の炎こそが、魔法の炎すら凌駕する超高温なんだ」
俺がそう説明すると、ダリアはポカンと口を開けた。
俺たちは隠し扉の奥に足を踏み入れた。そこには、特殊な通気口が設けられた小型の石窯と、見たこともない蒼黒い鉱石(特殊なコークス)が山のように積まれていた。
「……信じられない。爺ちゃん、魔法(特許)を一切使わずに、通気口の空気の流れ(ドラフト)だけで完全燃焼を起こす環境を作ってたのか……!」
「ああ。そしてこれが、あんたのお爺さんが遺した『本命』だ」
石窯の中央に安置されていたのは、分厚い革張りの手記と、一枚の分厚い設計図だった。
3
ダリアは震える手で手記を受け取り、そのページをめくった。
そこには、反射炉と呼ばれる超高温炉の設計図と共に、見開きいっぱいに不器用な文字でこう記されていた。
『愛する孫娘、ダリアへ。
お前はドワーフの血を引き、誰よりも力強く、美しい鉄槌を振るう才能がある。だが、この腐った特許社会では、魔法の使えないお前が自分の工房を持つことは一生叶わないだろう。
だからワシは、魔法特許を一切必要としない、物理法則の極致である「反射炉」の設計図と、この青き炎の燃料をお前に遺す。
お前一人では、この難解な炉の制御は難しいかもしれん。だが、もしお前がこの場所に辿り着いた時、隣に「青い炎の理屈を理解できる変わり者」がいたのなら。
どうかその者と手を組み、ワシの果たせなかった「魔法を超える真の鋼」を打ってくれ。
お前の打つ鉄は、絶対に世界一だ。』
「爺ちゃん……っ!」
手記を抱きしめ、ダリアは大粒の涙をこぼして泣き崩れた。
偏屈で不器用だった天才エンジニアは、最後までギルドに屈することなく、愛する孫娘の未来のためにすべての技術をここに隠していたのだ。
俺は黙って彼女が泣き止むのを待った。
俺には、前世からの知識と、事業を構築する戦略がある。だが、俺の細腕では鋼を打つことはできない。
ダリアには、最高の鍛冶技術と、祖父から受け継いだ情熱がある。
「……ダリア」
涙を拭い、顔を上げた彼女に向けて、俺は右手を差し出した。
「俺の頭の中には、この世界のインフラを根底からひっくり返す巨大な設計図がある。でも、俺にはそれを作る腕がない」
「……お前、ただの馬小屋の小間使いみたいな格好してるくせに、随分とデカい口を叩くじゃないか」
「俺はレオ。時価総額一兆円の事業を作る男だ。——どうだ? あんたのお爺さんの遺言通り、俺と共同出資を結ばないか?」
ダリアは俺の顔をじっと見つめた後、鼻をすすり、その無骨で力強い手で、俺の手をガッチリと握り返した。
「……いいだろう、レオ。アタシの鉄槌と爺ちゃんの炉で、ギルドの連中の腐った特許ごと、この世界を叩き直してやる!」
4
それからの日々は、まさに『価値創造』の連続だった。
俺とダリアは、東の廃工区にあるドーバンの工房を秘密裏に復活させた。
俺の仕事は、前世の知識に基づく【反射炉】の最適な組み上げと、俺の微細なカス魔法による「炉内の酸素濃度の完璧なコントロール(チューニング)」だ。
ダリアの仕事は、青き炎で溶かされたドロドロの鉄を、限界まで鍛え上げる「鍛造」の工程。
カーンッ! カーンッ! カーンッ!!
廃工房に、数年ぶりに命の鼓動のような鉄槌の音が鳴り響く。
特許魔法の生温い炎で妥協して作られたこの世界の「脆い鉄」とは違う。不純物を完全に焼き尽くし、炭素を完璧な比率で定着させた、真の【鋼】。
シューゥゥゥッ!
ダリアが赤熱した刃を水に浸け、水蒸気が工房を満たす。
冷やされたその金属は、鈍く、しかし恐ろしいほどの鋭利な輝きを放っていた。
「……できた」
ダリアが息を呑み、俺もその鋼の板に見惚れた。
ギルドの特許を一切使わず、物理法則と職人の腕だけで生み出された、世界最強のハードウェア技術の結晶。
「(……これで準備は整った。最強の素材を手に入れた今、もはや俺を縛れる鎖はない)」
五年の停滞を経て、俺の事業計画はついに実証実験(フェーズ2)へと突入する。
ここから先は、俺たち下民による、特許貴族どもへの容赦ない「市場の逆買収」の始まりだ。




