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第12章 特許庁の絶対防壁と、ポンコツ助教授の恋煩い

1

天才付与魔術師、クロエ。

彼女の技術スキルを事業に引き入れるべく、俺は意気揚々と王都の特許庁へ向かった。……そして、開始十分で巨大な壁にぶち当たることになった。

「(……そうだった。特許庁は、あのグランヴェル侯爵家が管轄する組織だったな)」

王都の一等地にそびえ立つ特許庁の建物は、物理的にも魔術的にも完全な要塞だった。

かつて俺たちの『蒸気機関』を理不尽な権利で叩き潰したギデオン(アーサーの長兄)の息がかかっている場所だ。入り口には厳重な警備が敷かれ、特許の機密性ゆえに、内部の職員に面会するだけでも何重もの身元審査と許可証が必要になる。

スラムの小間使いである俺が「ちょっと御社の技術者とお話が」などと近づけるはずもなく、門前払いを食らう以前の問題だった。

「(マズい。彼女に接触すらできないなら、ミスリルの再付与エンチャントを依頼することなんて絶対に不可能だ。どうにかして別ルート(コネ)を探さないと……)」

俺は頭を抱えながら、かつて入り浸っていた魔術学院近くの安い居酒屋へと足を向けた。情報収集の基本は、足で稼ぐことだ。

2

居酒屋の暖簾をくぐると、店内は妙な熱気に包まれていた。

客たちの視線の先には、真っ赤な顔をしてジョッキを握りしめ、何やらぶつぶつと呟いている万年助教授・クロード(四十代手前・独身)の姿があった。

「おやじ……どうすればいい。俺の第44号特許よりも複雑なこの胸の鼓動……これが、恋か……!」

「うっさいよクロード! 酔っ払いの恋バナなんて酒が不味くなるんだよ!」

店主が呆れ返っている。どうやらこの堅物の特許マニアは、年甲斐もなく若い女性に本気の恋をしてしまったらしく、居酒屋の格好のネタになっていた。

俺は呆れながら彼の隣に座り、ため息をついた。

「おじさん、いい歳して何やってんの。こっちは事業の壁にぶつかって頭が痛いっていうのに」

「れ、レオ! お前には分からん! 彼女の……あの流れるような術式構築! 第7層の疑似付与マトリクスに対する美しき解釈! 俺のマイナーな特許論文を『無駄がなくて好きです』と言ってくれたあの微笑み!」

「はいはい、で、その相手はどこの物好き……」

「特許庁の専属付与魔術師、クロエ君だ」

俺は飲んでいた水を盛大に吹き出した。

「はあ!? ク、クロエって、あの魔女イレーネの元弟子の!?」

「そうだ。月に二回ほど、この魔術学院に客員教授として教鞭を執りに来るんだ。特許の知識なら誰にも負けない俺と、最高の付与技術を持つ彼女。講義後の準備室での会話は、まさに知の共鳴シンクロニーだった……!」

俺はクロードの肩をガシッと掴んだ。

「おじさん! それだ! その月に二回のタイミングなら、特許庁を通さずに彼女と接触できる! 俺をその準備室に同行させてくれ!」

「な、なんだと? 邪魔をするな、次こそ俺は彼女を食事に誘うつもりなんだぞ!」

「あら、面白そうな話をしてるじゃない」

突然、背後からひょっこりと顔を出したのは、なぜか居酒屋までついてきていた金髪の令嬢、セシリアだった。

3

「四十手前のおじさんの、遅れてきた青春? ふふっ、いいじゃない! 燃えるわ!」

セシリアは目をキラキラと輝かせ、バンッとテーブルを叩いた。

「レオ! お風呂の修理ミスリルも大事だけど、こういうのは放っておけないわ! 私が愛のキューピッドになって、二人を完璧にくっつけてあげる!」

「お前は引っ込んでろ! これは俺の事業継続に関わる重大な……」

「あら、彼女の機嫌を良くした方が、あんたの交渉もスムーズにいくんじゃないの?」

痛いところを突かれた。確かに、魔女との確執を抱える彼女にいきなり違法な付与を頼むより、クロードとの仲を取り持って恩を売る(関係値を築く)のは理にかなっている。

「……セシリア、お前、他人の恋愛のサポートなんてできるのか?」

「失礼ね! 前世……じゃなくて、昔からそういう宮廷の……じゃなくて、ご近所の恋バナには精通してるのよ! 任せなさい!」

こうして数日後。

クロエが魔術学院を訪れる日。俺とクロード、そして無駄に気合の入ったセシリアの三人は、学院の準備室の前で作戦会議を開いていた。

「いい? クロード。まずはスマートな挨拶よ。そしてさりげなく花を渡して、彼女の髪型を褒めるの。レオは後ろで空気になってなさい!」

「わ、分かった……! スマートな挨拶、花、髪型……よし!」

コンコン、とドアを叩く。

「はい、どうぞ」という凛とした声と共にドアが開いた。

そこにいたのは、知的な銀縁眼鏡をかけ、白衣を羽織った二十代の美しい女性だった。近寄りがたいクールな雰囲気を纏っているが、目元にはどこかイレーネおばさんに似た気の強さがある。

「あ、あの……ク、クロエ君!」

クロードがガチガチに緊張しながら一歩前に出た。

「クロード先生。今日は特許法第18条の解釈についてのお話でしょうか? 先日の先生の考察、とても興味深くて……」

クロエの頬が、ほんの少しだけ朱に染まっている。

(……おいおい、これ本当に脈アリじゃないか)と俺は驚いた。

「そ、そう! 18条の解釈! いや違った、君の髪型! まるで『第302号特許:螺旋暴風』のように美しく巻かれているね!」

「……は?」

クロエの笑顔がピキッと固まった。

「バカ! なんで髪型を暴風魔法に例えるのよ!」

物陰に隠れたセシリアが小声で絶叫する。

「あ、ああっ! 違うんだ、これを受け取ってくれ!」

クロードが慌てて背中から取り出したのは、美しい花束……ではなく、彼が徹夜で書き上げた『カス特許の有効活用に関する分厚い論文の束』だった。

「こ、これを君に! 愛を込めて書いた!」

「……論文を、愛を込めて? クロード先生、私をからかっているんですか?」

クロエの冷ややかな視線が、絶対零度の吹雪のように準備室の温度を下げる。

4

「(……ダメだ、このおっさん! 致命的にコミュ力が欠如してる! 事業ビジネスが破綻する前に俺がリカバーしないと!)」

俺は慌てて飛び出し、クロエに名刺代わりの笑顔を向けた。

「初めましてクロエさん! 俺はレオ! 実はこのクロードの友人でして、今日はあなたに『ミスリルの絶対耐熱』の再付与という、極秘のビジネス……」

「ストォォォップ!!」

俺が本題に入ろうとした瞬間、後ろからセシリアが俺の首根っこを引っ掴んで引きずり倒した。

「空気読めないの!? 今は恋の駆け引きの最中よ! ええと、クロエさん! このおじさん、不器用だけど本当はすっごくあなたのことが好きで、昨日も居酒屋で……」

「ちょ、セシリア嬢! 居酒屋の話は! ああっ、私の尊厳が!」

「なっ……居酒屋で私の名前を出して騒いでいたんですか!? 最低です!」

準備室は大混乱に陥った。

恋愛経験ゼロの特許マニアによる的外れなアピール。

面白がって燃料を投下し続けるお転婆令嬢。

そして、クールな仮面が剥がれて真っ赤になって怒る天才付与魔術師。

「待ってくれ! 俺の話を! ミスリルの加工にどうしてもあんたの技術が……!」

俺は床を這いずりながら叫んだが、怒り心頭のクロエに完全に無視された。

「クロード先生のバカ! もう知りません!」

クロエは論文の束をクロードの顔面に叩きつけると、真っ赤な顔で準備室から飛び出していってしまった。

「ああっ……クロエ君……! 私の青春が……!」

論文の紙吹雪の中で、クロードが崩れ落ちる。

「あーあ。上手くいきそうだったのに、レオが邪魔するからよ」

「お前のせいだろがぁぁぁっ!!」

特許庁の壁を迂回するはずの作戦は、セシリアの過剰なお節介とクロードの恋愛スキルの低さによって、無惨にも粉砕された。

ミスリルの剣の完成は、ますます遠のくばかりだった。


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