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翌日の交渉は、前回よりも多くの人が集まった。
アルベニア側は、リュシアン王太子に加え、ヴァルデ大神官と三名の将軍。
魔王軍側は、ヴィルに加え、三名の上位魔族の将軍格。
礼拝堂の大きなテーブルを挟んで、それぞれが向かい合った。
私は、記録係として——それと、何かあった時の「緩衝材」として——中央に立った。
「前回の確認から始めましょう」と私は言った。
「三ヶ月前の合意事項を、双方で読み合わせます」
用意してきた文書を、一項目ずつ声に出した。
——互いに、百年前の出来事によって多くの命が失われたという事実を認識すること。
——不可侵の線引きについて、今後の協議を継続すること。
——市民の安全について、双方が最大限の配慮をすること。
読み上げるたびに、双方が頷いた。
「では、本日の議題に移ります」
*
三時間の交渉の中で、激しい言い合いもあった。
ヴィルの将軍の一人が「百年前の聖女の行為への謝罪なしに、交渉は進まない」と言い、リュシアンの将軍が「この百年間でより被害を受けたのは人間側だ」と反論した。
「——少し、止めてもいいですか」と私は言った。
全員が私を見た。
「今の議論は、どちらが正しいか、どちらが先に謝るかという争いになっています。その争いに勝者は出ません」
「では、どうしろと」
「「謝罪」を要求するのではなく、「追悼」を提案する、というのはどうでしょう」
「追悼?」
「両者が共に、百年前、そしてこの百年間の全ての死者に対して——哀悼の意を示す場を作る。人間の死者も、魔族の死者も、同じように弔われる。その場を作ることが、次の一歩になるのではないかと思います」
沈黙があった。
ヴィルが静かに言った。
「……その提案は、受け入れられる」
リュシアンが、長い沈黙の後に言った。
「……検討に値する」
その言葉が、転換点になった。
*
交渉が終わったのは、日が傾き始めた頃だった。
完全な合意ではなかった。まだ多くの課題が残っている。
でも、「次回の交渉」という約束が、今度は三ヶ月ではなく一ヶ月後で取り決められた。
それだけ、双方が話し合いに価値を見出し始めたということだった。
リュシアンと魔王軍の代表が、それぞれの陣営に戻る準備をしている間、私は礼拝堂の外に出た。
夕暮れの風が、頬を撫でた。
「カオリ」
振り向くと、ヴィルが立っていた。
銀の髪が、夕陽の中で金色に輝いていた。
現実の光の中の彼は——夢の庭園で見るよりも、少し冷たく見えた。でも、その紫の瞳は、変わらなかった。
「……ヴィル」
私は、現実で初めて彼の名を呼んだ。
私たちはしばらく、ただそこに立っていた。
「……現実で会ってみて、夢と同じだと思った」とヴィルは言った。
「顔も、声も、立ち方も——でも、一つだけ違った」
「何が?」
「夢では、温度がわからない」
彼は静かに、私の手を取った。
夢の中で何回も触れた手が——今は、確かな温度を持っていた。
「——温かい」と彼は言った。
「当たり前よ」
「当たり前だな」
彼は静かに笑った。
「カオリ」
「うん」
「夢の庭園で最初に会った夜のことを、覚えているか」
「もちろん」
「君が初めて来た時、私は一人で本を読んでいた。孤独だった。でも、自分が孤独だとは気づいていなかった」
「……うん」
「君と話す中で、初めて——自分が何を求めていたかを、知った気がした」
私は、彼の手を握り返した。
「私も、同じ」と私は言った。
「毎日嘘をついて、疲れ果てていた。でも、夢の中だけは本当の自分でいられた。だから、夜が来るのが楽しみで」
「これからは」とヴィルが言った。
「夢の外でも、本当の君と会える」
「……そうね」
「約束したことを、覚えているか」
「あの夜の?」
「そうだ。戦いが終わって、現実で会えたら——本当の名前を教えると言った」
「あなたはヴィルヘルムって教えてくれた。私が待てずに聞いちゃったからだけど」
「君も、カオリだと教えてくれた。……私も伝えたかったんだ」とヴィルは言った。
「そして——世界を敵に回してでも、君を迎えに行くと言った」
「うん」
「世界を敵に回さずに済みそうで、よかった」
私は笑ってしまった。
「ほんとうに。よかった」
「カオリ」
「うん?」
「今は、夢ではないな?」
「夢じゃないわよ」
「では——」
ヴィルは静かに身を屈め、私の額に、そっと唇を寄せた。
夢の中で指先に落とされた誓いの口づけが——今度は、現実の温度を持っていた。
「——これが、本物の約束だ」
私は目を閉じて、その温かさをしっかりと感じた。
夕風が吹いて、彼の銀の髪が揺れた。
看護師の神城香織が異世界に来て、偽物の聖女を演じて、魔王と夢の中で恋をして、何百年もの争いを止めようとして——。
どれだけ荒唐無稽な話でも。
今ここにある温かさは、本物だった。




