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目が覚めた。

天蓋付きのベッドから、窓にかかった白いカーテンごしに朝の光が差し込んでいるのが見えた。

胸の奥の温かい残り火のようなものを感じながら、私——神城香織は静かに体を起こす。



初めて庭園に辿り着いた夜のことを、私は今でも鮮明に思い出せる。

普通の夢と、何かが違った。土の湿り気、薔薇の甘い香り、遠くに雨の気配。

そして、東屋があった。テーブルがあった。椅子が——二つ、あった。

まるで最初から、誰かが来ることを知っていたかのように。


今でも、なぜあそこに行けたのかはわからない。 ただ、異世界に来たばかりのあの頃の私は、ひどく根なし草のような状態だったと思う。

もとの世界との繋がりは断ち切られ、この世界にも本当の意味では属していない。

聖女という名前も、役割も、全部借り物だった。

魂が、どこにも繋がれていない時——人は、引力に素直になるのかもしれない。

気づいたら、誰かがずっと前から作っていたような「場所」に、ふらりと迷い込んでしまうくらいには。

けれど、その時の私は、理由なんて考えていなかった。

ただ、そこが——温かかったから。それだけで十分だった。



「聖女様、体調はいかがですか」

寝室の扉が静かに開き、筆頭侍女のメルセデスが顔を覗かせた。五十がらみの、きびきびとした所作の女性だ。

彼女はいつも私を「聖女様」と呼ぶ。呼んでくれる。

その言葉が、毎朝少しずつ私の肩を重くする。


「……おかげさまで、よく眠れたわ」

嘘ではない。夢の中で、彼と話せた夜は必ず、深く眠れる。


「それはよろしゅうございました。本日は午前中に孤児院への慰問、午後は王太子殿下との謁見、夕刻には信徒たちへの浄化の儀がございます」

「……わかったわ」

私は鏡台の前に座り、メルセデスが私の黒く長い髪に櫛を通すのをぼんやりと眺めた。


私はもともと、ごく平凡な看護師だった。

神城香織、二十六歳。大学病院の内科病棟で働いていた。

趣味は漫画を読むことと、休日の昼寝。

恋人なし、貯金少々、将来の夢もとくになし——という、どこにでもいる女だった。


そんな私がなぜ、異世界の聖女をやっているのか。


理由は単純で、かつ理不尽だ。


三ヶ月前、夜勤明けでふらふらになりながら帰宅している途中、信号無視のトラックがこちらに迫ってきて、暗転——気づいたらこの世界にいた。


しかも、「聖女様がご降臨された!」と神官たちに大絶叫されながら。


聞けば、この世界には「世界に危機が迫った時、天界から聖なる乙女が遣わされる」という古い伝説があるらしい。

何百年にもわたって人間と魔族は小競り合いを続けていたが、ついに、百年前の聖女が浄化の光を放つ。その後一時は沈静化したが、争いはさらに激化の一途を辿った。

そして私が降り立ったのは、ちょうどその予言の神殿だったというわけだ。


言い訳をする間もなく、私はアルベニア王国の「大聖女」として担ぎ上げられた。


本物の聖女には「聖なる魔力」があるはずで、私にはもちろんそんなものはない——しかし、私の指示に従ったことで、病気や怪我で苦しむ患者の熱が下がり、傷の治りが早くなると、あっという間に「奇跡」だと信じられてしまった。


おそらくは前職の知識と、看護師としての手技が「奇跡」に見えているだけだ。

正しい方法での傷の洗浄、感染を防ぐための清潔ケア、脱水を防ぐための水分補給の指示——現代医療の基礎を施すだけで、この世界では「聖なる癒し」に映る。

どうやらこの国では医療があまり進んでおらず、薬草などはあるようだがあくまで民間療法程度らしい。


でも、偽りの「奇跡」いつかはバレる。


本物の聖女なら持っているはずの「神聖魔法」を、私は一切使えない。

今のところ、儀式の場でそれを求められたことはないが——時間の問題だと思っていた。


王太子のリュシアン殿下は公正で聡明と評判の人物だが、その視線は私のことを試しているような気がする。

大神官のヴァルデ卿は、私が聖典の内容を知らないことに気づき始めているかもしれない。


私は「完璧な聖女」を演じるため、一日中、重い法衣を着て、民衆に微笑みかけ、神官たちの政治的な思惑に相槌を打つ。

看護師時代の厄介な家族の対応より神経を使う日々。


そのせいで、私は極度の不眠症に陥っていた。

眠りたい。けれど、目を閉じれば「偽者だとバレて処刑される未来」が脳裏をよぎる。

ハーブティーを試したり、悪戦苦闘しながら、なんとか浅い眠りに落ちたある日——あの夢の庭園に辿り着いた。 


——だから、夜が来るのを楽しみにしている。


夢の中で彼と話している時は、全てを忘れられたから。

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