“駒”として値するかを測る日々
三件の依頼がすべて「達成」となってから、ギルドは意図的に沈黙した。
報酬だけを支払い、転職に必要な書類の処理には手をつけない。
窓口で彼と会うたびに、わたくしはいつもの笑顔で応対した。
「三件目の依頼もご苦労さまでしたわ。報告は滞りなく受理されました」
「査定額、少しばかり上乗せさせていただきましたの。理由は——そうですわね、“危険度評価の再検討料”とでも」
「転職の件につきましては、現在“内部調整中”です。王都というのは、何事も手続きに時間がかかりまして」
その間にも、裏側では別のやり取りが進んでいた。
辺境伯家との密書の往復。
王都ギルド上層部との、あからさまな牽制合戦。
教会の“監査”と称した横槍。
そのどれもが、ひとつの案件に突き当たる。
——死の砦。
かつて、人と天使族が共に研究を行った地下施設。 その後、人間側の一方的な約定破りによって、封じられた場所。
公式記録では「存在しない砦」。
実際には、辺境伯家と、ごく少数の上層部だけがその存在を知っている。
その砦に関わった者は、本来はすべて“闇に封じられる”決まりだ。
送り込まれる者も。
守る者も。 見送った者も。
だから、リリアナ先輩クラスには知らされない。
そして——本来なら、窓口に座るわたくしにも関係のない話であるはずだった。
はず、なのだが。
(“辺境伯の目”として王都に立つ以上、この目で見極めなければならないこともある)
その言葉を理由に、わたくしは自分で自分をその案件に巻き込んだ。
死の砦に送り込む候補として、ちゃたろ〜とフィーネの名が挙がったとき。
わたくしは、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
そして、何も言わなかった。
反対もしない。 賛成もしない。
ただ、必要な書類を整え、必要な印章を揃え、 必要な言葉を選ぶ。
それが、わたくしの役割だと理解していたからだ。
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転職の内部処理が完了した日、外は朝から雨だった。
灰色の雲が低く垂れこめ、石畳を打つ雨音が窓ガラス越しに響いている。
(悪くない日取りですわね)
そう思った自分に、少しだけ嫌悪を覚える。
死地へ送り出す者を呼び出す日に、晴れよりも雨のほうが似合うと考える程度には——わたくしはもう、物語に毒されている。
けれど、感傷に浸る時間はない。
窓口を同僚に任せ、わたくしは裏手の一室で封書を確認していた。
一通は辺境伯から。
《件の少年、三件の依頼を以て“仮戦力”と認める》
《死の砦の件、王都としては“能力未知数の駒を試す好機”と見做しているようだ》
《結果の如何にかかわらず、そちらの判断を信頼する》
短い文面。
怒りも、迷いも、躊躇いも書かれていない。
記録と合理だけを並べた言葉。
それは、わたくしにとっては何よりも厳しい期待だった。
(……閣下)
心の中でだけ呼びかける。
(わたくしは、もしかすると——あなた以上に“冷酷”なのかもしれません)
彼は、まだ騎士たちの顔を覚えている。
砦で死んだ者の名を、ときおり口にする。
わたくしは、そこまでしない。
する余裕がないとも言えるし、する気がないとも言える。
ただ、今はそれを棚上げにする。
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ちゃたろ〜を呼び出したとき、わたくしはいつもの笑顔をきっちり用意していた。
窓口越しではなく、半ば閉じられた相談窓口。
誰にも聞かれない距離。
しかし、完全な密室ではない場所。
人は、密室のほうが本心を晒す。
だが、わたくしが見たいのは“本心”ではなく、その人間の「選び方」だ。
だから、半端な場所を選ぶ。
「転職の件、内部処理が完了いたしましたわ。
おめでとうございます、《メイス盾》殿」
形式どおりの祝辞。
その裏で、彼の表情を観察する。
歓喜、安堵、誇り、感慨。
そういったものが溢れ出してもおかしくない瞬間だ。
だが、彼の顔にはほんの僅かな陰りと、静かな決意だけが浮かんでいた。
(ここでも、あまり揺れませんのね……)
その静けさに、またひとつ確信を深める。
やはり、この子は“こちら側”ではない。
だからこそ、“あちら側”へ送るのにふさわしい。
「ただし……これだけではございませんわ」
深紅の封書を取り出すとき、わたくしの指先は一度も震えなかった。
辺境伯家の紋章。
封じられた名。
記録上は存在しない砦。
それらを一枚の紙に封じ、わたくしはそれを、彼とフィーネに向けて差し出した。
口にした言葉は、先ほどあなたが提示した「公式」の会話と、ほとんど変わらない。
「“上位職登録”と引き換えに、特別任務が課されますの」
拒否すれば未来を失う。
受ければ、命を失うかもしれない。
そういう選択肢を、人はよく「選択」と呼ぶが——実際にはただの強制だ。
それでも、人はその場で何かを“選んだつもり”になりたがる。
その錯覚こそが、世界を回している。
彼は、短く問うた。
「……俺たちを“試す”ってことか」
「ええ、ご明答ですわ」
あの瞬間、自分の笑みがどれほど冷たかったか。 今思い出しても、少し胸が詰まる。
彼は問う。 拒否した場合は、と。
わたくしは答える。 上位職登録はなかったことになる、と。
その言葉を聞いて、彼の中で何かが決まったのがわかった。
表情は変わらない。
けれど、呼吸の深さと、視線の焦点が変わる。
戦場へ一歩足を踏み出す者の目。
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彼らが王都を発ったのは、その日のうちだった。
雨は弱まる気配を見せず、城門前の石畳は薄い水膜に覆われている。
窓辺に立ち、わたくしはその背中を見送った。
遠目にもわかる、ひび割れたメイス。
大きすぎる外套に身を包んだフィーネの細い肩。
(二人とも、戻ってはこない)
そう認識していた。
それが合理的な予測だ。
これまでの統計に照らせば、そう結論づけるほかない。
そう信じていたし、その確信に一片の揺らぎもなかった。
その意味で言えば——この時点のわたくしは、まだ“読み違えていない”。
読み違えたのは、その先だ。
彼らが砦から生還し、 わたくしの世界を根本から揺さぶるその日を、 この時点のわたくしは想像すらしていなかった。
窓ガラスを伝う雨粒を指でなぞりながら、わたくしは心の中でだけ呟いた。
(どうか、ご無事で——なんて、建前ですわね)
本音は、もっと醜い。
(どうか、“わたくしの読み”から外れないで)
そう願っていたのだ。
そうしてこそ、自分が怪物であることを正当化できるから。
——だから、この物語はまだ、“怪物の側”の物語だ。
読み違えたことを認め、 自分の正しさが崩れる痛みに向き合う、その一歩手前。
白い盤の上から、二つの駒が静かに消えていくのを見送るだけの、
冷たくて、滑らかな、日常の一コマにすぎない。




