87. 【番外編】 運と勝負の神の事情 11/13
ウィデルの野営地。
ラルフは、一人夜空を眺めていた。
少し疲れたような顔で、ぼうっと宙の一点を見つめている。
その様子を見た運と勝負の神は、呆れたように笑って息をついた。
『神の庭』をも揺るがすような、前例のないことをかましまくって、自分が史上初の野良の愛し子になったなどという自覚は、きっと髪の一筋ほどもないのだろう。
ずいぶん、振り回された。
振り回した自覚も、本人にはないだろうが。
本当に聞こえる、だろうか。声は、届くだろうか。
話しかけようとしては、口を閉じる。
最初に切り出す糸口が見つからない。考えあぐねて、ぽろりと出たのは憎まれ口のような言葉だった。
「お前は、俺の愛し子なのに」
嘘だ。
だった、が正しい。もう「俺の」愛し子ではない。
「ご機嫌は直ったのか? あんなに何回話しかけても、全然返事しなかったくせに」
返事は、思いのほかすぐに返ってきた。
だがその内容は不本意だ。
こっちは気が狂いそうな痛みと激情と戦って、立つこともかなわないほど消耗しているというのに。
それに、不機嫌で無視をしていたわけではない。ラルフが春の女神と盟約を結んだ瞬間から声が届かなくなり、聞こえなくなっていただけだ。
言ってやりたいが、言えない。どこまで言っていいのかわからない。
だが、何回も話しかけてくれていたらしい。その言葉に少し浮き立つ気分になる。
ラルフはこのまま会話を続けさせてくれるつもりらしい。人目を避けて、夜道を一人ゆっくりと歩き出した。
愛し子が『誰の』愛し子になるのかは、生み出した神かどうかではない、その親密度だ。
現にソラ・ティリオスのラルフに対する執着は、運と勝負の神が干渉するごとに薄れていった。
だが、その最終決定となるのが、盟約だった。
ラルフはシェ・エル・リラ・ユンとは無関係だったのに、盟約を結んだ瞬間に彼女に紐付けられた。
シェ・エル・リラ・ユンの愛し子になった。
その盟約は、すぐに次の管理者に明け渡されて、ラルフは誰にも属さない愛し子になった。
愛し子が結べる盟約は一度きり。ラルフは、この先もうどの神にも属することはない。
運と勝負の神にも、だ。
「春と盟約を結ぶとは思わなかった」
独白のように、つぶやく。返事が欲しいわけではなかった。思ったことが、ただ口をついただけ。
話そうと思っていたのとは違う言葉が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
これが最期かも。その思いが、そうさせるのかもしれない。
親交を深め、ソラ・ティリオスから絆をもぎ取りさえすれば、ラルフは『俺の』愛し子になるのだと思っていた。それなのに、ひょいと横からシェ・エル・リラ・ユンが攫っていった。盟約を結ぶだけでよかったなんて、知らなかった。
思えば間抜けな話だ。少し笑みが漏れる。
「まだ怒ってるのか? もう管理者権限は移行してるぞ?」
誤解があるようだ。怒っては、いないのだが。
ラルフはさらりと「管理者権限を移行した」と言ったが、いったいそれがどれほどの意味を持つことなのか、わかっていない。
ただ単に、「浮気相手とはもう別れた」みたいなノリで言っているから、手に負えない。
ラルフにはそもそも、自分が誰の愛し子かという自覚がない。だから、一番最初に運と勝負の神に言われたままに、自分は今も運と勝負の神の愛し子なのだと信じ込んでいる。
かわいいやらかわいくないやら。運と勝負の神は苦笑した。
「盟約は一度しか結べない。俺と盟約は、もう結べない」
だからお前はもう俺の愛し子じゃないんだよ、とは言わない。その信じ込みを、わざわざ正してやる気はない。誤解させたままにしておく。
「俺と盟約を結ぶつもりだったのか? でも俺は、もともと国を興す気はないぞ」
これから名を願う、こちらの緊張感をよそに、ラルフは見当違いの言葉を返してくる。
(ああ)
根本的に、神と人の子の、盟約に対する認識のずれがあるんだな。と、運と勝負の神は納得した。
人の子の生は短い。だから、愛し子が神々と何を話して何を交わすのか、そしてその意味を、詳しく語り継がれてはいないのだ。
人の子にとって、盟約はあくまでも『国を興すための加護の礎』でしかない。
運と勝負の神には国に加護を与える能力はない。運と勝負の神は、国を興すことができない神だ。
あの時ラルフが求めていたものを、運と勝負の神は与えることができなかった。
永劫に、できない。だから。
「お前は俺の愛し子なのに、春を選んだ」
ラルフは間違っていない。知らずに、選び取った。
そして盟約は、すでに名を持つシェ・エル・リラ・ユンと交わされ、『俺の』愛し子ではなくなった。
「いやそういうわけじゃなくてだな? 必要があって戦略的に」
(わかってる、そんなことは)
運と勝負の神は、ラルフの言葉を遮った。
「ずっと見守ってきたのは、俺なのに」
なのに、大事なところで何もしてやれなかった。そんな自分がただ、無性に悔しかった。それだけだ。
ラルフは、急に口をつぐんできょとん、とした。
「そういえば、今まで沈黙を貫いてたのに、何で急に話しかけてきたんだ?」
急に話題が変わって、運と勝負の神も少しきょとん、とした。それは重要、なのか?
「夏との誓約があったからだ」
詳しく言うことができないため、簡潔にそうまとめた。実際にそうだ。
それがなければ、ラルフがもっと幼い頃から声をかけることができていた。
「それは、クラインで俺が愛し子として生まれた理由につながるのか?」
「つながる」
つながるというか、直結だ。時系列は逆だが。
ラルフが生み出されてから、難があることがわかって誓約を交わした。
「その話、聞きたい」
それは、初めての愛し子からの願い。
国境の除雪をしたのは、あくまでもこちらからもちかけたことだ。
嬉しさに、何でも話してやりたい気持ちに駆られる。が、これは『他言無用』。すべてを話す、というわけにはいかない。
(これで)
こんなことで釣るのは、卑怯だろうか。
運と勝負の神は一瞬悩んだ。が。
(俺には、時間がない)
残されているのは、あと本当にわずかの時間。
「聞かせてやってもいいが」
あえて上からものを言って、次の一言を言うために、運と勝負の神は間を置いた。
運命の瞬間だ。
「うん?」
「・・・そのかわりに、名前がほしい」
「名前?」
ラルフは繰り返して、立ち止まった。
少し首を傾げるその様子を見るに、やはり何も知らないのだろう。
「春も、夏も、愛し子から名をもらっている」
きっと、神が最初名を持たないことすらも、ラルフは知らない。
「そういうもんなのか?」
やはり、説明は必要なようだ。
「盟約を結ぶ時に、名をもらう。もともと神に名はないが、名付けられることで、格が上がる」
ラルフは、少しだけ憂いのある顔をした。シェ・エル・リラ・ユンと盟約を結んでしまった自分の失態に、気が付いたのかもしれない。
「盟約を結ばないと、名付けられない話か?」
聞きたいのはこっちの方だ。
名付けてもらうことはできるだろうが、それが『法』に基づいて神格があがるかどうかは。
「わからない。例がない」
ラルフはうなずいた。前例のないことばかりをやらかしている自覚はあるらしい。
「俺でよければ名を贈るよ。ただし、格が上がらなかったとしても、責任は持たないぞ?」
名を贈るよ。その言葉に、内に温かい何かが湧き上がる。いい。もういい。格が上がらなくても、そして消えたとしても。
その名を持って、消えるのなら。
「かまわない」
「春の女神みたいに複雑で長い名前は、俺には無理だぞ?」
「かまわない。神格が上がらないとしても、お前に、名付けてほしい」
そう。それで、ソラ・ティリオスが巻き添えになって、消されることになったとしても、だ。
「わかった」
こちらの覚悟をよそに、ラルフはうーんと考えている。
今か。もう今名付ける話か。
熟考すると言って長期間待たされるのも、消滅の危機があるから困るが、それにしても。
参考にできる何があるわけでもない、こんな夜中の道端で。
人の子は、家族として、または家畜として、動物を飼育することがある。
ラルフのこれは、それを名付けるのと同じノリではないのか。
ポチとかだったらどうしよう。
運と勝負の神のどきどきが違うどきどきに変わろうとしていたその時に、ラルフは「決めた」と宣言した。
早い。早すぎる。
「名前は、フォルトゥナグル」
溜めも何もなく、その名はあっさりと告げられた。
瞬間、運と勝負の神の体に衝撃が走る。
内側からばらばらにされて、一から組み替えられていくような。
あまりの気持ち悪さに、無意識に自身を守るように両腕で抱き込んだ。
「どうかな? 駄目か?」
必死で耐えるフォルトゥナグルに、無邪気な声がかかる。
ちょっと待て、と言いたいが、声にはならない。
この愛し子に関わると、こんなのばっかりだな。
笑いたいような泣きたいような気持ちで、フォルトゥナグルは、身体が作り変えられていくその波をやり過ごした。
本編「50. 踏み出す一歩」の、フォルトゥナグル視点になります




