第171話 群衆を導く勝利の女神
『よし! 敵艦に横付けするぞラビ!』
「了解です! 総員、衝撃に備えてっ!」
ラビが勢い良く舵輪をブン回し、クルーエル・ラビ号はデスライクード号の横っ腹へ体当たりした。乗組員たちは咄嗟に近くにあった手すりやロープに捕まり、衝撃をやり過ごす。
接舷したことを確認すると、すかさず船縁に隠れていた斬り込み隊たちが立ち上がり、カギ付きロープを投げて相手の船を引っ掛けた。そして、二隻の間に次々と渡し板が設置され、足場が築かれてゆく。
「乗り込み準備よ〜し! いっちゃう? ラビっち」
矢のぎっしり詰まった矢筒を背負い、弓を手にしたニーナがラビの方を振り返る。
「近衛メイド隊、全員武装点検完了。いつでも行けます、お嬢様」
二丁のリヴォルバーを手に意気込むメイド長のポーラ。
「なになに? 戦いが始まるの? クロムも遊んでいい?」
口から鋭い牙を覗かせて興奮する白黒頭のクロム。
血気盛んな仲間たちを前に、ラビは腰に携えていた剣を抜く。
「師匠っ!」
『ああ分かってる。前みたいに一人だけなんかさせねぇよ』
俺はラビの首にかけたペンダントに意思転移してそう言葉を返すと、ラビは口元に薄い笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。頼みます!」
そして彼女は、蒼い髪を振り乱して前を向く。
「――斬り込み部隊、全員私に続きなさいっ!」
乗組員たちの先頭に立ち、中空高く剣を掲げて、渡し板に足を掛けるラビ。
「うおぉ――――――――――っ‼︎!」
彼女の後から、大勢の群衆が立ち上がり、声の限り叫びながら、相手の艦上へなだれ込んだ。
熱気と迫力に溢れたその一場面を切り取れば、間違いなくかの有名な絵画を彷彿とさせるであろう。それほどまでに、ラビは戦場の中でも希望の象徴的な存在として周りからは認知されていた。彼女の背中に続けば、必ず勝利は得られる! そんな揺るぎない確信が、乗組員たちを奮い立たせていた。
「勝利の女神は、俺たちの味方だっ‼︎」
誰かがそう叫んだ。乗組員たちの勝利の願いを一身に受けたラビは、蒼い髪を翻して敵艦デスライクード号の甲板へ飛び込んでゆく。
「海賊どもに死をっ!」
すると、どこからか敵の第一声が上がり、それを合図として生き残ったデスライクード号の船員たちが一斉に物影から姿を現した。
「放て―――っ!」
隠れていた敵の狙撃兵たちが、こちらに何発か発砲する。乗り込もうとした仲間の数人が凶弾に倒れたが、すぐさま甲板に降り立った近衛メイド隊たちがその場で隊列を組み、全員がライフルを構えた。
「総員構え、撃てっ!」
ポーラの合図で、メイド隊が一斉に発砲。銃弾の雨が敵甲板を掃射し、反撃しようとする敵全員たちを薙ぎ払ってゆく。
しかし、敵側もしぶとかった。どれだけ撃って斬って倒しても、下の甲板から次々と湧き出すように新手が上がってくる。あちらも無敵艦隊旗艦であるこの船を乗っ取られまいと必死のようだ。
振りかざされる剣と剣、立ち込める白煙、鼻を突く血と硝煙の臭い。そして鼓膜を破らんばかりの怒号と悲鳴が、熱を帯びた空気を震わせる。
敵味方入り乱れる中、ラビはもみくちゃにされながらも必死に抵抗した。
彼女は、いつか再び訪れるであろう戦いに備えて、空き時間を見つけては、船長室でひたすら剣を振るっていた。剣の腕は練習すればするほど上達する……という訳でもなく、その者の持ち得る才能や体格、体力が影響して習得する速さも変わってくるもの。まだ幼い少女であるラビに今すぐ剣術を磨けというのも酷な話だ。
……が、それでも、ラビは少しでも今の弱い自分を変えようと必死だった。そんな様子を、俺はいつも傍から見ていて、いつかそんな努力が報われることを密かに願ってきた。
そうして迎えた決戦の日、ラビは勇敢に戦えているかというと――
「この忌々しい海賊の小童がっ!」
「きゃっ!」
自分より何倍も背のある大男に行手を阻まれ、持っていた巨大な鉈を振り下ろされて、ラビは慌てて持っていた剣で受け止めた。
しかし、細い剣が巨大な鉈の攻撃に耐えられる訳もなく、あっさり二つに折られてしまう。
「くっ!」
ラビは慌てて後ろへ下がろうとするが、背後には下甲板へ続く階段が迫っていた。
「この野郎っ!」
巨漢は怒り任せに鉈を振り上げてラビに襲い掛かってくる。彼女はぐっと拳を握り締めると、逃げるのではなく、迫り来る巨漢に向かって駆け出した。
『おいラビ、一体何を――』
ぶんっ‼︎
大きく振りかざされる鉈。ラビは体をかがめて薙いでゆく刃先をかわすと、そしてそのまま勢いに任せて巨漢の股下をスライディングでくぐり抜けると、ガードの薄い背後に回り込み、男のアキレス腱を強く蹴り込んだ。
「ぐぁっ!」
巨漢は体のバランスを崩して下甲板へ続く階段を転がり落ちる。そのまま甲板の上をボールのように転がって、周りにいた敵船員たちを巻き込み弾き飛ばしながら、勢い余って船の外へ落ちていった。これぞボーリングでいうストライク様々だ。
『……それにしても、よくあそこで逃げずに立ち向かったなラビ。俺だったら怖くて逃げ出していたかもしれないぜ』
「わ、私も怖かったですけど、逃げることを考えるより先に、気付いたら体が動いていました。……不思議ですね、えへへ」
そう言って苦笑いするラビ。以前までは逃げることしかできなかった彼女が、本能的に立ち向かう方を選択するようになるとは……
剣の技術はまだまだかもしれないが、戦い方の精神は板に付いてきたのかもしれないな。
『――油断するなよラビ。まだ新手が来るぞ』
「はい師匠! って、あ……」
ラビはふと自分の手元に目を落として、呆けた声を上げる。
「剣、折れちゃってるんでした……」
『なっ――!』
周りを敵に囲まれた中、自分が丸腰であることに気付いて呆然としてしまうラビ。それをチャンスとばかりに、敵たちが一斉にラビに向かって飛び掛かってくる。
ヤバい、これじゃ殺られる――!
「あぁちょっと~! ウチらの船長がまたヤバいんですけどぉ?」
ドシュッ!
刹那、ラビに剣を振り下ろそうとした敵の首に矢が突き刺さり、その場に倒れ伏した。
ゆらりと宙空を舞う影。ラビが顔を上げると、弓を構えたニーナが、マストから垂れ下がる索具に足を絡めて逆さに釣り下がり、まるで空中ブランコのように大きな弧を描きながら矢を放っていた。
まるでサーカスの曲芸よろしく、誰も真似できないような大技を披露しながら、同時に弓矢による狙撃を見事成功させたニーナは、ロープを離してクルリと宙返りしながらラビの前に着地すると、手に持った弓を棍棒代わりにして相手全員の頭を殴打し、全員ノックアウトさせてしまった。
「ニーナさん、凄い!」
「感心してる場合じゃないっつーの! 一体何回窮地を救われたら気が済むワケ?」
「ご、ごめんなさい……」
ニーナに叱られ、しゅんと肩を落としてしまうラビ。
「……でもまぁ、前みたいに泣きじゃくっていないところだけは褒めてあげなくもないけど?」
「なっ……も、もう以前のような弱い私じゃありませんから!」
ラビはそう言って折れた剣を捨てると、近くに落ちていた短剣を拾い上げて、再び構えの姿勢を取った。