第158話 カゴの鳥解放作戦①(※前半まで◆)
「提督! 敵のドラゴンからロールス信号が返されています!」
デスライクード号の船首甲板上で黒炎竜を見張っていた副官が声を上げ、前方を指差した。
「返信だと?」
チカ……チカチカ……チカ……チカチカ――
ヴィクターは望遠鏡を覗き、黒炎竜から放たれる不規則な光の点滅を見た。ロールス信号であることは間違いないのだが、送信している内容は、たったの三文字だけ。
「”バ・カ・メ”」
信号を読み取ったヴィクターの眉間に深いしわが刻まれる。そして望遠鏡に映る黒煙竜の背中には、こちらに向かって舌を出し、片目の下まぶたを人差し指で押し下げているラビの姿が映っていた。
それはいわゆる、「アッカンベー!」の仕草だった。
”――悔しい? 悔しかったらここまで来てみなさいよ、負け犬”
まるで遠くからラビがそうささやいているように聞こえ、ヴィクターの脳内で何かがプツンと音を立てて弾けた。
「くっ……くくくくくっ……あはっ、あはははっ! あははははははっ!!」
ヴィクターは片方の手で顔を覆いながら甲高い笑い声を上げ、脳内に響くラビの幻聴をかき消そうとした。
しかし、いくら声を上げて笑ったところで、ラビの挑発はますますはっきりとした声色になって、ヴィクターにささやきかけてくる。
”――たとえどれだけの艦隊を率いて来ようが、あなたが私の父親に負けた時点で、負け犬という事実は変えられない。そんなことも分からないの?”
「うるさいっ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れっ!!」
「おいヴィクター! 一体どうしたんだ⁉」
もはやライルランドの言葉すら、彼の耳には届いていなかった。ひたすらヴィクターの脳内で響くラビの罵倒が、彼自身の心を容赦なく抉ってゆく。
――悔しい? ねぇ、悔しい? ならここまでおいでよ。私を殺して見せてよ。
――ここまでおいで~負け犬ちゃん♪ うふふふっ!
――一度負けたくらいで凹んじゃう雑魚船長、ここまでおいで~♪ あははははっ!
――ざぁこ、ざぁ~~こ♡ きゃはははははっ!
それは本当のラビの声ではなく、ヴィクターの心が作り出した悪魔からのささやきだった。追い込まれた彼は、ラビの皮を被った悪魔に心を奪われ、もはや正常な判断が付かなくなってしまっていたのだ。
「くくくっ……まったく貴様らは……親子代々に渡って、私を愚弄しようというのか……」
顔を両手で覆ったヴィクターは、指と指の隙間から血走った眼を覗かせ、震えた声を上げる。
そして、彼はささやきかける悪魔を振り払うように腰に下げた剣を抜き、大きく振り上げた。
「……全艦、突撃しろ」
「はっ?」
唐突な突撃命令に唖然とする副官に対し、ヴィクターは副官の胸ぐらをつかみ、血眼を向けて感情任せに声を張り上げた。
「いいから今すぐ、全艦を突撃させろっ!!」
艦隊指揮官からの命令に、無敵艦隊が前進を始める。
みるみるうちに黒炎竜との距離を詰めてゆく大艦隊。
そして、大砲の射程距離にラビたちを捉えた、次の瞬間――
カッ! ズドドド―――――ッ!
旗艦に続いていた戦列艦の何隻かが、突然何の前触れも無く大爆発を起こした。
「なっ! どうした⁉ なな、何が一体っ⁉」
艦隊を組んでいた戦列艦たちが、あちこちで発生した原因不明の爆発に次々と飲み込まれて撃沈されてゆく。
カッ! ドドド―――――ッ!
そして、先頭を進んでいたデスライクード号でも大爆発が起こり、船体がグラリと大きく傾いた。
「ぐはぁっ! こ、これは砲撃?…… しかし一体何処から? 敵艦は居ないのではなかったのか⁉」
マストにしがみ付いて声を上げるライルランド。ここへ転移した際、周囲を確認したが、敵らしき艦影は一隻たりとも見当たらなかった。ならばこの攻撃は何だ?
砲撃も受けていないというのに、次々と爆発しては空の藻屑と化して沈んでゆく戦艦たち。正体不明の敵から見えざる攻撃を受け、無敵艦隊は完全にパニックに陥っていた。
「……な、何が起こっている?」
連鎖する大爆発に飲まれてゆく仲間の艦を見て呆然と立ちすくむヴィクター。それまで感情に支配されていた彼の脳に、ようやく理性が戻ってくる。
ヴィクターはふと、前方へ目を向けた。
――すると、何もない空の中に、巨大な島影が幻のようにぼんやりと浮かび上がったのである。
「あれは……エルフの里『ウッドロット』⁉ ……ということはつまり、この爆発は――」
ここで、ヴィクターはようやく状況を理解した。
「機雷原かっ!」
ウッドロットが姿を現すと共に、無敵艦隊の周りを取り囲むように浮かぶ無数の丸い気球が出現する。
魔導触発作動式浮遊機雷――
これが、見えざる攻撃の正体だった。ヴィクター率いる無敵艦隊は透明魔術によって隠された機雷原に、艦隊ごと突っ込んでしまったのだ。ヴィクターがラビの挑発に乗ってしまったが故に……
「……まさか、誘導されていた? 我々の攻撃を受け瀕死になりながら逃げたのも、全てはこの罠へ誘い出すための茶番だったというのか………」
罠にはめたと思い込んでいた自分たちが、逆に相手の罠にはめられた。あまりに見事などんでん返しに言葉を失うヴィクター。彼が覗いた望遠鏡には、エルフの里ウッドロットを背に、ドラゴンにまたがるラビの雄姿が映り込んでいた。
「お……のれ………おのれラビリスタ――――――――――っ!!!」
ヴィクターの怒りの咆哮が、デスライクード号の甲板に響き渡った。
○
『あ~あ、奴らまんまと罠に引っ掛かりやがったぜ。どうやらラビが散々奴らを煽ったのが効いたみたいだな』
艦隊のあちらこちらで、機雷原に接触した戦列艦がボン、ボンと音を立てて次々と爆ぜてゆく。遠くから見ていると、まるでポップコーンが弾けているみたいだ。
――そういえば確か、この機雷原は三大陸間戦争時代にロシュール王国軍が設置していったものだったはず。「エルフの魔法技術を他国に横取りさせないため」とか言うふざけた理由でこれだけの機雷を設置したのも馬鹿馬鹿しい話だが、後々その機雷原に自国の艦隊が突っ込むことになるなんて、誰が予想しただろう? 自分で設置した罠に自分から掛かりに行くなんて、もはや馬鹿を通り越してただのジョークだ。
『ま、これも自業自得だな』
「当然です。機雷原という巨大な檻の中で、これまで多くのエルフたちが不自由な生活を強いられてきたんです。だから、彼らの撒いた不幸の種は、彼ら自身の手で回収していってもらいます」
ラビが怒った顔でそう答えた。
――俺たちの側が圧倒的戦力不足である中、戦況をひっくり返す唯一の希望だったこの誘導作戦。目には目を、無敵艦隊には機雷原を。
そして同時に、エルフの里を覆う巨大な檻を取り払い、エルフに自由を与えることも考慮したこの作戦は、全てラビが一人で考え出したものだった。
名付けて、”カゴの鳥解放作戦”。有能な戦略家にも劣らぬ見事な作戦内容に、俺やニーナ、ポーラも最初聞かされた時は驚きのあまり言葉を失った。
しかし、この作戦にも大きな問題があった。一つは、機雷原のあるウッドロットまで無敵艦隊を誘導して来なければならないこと。誘導している間に艦隊に追い付かれてしまえば、撃沈されてしまうのは火を見るよりも明らかだった。これについては俺の速力に頼る他に術はなく、誘導している間での多少の損害や犠牲も仕方が無いと腹を括るしかなかった。
そしてもう一つの問題が、どうやってウッドロットのある島と、その島を囲う機雷原を敵から見えないように隠すのか。
これにはエルフの開発した「神隠しランプ」を使うしか方法が無かったのだが、たとえランプが三つ揃っていたとしても、島の周りにある機雷原まで全て覆い隠すためには、魔力が足りない。
――しかしこの問題は、とある一匹の助っ人の登場により、見事解決することができたのである。
その助っ人というのは……