第150話 戦闘開始
「ロシュール王国籍の戦列艦が多数接近! ……なんて数だ。まるで蜂の大群じゃねぇか……」
エルフの一人が、望遠鏡で背後に迫る艦隊を伺いながら、驚愕の声を上げた。空の中に散りばめられた数百もの蜂の群れ。その蜂一匹一匹が、武装や大きさで俺を遥かに凌ぐ戦艦だと考えるだけで、そのあまりの規模のデカさに目が眩んだ。
そして俺の船上は、まるで墓場のような静かさに包まれていた。
皆、その場に棒のように突っ立ったまま動かない。まるで、自分の目にしている光景が夢なのか現実なのか、判別付かないでいるようだった。
「……こ、こんなの、勝てる訳ねぇ」
乗組員の誰かがそう呟いた。
「駄目だ、俺たちだけじゃ……」
「……戦力差があり過ぎて話にならねぇ」
「畜生……俺、こんなとこでまだ死にたくねぇよ……」
乗組員たちの間に絶望の空気が漂い始める。最初は半信半疑だった者たちも、ようやく現実を飲み込んだのか、顔面蒼白にしてわなわなと唇を震わせた。
「……もう無理だ、俺たちは死ぬんだ……」
ラビリスタ海賊団に志願した、まだ二十歳にも満たない乗組員の少年が、今にも泣き出しそうな顔で膝から床に崩れ落ちようとした。
しかし、その時――
タァン!
迫り来る絶望の闇を打ち祓うように、一発の銃声が響き渡った。
驚いて顔を上げる乗組員たち。彼らの目に映ったのは、船尾楼甲板に立つ、空と見紛うほどに蒼い髪をなびかせた、一人の小さな女神様だった――
……あくまで比喩ではあるのだが、きっと周りに居る者たちからはそう見えていたであろう。
陽光を背に受けて立つ彼女の姿は、さながら後光の差す仏のようで。
凛々しく前を向き、乗組員たちを見下ろすその姿は、さながら額縁に飾られた英雄絵画のようで。
そんな、神々しい雰囲気をまとった俺の主――ラビの掲げた手には、銃口から煙の燻ぶる拳銃が握られていた。
「みんな狼狽えないで! まだ負けと決まったわけじゃない!」
拳銃を空に向けて放ったラビの声が、俺の船上にこだまする。
「……だ、だが船長! あんな大艦隊相手に、俺たちだけで相手するつもりかよ! 正気の沙汰じゃねぇぜ!」
乗組員の一人が声を上げ、周りに居た者たちも皆同意するように頷きを返す。
だが、それでもラビは動じない。
「私たちにはまだ、彼らと相手できるだけの準備が整っていません。盤上に全ての手札が揃って、ようやく対等な勝負ができるはずです」
「おいおい、対等な勝負って……」
「本気であの無敵艦隊とやり合おうってのか……」
周囲にざわめきが走る。誰がどう見ても不利なこの戦いに、果たして活路を見出せるのか。ラビの言葉に乗組員たちは不安と疑念を隠せないようだ。
それでも、ラビはきっぱりと明言してみせる。
「勝算ならあります! 今はあちらが圧倒的に優勢ですが、初めから勝ちの決まった戦いなどありません! この不利な形成をひっくり返すためには、こちらの手札が揃うのを待つ必要があります!」
「まさか、この状況から形成逆転する作戦があるってのか?」
「ああ。……どうやらあの嬢ちゃん、無敵艦隊を倒す秘策をお持ちらしいぜ……」
信じられないとでも言いたげな眼差しで、ラビを見つめる乗組員たち。大人からすれば、「まだ子どもでロクに戦い方も知らなければ、戦略なんて立てたこともないような少女が、なにふざけた戯言を抜かしているのか」と呆れて笑う者も居るかもしれない。
しかしどうしてか、ラビの言葉には、聞く者に信じる心を植え付ける不思議な力があった。自信に満ち溢れた態度もそうだが、これまでラビが船長を務め、数々の困難を共にする中で築かれた彼らとの深い絆が、そうさせているのかもしれなかった。
甲板の上を、一陣の風が吹き抜けてゆく。風向きは無敵艦隊の迫る方向とは真逆。魔素の濃度も濃いし、勢いもある。これなら、総帆展帆で速度を上げて逃げ切れるかもしれない。
勝機はまだ失われていない、俺たちの船長が言うのだから、きっとそうだ。
乗組員たちの間に希望が芽生え、それまで失われていた覇気が徐々に戻って来た。
やがて、一人の船員が拳を宙高く突き上げ、声を上げる。
「ラビ船長、万歳っ!」
声を上げたのは、無敵艦隊を前に崩折れて泣き出しそうになっていた、あの若い青年だった。最初は絶望に打ちひしがれていた彼も、ラビの言葉に勇気を貰い、涙を拭いて立ち上がり、負けじと声を張り上げているのだ。
「……ラビ船長、万歳っ!」
「「ラビ船長、万歳っ!」」
「「「ラビ船長、万歳っ!!」」」
青年の声が音頭となり、そこから波紋のように、意気を取り戻した乗組員たちが続々と声を上げ始め、やがて全員の息が合わさって、一つの歓声になった。
「みんなありがとう! 反撃の手札がそろうまで、もう少しの辛抱です。それまでの間、敵の容赦ない攻撃に晒されることになるでしょう。でも、苦難を共にしたあなたたちとなら、きっと乗り越えられると信じています! だから時が来るまで、今は逃げ切りましょう!」
「「「うおぉ――――――っ!!」」」
拳を突き上げる乗組員たちの声を肌で感じたラビは、全員が一致団結したことを確認するようにこくりと頷き――
「――総員、戦闘配置に就けっ! ボケっとするな野郎ども! 命が惜しければキビキビ動け! 私たちラビリスタ海賊団の底意地を見せなさいっ!!」
威勢あるラビの声を皮切りに、甲板上が一気に騒がしくなった。ドドドドド、と警報のドラムロールが鳴り響き、各々が電光石火の勢いでそれぞれの持ち場へ走ってゆく。
ついさっきまで、絶望の支配していた凍て付いた雰囲気は違う、異様に熱気を帯びた空気。強大な敵を目の前にしても、彼らの心を支配しているのは死への恐怖ではない。
「よしっ! 一丁派手にやってやろうぜ!」
「どっからでもかかって来やがれってんだ! なぁ!」
「おうよ! 倍返しで叩きのめしてやるぜっ!」
絶望的状況の中で、ひたすら彼らを突き動かしていたのは、恐怖ではなく、勝利を夢見る希望の力だった。負ではなく、圧倒的な正の力が、彼らを支配し、闘志をみなぎらせていたのだ!
「師匠っ!」
『ふぁい!?』
本気で敵とタイマン張ろうと張り切る乗組員たちを前に呆気に取られていた俺は、突然ラビから呼びかけられて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「全速力で逃げます! 展帆、お願いします!」
いきなりそう頼まれて、俺はラビの言葉の勢いに押され、思わず心の中で敬礼しながら叫んでいた。
『あ、アイアイキャプテンっ!!』