第149話 神出鬼没の大艦隊
結婚式場から救い出され、船長室にかくまわれていたサラ・ヴォルジアは、虚ろな瞳で遠くを眺め、身じろぎ一つせずに、純白のウエディングドレス姿のまま椅子に腰かけていた。
親友であるニーナを前にしても、彼女は表情一つ変えず、嬉しがるような素振りも見せない。彼女の様子は傍から見て、まるで魂の抜けた等身大の花嫁人形のようだった。
「おいサラ、せっかくまた会えたのに、どうして何も口を利いてくれないんだよ? 何か言ってくれよ、なぁサラ!」
ニーナが必死に呼びかけても、どれだけ肩を揺すっても、サラは反応を見せないどころか、瞬き一つしない。
「彼女、一体どうしたのでしょうか?」
ラビが心配そうな表情で俺に聞いてくる。
俺は鑑定スキルを使って、サラの状態を確かめられないか試してみた。
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【名前】サラ・ヴォルジア
【状態】
催眠、隷属、気力喪失、意識混濁、印紋
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(やっぱりな……)
『ニーナ、今の彼女に何を話しかけても無駄だ。サラは催眠にかけられてる。彼女に俺たちの言葉は届かないし、口も利けない』
「なっ! 催眠って……アイツら一体サラに何を!?」
『……考えたくもないな』
好きで催眠にかかろうなんて考える奴はいない。おそらく王国の奴らに無理やり催眠やら隷属の呪いをかけられてしまったのだろう。そんなことを思いつつ、俺はふとサラのステータスの中に気になる言葉を見つけた。
(うん? 「印紋」? ……まさか淫――いや、流石に違うよな……)
俺は状態の詳細説明を開いて、解説を読んでみた。
【印紋:強力な追跡魔術をかけられたことによる呪いの一つ。この刻印を体に刻まれた者は、常に自分の行先が第三者(刻印を刻んだ者)へと意志伝達される。呪いの解除方法は最上級の解除呪文を使うか、刻まれた者を殺すかの二択のみ】
(呪いだと? しかも追跡魔術ってことは……)
言葉通り取るなら、彼女の位置情報が、常に誰かに把握されているということになる。
ここで、俺はやっと気付いた。これが罠だということに――
「船長っ! 今すぐ船尾楼甲板へ!」
その時、船長室の外で乗組員の声が飛んだ。ラビ、ニーナ、ポーラたちは慌てて部屋を飛び出し、最上階にある船尾楼甲板へ走る。そこには既に大勢の乗組員たちが集まっており、皆が背後へ目を釘付けにされたまま凍り付いていた。
「どうしたのですか!?」
「あ、あれを……し、信じられねぇ光景ですぜ……」
乗組員の一人が、ポカンとした表情で、空の一方を指差す。
「……何、あれ………」
俺たちは絶句した。
船尾の遥か後方――雲一つ無い青空の中に、突如として何十……いや、何百もの巨大な赤い斑点が現れ始めた。
水玉模様のように広がるその赤い点一つ一つは、全て魔術により形成された、半径およそ五十メートルはある巨大な魔方陣だった。それまで青一色だった空が、波紋のように広がる赤い魔方陣によって、瞬く間に赤一色に塗り替えられてゆく。
そして、空全域を覆い尽くした魔方陣の中から、まるで産み落とされるように二層・三層の砲列甲板を持つ大型の戦列艦が次々と現れ始めた。
わずか数分の間に、俺たちの背後には、空を埋め尽くさんばかりの大艦隊が結集していた。その数、およそ五百隻。
『……おいおい、こんなに早くお出ましになるなんて聞いてねぇぞ』
あまりに最悪なタイミングで出くわしてしまい、俺は思わず愚痴をこぼしてしまう。艦隊のメインマストには、全艦漏れなくロシュール王国の国旗が高々と掲げられていた。……もはや疑う余地も無い。あれが……
「――あれが、無敵艦隊……」
世界最強と謳われる大艦隊。その圧倒的な数を前に、乗組員たちは固唾を呑んで立ち竦む。
「でも、あれだけの大艦隊が、どうやって一瞬でここまで……?」
ラビの抱いた疑問の答えは、ポーラが知っていた。
「……艦隊が出現する前に展開されていた魔方陣は、私の能力である転移魔術を発展させたものです。以前、私が王国軍に囚われていた時、ヴィクター・トレボックの持つ能力『能力奪取』により能力を一時的に奪い取られました。奴らは奪った転移魔術を更に強力な術式に書き換え、戦艦すらも丸ごと転移させることのできるマジックアイテムを開発していたのです」
「せ、戦艦一隻を丸ごと……!」
「はい。ですが、マジックアイテムを開発したとはいえ、それを無敵艦隊全てに配備させるだけの数を量産するには時間がかかりました。そこで奴らは、ラビリスタお嬢様の持つ能力にも目を付けたのです」
そこでラビは何かを思い出したのか、ハッとして考え込む。
「そういえば、私が捕まった時も、ヴィクターは『能力奪取』で私の能力である『錬成術』を奪いました。まさか、それで……」
「ええ、お嬢様から奪い取った錬成術を使って、マジックアイテムを量産することに成功したのだと思われます」
つまり王国の奴らは、ラビとポーラから奪い取った能力を利用して、艦隊ごと別の場所へ瞬時に転移させる戦法を見出したという訳らしい。まさに神出鬼没の艦隊ということか……
『いやいや、無理ゲーっしょ、こんなん……』
俺はこれから始まるであろう激戦を想像し、内心で身震いする。一対五百……どこぞの不良映画の殴り込みでもあるまいし、この戦力差は明らかにおかしい。せめて勝負するなら一対一でタイマン張って来いよ!
俺はそう嘆きたかったが、無敵艦隊は俺の意見などお構いなしに、着々と戦闘態勢を整えてゆく。奴らが陣形を整えてゆく間にも自分の寿命が縮まっていくように思えて、俺は生きた心地を失った。
戦いの火蓋は、俺たちの予想よりも遥かに早く、切って落とされようとしていた。
〇
「……提督、目標を発見しました。我々の前方五マイル先を、海賊船らしき船影が巡行中」
無敵艦隊の先頭を走る旗艦――船体を黒い鎧で包んだ砲百四十門搭載の超弩級戦列艦「デスライクード号」の甲板に立っていた副官の一人が、船尾に立っていた艦隊総司令官、ヴィクター・トレボックへ現状を報告した。
「艦隊の転移状況は?」
「全艦、転移完了を確認。砲撃準備を整えつつ、攻撃陣系へ展開中」
ヴィクターは、ニヤリと笑みを浮かべて「よろしい、初陣としては上出来だ」と満足するように答えた。
「まったく……逃げても無意味だとあれほど忠告したというのに、ガキのくせして諦めの悪い娘だ」
そしてヴィクターの背後にはもう一人、フョートル・デ・ライルランド大公も同乗しており、怒りを湛えた目で、前方を行く海賊船を睨み付けていた。
「なぁに、彼女もすぐに思い知ることになりますよ。どれだけ抵抗して足搔こうと、我々の持つ圧倒的な力を前には全く無力であるということをね」
ヴィクターはそう言って、近くに控えている副官に向かって指示を飛ばした。
「全艦に通達。陣形を整え次第、私の合図で前方を行く海賊船に一斉攻撃を仕掛ける。国王からは花嫁だけ生きて連れ戻せとの指示を受けているが……気にしなくていい、面倒だ。―――全員殺せ」