第144話 開戦前夜③ 〜囚われの花嫁〜◆
「ニーナ………今頃、どうしてるのかなぁ……」
ロシュール王国王都アステベル、国王の居城であるマイセンラート城に数多くそびえる尖塔の中でも最上階に位置する部屋の中で、一人の女エルフが思い悩んでいた。
ニーナの幼馴染――サラ・ヴォルジアにとって、第一王子と式を挙げる前日となるこの夜は、最もの不安の募る憂鬱な時間だった。
彼女の居る部屋の中は、豪奢な装飾が施されていた。巨大な天蓋付きのベッドを始めとし、床には世界で数匹と居ない希少動物の毛皮で作られた絨毯、家具や椅子も全て彫刻を施された高級なものばかりが並んでいる。
しかし、訪れた客人を可能な限りもてなすために用意された大部屋であるというのに、そこに居るサラの表情は曇ったままで、顔色も冴えない。
(私の結婚相手である第一王子のラングレート様は、真面目で聡明な方だけれど、あの暴力的な振る舞いはどうにかしてほしいものね……ラングレート様本人も、この縁談を最初から不服と感じていたみたいだし……)
自分の腰や肩をさすりながら落胆するサラ。昨夜もラングレート王子は、父親であるレーンハルト国王と仲違いして憤慨し、その鬱憤を晴らすようにさらに暴力を振るい、おかげで彼女は体のあちこちにできた痣の痛みがいつまでも取れなかった。
(多分、最高権力者である父親から言い付けられて、断ろうにも断れない状況なのね……エルフと人間が結婚することで魔術や知性に優れた子が生まれる「父人母妖の法則」が科学的にも証明されてしまった今、老いた国王様は国を立て直すため、一人でも多く優秀な子孫を王室に残そうと必死。王子の反対を押しのけてまで結婚式を強行しようとするまでだから、よっぽど慌てているみたいね)
しかし、王子との関係がこのようにぎくしゃくしていては、円満な夫婦生活など遅れるはずもない。どうにかして、明日の式を中止させなければ、自分の体がもたない。
――しかしそうは思うものの、国王からの命令は絶対。逆らえば、その矛先は自分だけでなく、ウッドロットに居る罪なきエルフたちまで巻き込んでしまうかもしれない。そんな予感が脳裏を過り、サラは再び不安の渦に飲み込まれてしまうのだった。
「あぁ神様……大切な人たちを置いて、国の政略結婚に自ら志願してしまった哀れな私を、どうかお許しください。……そして自分勝手ながら、どうか私に救いの手を差し伸べてください。お願いします………」
机の上で両手を組み、涙声でそう訴えるサラ。
――しかし、次の瞬間。まるで神がその声を聞き届けたかのように、一筋の希望の光が、夜空から彼女の部屋へと舞い降りたのである。
ガシャ―――ン!
突然、サラの居る部屋の窓が割れて、一本の矢が彼女の居る机の上に突き刺さった。
「きゃあっ! な、なに?……」
サラは驚きのあまり声を上げた。
しかし、舞い込んできたその矢が、エルフ族の通信手段として使う伝言の矢であることを悟り、彼女はおそるおそる矢を引き抜いて手に持ってみた。
すると、矢に付いた羽根が光り出し、小さな魔方陣が宙に描かれる。
『――よっ! おつおつ~! 元気にしてた? サラ』
魔方陣から放たれる声。その声が自分の幼馴染のものであることに気付き、サラは驚きのあまり矢を地面に取り落としてしまう。
「ニーナっ!」
『ずっと連絡できなくてマジごめん。私の親父からこの伝言の矢を貰ったから、サラにもこっちの現状を連絡しておこうと思ってさ。録音の音声だけど、しっかり聞いておいてくれよな』
久々に聞く友の声に安堵したせいか、サラの目から涙があふれて頬を伝ってゆく。
『……でね、突然のことでサラも困惑すると思うけど、私たち海賊とエルフは、王国と本気で戦争する決意をしたんだ。この決定はもう覆せない。私たちもエルフたちも、王国とやり合うために戦う準備を進めてる。勝てるかどうかは分かんない。……けど、みんな本気だよ。絶対に負けたりなんかしない。そして絶対に、サラをそこから救い出してやる。大の親友を能無し国王の息子なんかと一緒にさせてたまるかっての! そんなの、私が直々に婚約破棄を言い渡してやるんだから!』
王国と戦争する――その言葉に嘘偽りが無いことは、ニーナの覚悟を決めたような力強い口調からして明らかだった。
『だから待っててくれ。今度こそ必ず助ける。約束する! 結婚式の日を楽しみにしてな。デカい花束持って式場に凸してやるから! じゃ、またね~!』
そこで声は切れ、宙に描かれていた魔方陣は消えてしまった。