第142話 開戦前夜① ~集められた伝説の海賊たち~◆
――この日、リベナント小大陸にあるルルの港町では、町の住人たちの間に緊迫した空気が流れていた。通りすがり旅人や密輸船の乗組員たちも、何が起きたのかと言わんばかりの驚愕した表情で、船舶の停泊する洞穴ドックの方を眺めている。
この港町には、全部で八隻の船を格納できるだけの洞穴式ドックが整備されているのだが、そのうち六つの区画に、普段は見ることのない様々なカラーリングをした船が停泊していた。
この港に余所者の船がやってくること自体は珍しくはない。では何故、町の皆がそれらの船に目を奪われていたのかと言うと……それら全ての船の船尾には、色やデザインは異なれど、海賊の証である髑髏マークの旗が掲げられていたからだ。
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「……やれやれ、久々にアンタに御呼ばれしたから何事かと思えば――」
人気のないドックの洞窟中に、ドスドスと重いブーツの足音が響く。紫の派手なヒョウ柄のコートを上半身裸の上にまとい、筋骨隆々な体格を持った男が船を降り、ドックに併設された桟橋の上を歩いてゆく。その姿はまるでリングに上ろうとするレスラーを連想させる。
その巨漢は、ドックの奥で一人葉巻を吸っている青い髭の男――青髭を見つけると、スキンヘッドの頭を手でさすり、呆れたような口調で気安く話しかけた。
「話は聞いたぜ。羅針会の連中を全員かき集めて、王国と戦争をやらかすんだって? 気でも狂ったのかよ! 現実主義なお前らしくもない。一体何があったんだ?」
そう尋ねるスキンヘッドの巨漢に対し、青髭ことヨハン・G・ザヴィアスは、咥えた葉巻から白い煙を吹いてニヤリと口角を上げると、彼の前に手を伸ばした。
「久しぶりだな、グレゴール。『衝撃の紫豹』の名は今も健在か?」
「その呼び方はよしてくれ。子どもが付けたダサい渾名みたいで俺は好きじゃねぇんだ」
そう言って、スキンヘッドの巨漢はヨハンの手を取り、固い握手を交わす。――グレゴール・ラウザ。ヨハンと親しく語り合うこの男が、伝説の海賊である八選羅針会のもう一人のメンバーだった。
「俺が羅針会メンバーを全員ここへ集めた理由は、アスキンからの伝言で既に把握しているようだな」
「ああ。このピーピーうるさい小鳥のおかげでね。ったく、伝言を送るのならもうちょっとマシな方法で送ってきてほしかったぜ」
そう言って、グレゴールはヒョウ柄コートの懐から小さなゼンマイ仕掛けの鳥の玩具を取り出してヨハンに見せた。
「あぁっ! 私の大事な『チャッター・ピジョン』14号がぁ‼︎ この脳筋スキンヘッド野郎! お前のところまでそいつを飛ばすの大変だったんだからな!」
すると、ドックの向こうから叫び声がして、燕尾服姿の紳士な海賊、黄金の鷹ことアスキン・バードマンが現れる。
「やれやれ、久しぶりだな鳥野郎。相変わらずうるさい奴だ。返してほしけりゃ返してやるよ、ほれ」
グレゴールはそう言って、手に持っていた小鳥の玩具をギュッと握り潰し、ぐちゃぐちゃになったゴミをアスキンへ投げた。
「あぁ~~~! 私の愛鳥になんてことを!」と嘆くアスキン。
すると彼の隣に、もう一人の影が現れる。
「やかましいバカ鳥、焼肉にして、食っちゃうゾ! グアッグアッ!」
人影の肩に留まっていた赤いオウムが、アスキンに向かって鳴きわめく。このオウムの主人であり、不眠のスナイパー緋眼の狙撃手ことシャーリー・ロヴィッキーが、影の中から足音も立てずにスッと現れた。
「まったく、集合場所に着くや否や、不快極まりない不協和音の合奏を聞かされる羽目になるとは……耳を塞いでいた方が賢明かもしれないですね」
そして、アスキンとシャーリーのオウムが言い争っている様子を傍から見て呆れたように首を横に振りながら白銀のルベルトこと、ルベルト・フォン・パスカルが言葉を漏らした。
「ほう、アスキンにシャーリー、それにルベルト。しばらくご無沙汰してた面々が揃ってるじゃねぇか。まさか、本当に全員呼んだのか? ニーナとルシアナはどうしたんだ?」
「ルシアナは仕事が忙しくて今は来れないそうだ。ニーナは別行動中でここには呼んでいない」
ヨハンはそう答えて葉巻を吸い、白い煙を吐いた。
「なるほどねぇ……ま、普段は船に乗りたがらないお前が、わざわざ自分の船を連れて出張って来るくらいだ」
グレゴールはそう言って、ドックに入っている一隻の船、二層の砲列甲板を持つ海賊船を見上げる。その海賊船の船尾には、「サイレント・ウェイ」と船名が記されていた。
ヨハンは八選羅針会のリーダーとして伝説の海賊たちをまとめ上げる立場でありながら、世界中の空を荒らし回ったり、略奪の限りを尽くすような真似はしなかった。むしろ、世間から身を潜めるように各地を放浪し、仲間も持たずたった一人でひっそりと旅をしているような、どちらかと言えば海賊らしからぬ行動をする男だった。
しかし、そんなヨハンも自分の船を持っていない訳ではなかった。彼の持ち船である海賊船サイレント・ウェイ号は、普段誰も見つけることのできない場所に隠されており、ヨハンが本当に船を必要としたとき、船の場所を知る少数の乗組員たちがそこへ集い、帆を広げて大空へ飛び立つのである。
そしてまた、ヨハンが自分の船を用意するということは、彼が命を賭けた海戦に挑む覚悟があることの現れでもあった。羅針会のメンバーも、このサイレント・ウェイ号を見れば、自分たちも死ぬ気で戦う覚悟を決めなければならない。ヨハンが自分の船に乗って来ることはすなわち、これから血で血を洗う壮絶な戦いが始まる警告の狼煙でもあるのだから。
「本当はこんな邪魔くさいデカブツを用意するつもりなんざ微塵も考えちゃいなかったさ。……だが、面倒な事態を収めるためにどうしても必要になった」
ヨハンは咥えていた葉巻を地面に落として靴で踏み付けると、集合した四人の海賊たちを前にして深く頭を下げ、こう言葉を切り出した。
「皆、遠路ご苦労だったな。本当なら久々に顔を合わせられたことを祝って皆と一杯やりたいところだが……どうやらその前にひと暴れすることになりそうだ」
「ひと暴れ」とは言うものの、ヨハンの顔は冴えず、彼は落胆の溜め息を漏らしながら言葉を続ける。
「皆知っているとは思うが、アスキンからの伝言の通り、どこかのバカが、世界を巻き込むデカい戦争をおっ始めようとしている。……この世界は、つい数十年前に起こった三大陸間戦争から何も学んじゃいなかったらしい。馬鹿は同じ誤ちを何度も繰り返す。聡明なエザフ様もこう仰ってる。――『戦争によって大きな富と名声を得た者は、やがて自ら思い知るだろう。その目を己の外へ向けたとき、そこにはお前のために犠牲になった亡骸の山と血の海しか存在しないということを』」
「――聖ハウルヌス言録、第八章十四節」
ヨハンの言葉に続けるように、ドックの隅の壁にもたれて腕を組み、話に耳を傾けていたルベルトが言った。
「我らがリーダーは相変わらず聖書が好きだねぇ。厚さ二十ライル(約25センチ)もある本に書かれた内容が全部頭ん中に詰まってるのかと思うと、他のことは何も頭に入らなそうだ」
呆れたように首を振りながら溜め息を吐くアスキンに向かって、「それはお前の脳ミソが小さいからだろ」とシャーリーのオウムが悪態を吐く。
再び火花を散らして歪み合うアスキンとオウム。その間に割り込むようにして、グレゴールが声を上げた。
「おい、ヨハンがまだ話してんだ。話の腰を折るんじゃねぇ」
再びドックの中は静かになって、ヨハンが話の続きを始めた。