第133話 密会する二人◆
話は遡ること九年前――
三大陸間戦争が始まって三年が経とうとしており、対立を深める三大大国を中心に戦禍が広がりつつあった時代。
そんな中、エルフ族の隠れ里ウッドロットだけは、大樹ユグドラシルから供給される豊富な魔力と、エルフの技術によって作られた三つの神隠しランプで島を隠し、数百年前から続く沈黙を守り続けてきた。そのおかげもあって、ウッドロットだけは戦争が始まっても戦渦に飲まれることなく、エルフたちは相変わらず平和な日々を送り続けていた。
――しかしあるとき、閉鎖的なウッドロットを抜け出して大空へ旅立ちたいと夢見る一人のダークエルフによって、過去数百年に渡るエルフたちの沈黙が破られてしまうこととなる。
そのダークエルフ――ニーナ・アルハは、ふとした出来心と悪戯心によって、ユグドラシルの根元にある神殿の祭壇から、神隠しランプ三つのうち一つを盗み出してしまったのである。
これによって、それまで三つで調和が保たれていたランプの力が衰えてしまい、島の隠れ蓑であった透明化魔法が消失。突如姿を現した島影を、当時ライルランド男爵の率いていたロシュール王国艦隊が偶然にも見つけてしまい、それまで一人として余所者に踏まれたことのなかった土地に、王国の軍隊が押し寄せた。
王国側は、自分たちの国の領域内にウッドロットが存在することを理由に、戦争の混乱と外敵の侵攻から国土を守るため、里の周囲に機雷源を展開。エルフの村に王国軍一個中隊を駐留させたが、彼らの行いはまるで侵略者そのもので、高価な物品の略奪、島にしか生息しない珍しい生き物やドラゴンの捕獲。そして、エルフたちが開発した高度な魔法技術まで、そのほとんどが奪い取られてしまったのだった。
◯
――こうして、王国軍によるウッドロットへの不当な駐留から早二ヶ月が経とうとしていたある日。
時間は深夜で、涼しい風だけが吹く穏やかな夜だった。里はすっかり寝静まっており、どの家も明かりを消している。
しかし暗闇に包まれた里の中で一点だけ、小さな暖色の明かりがぽつりと浮かんでいるのが見えた。そこは大きな屋敷の角にある部屋で、この屋敷は里長ロムルスを筆頭とするヴォルジア家のものであり、明かりの見えている部屋は、ロムルスの娘であるサラ・ヴォルジアの寝室だった。
白いネグリジェ姿のサラは、明かりを消した部屋の中、窓際にある机の上に灯りを点けたランタンを乗せ、窓を開けて夜風に当たりながら、星の広がる空をぼんやりと眺めていた。
(……あんなに美しい空も、今では機雷原の巣窟にされ、自由の象徴であった空が、私たちを閉じ込める檻となってしまった。……このまま王国の言いなりになってしまえば、私たちエルフ族は確実におしまいだわ)
美しい星空を見ているにもかかわらず、サラの心は憂鬱に染まってしまっていた。王国のエルフに対する非道な扱いに、父親である里長ロムルスも報復を恐れて口を出せずにいる。サラはこれから先、ウッドロットの未来が、王国の乱入によってめちゃくちゃにされてしまうのではないかと恐れていたのだった。
しかし、そこへ――
「何一人で暗い顔しちゃってんの〜?」
「‼︎」
窓の外から突然声がして、クリーパードラゴンに乗ったニーナが上昇しながら現れたのである。
「に、ニーナ⁉︎ どうしてこんなところに!」
驚いたサラが目を丸くしていると、ニーナは鼻を擦りながらえへへと笑い、答えた。
「サラが一人で寂しがってるかなーって思って、来てあげちゃいました! ぶいっ!」
目元にピースサインしてポーズを決めるニーナ。そんな彼女に向かって、サラは周りに気付かれぬよう声を潜めながらも、強い口調で言い付ける。
「あなたが突然居なくなってから、里は大変なことになってるのよ! 誰かに神隠しランプが盗まれたせいで、これまでずっと機能し続けていた透明魔法が消滅して、そのタイミングを見計らうかのように王国の軍隊が大量に押し寄せてきたの。彼らが里を荒らしに荒らして、エルフの民はこれまでのような平和な生活を送れなくなってしまっているのよ」
「あ〜……うん、知ってる」
「というか、あなた今まで何処に居たの? 空には機雷がたくさん設置されているのに、どうやってここまで降りてきたのよ?」
心配するサラから質問攻めにされ、「と、とりあえずいったん落ち着こうか……」とニーナがサラをなだめてから、こう続けた。
「いやぁ……正直、神隠しランプの件については悪かったと思ってるよ……」
「悪かったって……まさか、あなたが神隠しランプを盗んだの⁉︎」
「い、いや、ほんの出来心だったんだよね……誰にも内緒で島の外に出たくて、自分の船も持ちたかったし、それに――」
しかし、その言葉が続かないうちに、窓際から飛んできた分厚い本がニーナの顔にクリーンヒットした。
「あだっ‼︎ ちょ、何すんのさ!」
「あなたが犯人だったのねっ! 神隠しランプがなくなったせいで、もう何もかもめちゃくちゃよ! どう責任取ってくれるのよっ!」
ムキになってひたすら部屋にあった本やら置物やら何やらをニーナに向かって投げ付けてくるサラ。彼女は本気で怒っているようで、ニーナはすっかり困ってしまった。
やがてサラは、物を投げる手をピタリと止めると、がくりと項垂れて、小さな溜め息を吐いて呟いた。
「……本当に、あなたがあのランプさえ盗まなければ、ウッドロットは今も平和だったかもしれないのに……うぅ………」
サラは声を詰まらせ、目尻からは涙があふれていた。その様子を見たニーナも、流石に自分に非があったことを認めざるを得なかったようで、「分かった、分かったよ。私が悪かったから、泣かないでくれって」と申し訳なさそうに答えて、サラの前に手を差し出した。
「で、でもまだ諦めるのは早くない? ウッドロットを王国の圧政から救う方法は必ずあるはずだよ。今は大変な状態かもしれないけど、私たちならきっと何とかできるって!」
「ニーナ……」
サラは、ニーナの希望を失わない態度を見て安堵するように息を吐き、それからこくりと頷いてニーナの手を取ろうとするが……
「――駄目、私は行けないわ」
「えっ? どうして?」
キョトンとするニーナに、サラは悲しげな表情で答えた。
「私、明日にはここを発たなければならないの。明日、ウッドロットにやって来る竜騎士団が、私たちを乗せてロシュール王国へ向かう手筈になっているのよ」
「サラが王国へ? それまたどうして?」
「……ニーナも知っているでしょ? 魔力適応能力の高いエルフの女性が、人間の男性と結婚して血縁関係を結ぶことで、その間から生まれた子ども《ハーフエルフ》には、強大な魔力と聡明な知能を授けられるってこと」
「父人母妖の法則」――人間の父親と妖精族の母親を持つことで生まれるハーフエルフは、強大な魔法を操る力と、天才的な頭脳を授かるという言い伝えで、過去にいくつか事例もあり、遺伝子学的にも証明されているという。
その話をサラから聞いたニーナは、唖然として目を丸くした。
「……ってことは、まさか!」
「そう、私も選ばれたのよ。王族との花嫁候補に。……相手は、国王の御子息――ラングレート・バルデ・マイセン」
「冗談でしょ! あの癇癪持ちなクソ王子と⁉︎」
ニーナが思わず声を上げてしまう。
「先日、ウッドロットに居るエルフの若い女性が全員集められて、保有魔力値の測定が行われたの。そうして数値の高いエルフたち数名が厳選され、王子の花嫁候補として王国に招かれるんですって。……でも聞いたところによれば、これは王子ではなく国王からの命令らしいの。きっと国王は、自分の国を任せられるだけの有能な人材を後世に残すため、エルフと人間のハーフを子孫に望んでいるのでしょうね」
「はぁ⁉︎ そんなの、あまりに自分勝手過ぎるっしょ! 自分たちの利益のためにサラの結婚相手まで勝手に決めさせられるなんて、マジないわ!」
声を荒らげ反論するニーナ。サラも首を縦に振り、「私もあなたと同意見よ。私だって最初は反対したわ」と答える。
「でも国王からの命令だもの。逆らえばきっとあちらは黙っていない。下手すればウッドロットの民たちにまで連帯責任を負わされるかもしれないわ。……だから、ここは大人しく従うしかない。民を守るためにも……」
そんなサラの言葉に、ニーナは悔しげに歯噛みし、怒りを押し殺すように両拳を握り締める。
――と、そのとき、屋敷の下の階の灯りが付いて辺りが騒がしくなり始めた。
どうやら物音を聞きつけて誰かが人を呼んでしまったようだ。このままでは二人が密会しているところがバレてしまう。
「ニーナ、早く逃げて! 今彼らに捕まったら反逆罪で殺されるわよ!」
「ああもうチクショ〜、このタイミングでかよ…… また会いに行くから! だからそれまで待っててくれよな!」
ニーナはサラを屋敷に残したまま、悔し紛れにそう言い残してクリーパードラゴンに繋がれた手綱を引き、アルハ家の屋敷から飛び立つ。
するとその時、逃げようとしたニーナの背後から、唐突に声が投げられた――
「助けに来て!」
振り返ると、屋敷の窓際に佇むサラが、両目から涙をあふれさせ、ニーナへ向かって精一杯の声を上げていた。
「お願い! 必ずまた戻って来て! 私と、エルフの民たちを助けに来て! 約束よ‼︎」
「サラ……っ!」
泣いているサラの姿を見て、ニーナは眉をひそめる。
サラは、相手側の利益のためだけに自分の結婚相手を決められることを望んでいなかった。しかし、かといって反対すればウッドロットの住人達にも責任を負わされてしまう。きっと彼女は、そのジレンマを前に毎日のように悩み続けていたのだろう。そうして、久々に出会った幼なじみであり、友人であるニーナに、涙ながらに助けを求めてきているのだ。
しかし救えないニーナはぐっと奥歯を嚙み締め、後ろ髪を引かれる思いに駆られながらも、この里に留まりたい感情を抑えて、再び屋敷に背中を向ける。
(……んなこと、言われなくても分かってるっつーの! 絶対に、私が助けに行く。アンタを国王の好き勝手になんかさせない。これは私が巻いた種なんだから、最後も私が方を付けてやらなきゃ!)
里を離れてゆくニーナと彼女の乗るドラゴンのシルエットが、上空に浮かぶ丸い月の中に小さくなってゆく、
里に残されたサラは、友人の無事を願い、祈るように両手を組んで目を閉じた。