第131話 伝書鳩アスキンの奔走 〜ルベルトの場合〜◆
――とある空域で、二つの勢力による戦いが起こっていた。
その戦いは双方ともに熾烈を極めていたが、明らかに他の船とは違い、異彩を放つ船が一隻だけ存在した。
その船は、まるで敵に向かって自分の船を襲ってくれと言わんばかりに眩しいほどの白一色で船体を塗り固めており、二列に並んだ砲門には流れる水の流れをイメージした彫刻が刻まれ、掘り出された流線の一筋一筋には銀箔が張られて、煌々と照り付ける太陽の光をこれでもかと相手に向かって反射し、キラキラと煌めかせていた。
自己主張の激しいカラーリングをしたその船のミズンマストには、大きな白い旗が掲げられており、その旗には指揮棒を片手に両腕を広げて、今にも音楽を奏でようとする骸骨のシルエットが、イラストとなって刻まれていた。
――そう、その船は海賊船だった。砲撃を交わす二つの勢力、一方は武装した王国の護衛船4隻、輸送船3隻からなる輸送船団で、その船団を白の海賊船一隻が単身で襲撃していたのである。
船の数からして、海賊側が不利であるのは明らか……のはずが、なぜか実際の戦況はその真逆で、輸送船団は海賊船一隻相手に押されに押され、完全に翻弄されてしまっていた。
「――さぁ、ここからいよいよ第三楽章に入りますよ! この章では嵐の吹きすさぶ夏の海のように荒々しく豪快に! そして、まるで反り立った崖下に打ち付ける白い砕破のように壮絶かつ暴力的に!」
快進撃を続ける海賊船の甲板から、一人の男の叫び声が上がった。すると、その声を合図とするように左右の砲列から一斉に砲声がとどろき、甲板一帯に硝煙がもうもうと立ち込める。
海賊船の左右に並んでいた武装船は、情け容赦ない猛攻を受けて手も足も出せぬまま損傷を負って退却を始めていた。護衛の船を瞬く間に蹴散らした海賊船はくるりと向きを変え、今度は船団後方で待機する輸送船へと舳先を向ける。
「ここからが本番です! まさに戦いの始まりを告げるように吹き付ける一陣の風、流れるようなフルート! 高々と立ち上る狼煙、荒風に揉まれながらもまっすぐ突き進んでくる敵影を前に、高まってゆく緊張感! ここはヴァイオリンとヴィオラが煽るように!」
海賊船の甲板で一人叫ぶその男は、敵船に囲まれ殺伐とした戦場の中で、まるで戦いを楽しむように声を弾ませていた。頭の上で綺麗に整えられていた白髪が乱れるのも構わず、感情任せに振り上げられる彼の手には、剣ではなく指揮棒が握られていた。
男は両腕を広げたまま、舞を踊るようにクルクルと体を回して体を逸らし、空を仰ぐ。彼の目に掛けた丸眼鏡に、白煙の切れ間から覗く青い空が映った。男は静かに目を閉じ、戦いの「音」に耳を傾けると、再び指揮棒を振り始め、高まる興奮に身を震わせる。
この男にとって、ここは戦場ではなく舞台の上だった。絶え間なく響き渡る砲撃音や乗組員たちの雄叫び、そして相手船から聞こえる阿鼻叫喚とした悲鳴や折れるマストの音……その全てが、彼の耳には音を奏でる楽器として聞こえていた。そして、最後にそれぞれの音を自分が振り上げる指揮棒で紡ぎ合わせ、一つのオーケストラとして戦場の音楽を奏でているのである。
「そう、そうです! 戦いに飢えた男たちの猛々しい叫びが船上に響き渡る! これはトランペットとホルンがアジタートかつコン・モートに! ずんずんと迫り来る敵! 早まってゆく乗組員たちの心臓の鼓動! このリズムはチェロとコントラバスがトレモロかつグラーヴェに! ――そうそう、その調子! そして章の最後を飾るように、弾けるような砲撃のティンパニが響き渡る!! あぁ、素晴らしいっ!!」
男は駆け抜ける快感にゾクゾクッと身震いし、長い白髪を振り乱しながら、その場に倒れるように両膝を付いて両腕を宙へ投げた。男の表情はこの世のあらゆる苦痛や束縛から解放されたように穏やかで、満面の笑みを浮かべた頬に心地よい汗の雫が伝い落ちてゆく。
「――敵輸送船団の完全な沈黙を確認。これより、乗り込みを開始します」
海賊船員の一人が、両膝を突き快感に浸っていた男に向かって声をかける。すると男はハッと我に返って立ち上がり、手に持っていた指揮棒を腰のベルトに差し込んだ。ベルトには金属製の鋭い指揮棒が他に何本も差し込まれていた。
「ああ、後は頼みます。今度は今よりもう少し激しさを抑えて、もっと知的でクールにやってみても面白そうだ。――そう、まるで秋の月夜を見上げて吠える狼のように、冷たく静的に、かつ厳かで冷徹に……あぁ、今度の曲もきっと良いものになりそうな予感がします!」
輸送船の積荷の強奪は手下たちに任せ、つい今さっき戦いを終えたばかりであるにもかかわらず、男は乱れた髪を整え、ズレた丸眼鏡を指で直しながら、さっそく次の楽曲作りに取り掛かり始めていた。
「タラッタラララ♫……トゥルルルットゥル♩……いや、違うな。もっとテンポを早めるべきか? タララララ、タラッタッタララララ♪……」
頭の中で即行に組み上がってゆく曲のメロディを口ずさみながら、男は時折り指を振ったり、軽快なタップを踏んだり、手すりをピアノの鍵に見立てて指を走らせてみたりしていた。
すると、そのとき――
「ピィピィピィ、相変わらず作曲に精が出るねぇ」
突然空の上から声が降ってきて、白髪の男は鍵を引く指を止めた。
「………はぁ……私の創造的な時間を邪魔するのは誰です? まったく、少しは空気を読んでほしいものだ」
彼は大きく溜め息をついて肩を落とすと、腰のベルトに手を伸ばして指揮棒を一本手に取り、声のした方へ思いきり投げ付けた。
シュカッ!
金属製の指揮棒は、空を舞っていた小さな影に突き刺さり、甲板の床に転がる。
それは、小さな鳥の形をした玩具だった。ゼンマイ仕掛けで動いており、男の投げた指揮棒に腹を貫かれて、甲板の上でパタパタと翼を打っていた。
「おいおい、久々に再開できたというのに、随分と酷いことをしてくれるじゃないか、『白銀のルベルト』さんよ」
その鳥の玩具は、床の上でのたうちながら、男に向かって言葉を投げる。
白銀のルベルト――それが彼の二つ名だった。白髪に丸眼鏡を掛けた、一見冴えない男に見えなくもない彼は、「戦場の音楽家」とも称される凄腕の海賊、ルベルト・フォン・パスカルであり、八選羅針会のメンバーの一人でもあった。
「黙れ、この小うるさい鳥め。せっかく自慢の楽曲を演奏できて気分が良かったというのに、お前がピーチクパーチク鳴きわめくせいで全てが台無しです」
「何を言うんだルベルト。君の音楽表現に例えれば、美しい小鳥のさえずりは、オーケストラに花を添えるピッコロのようなものだ。いや、むしろソプラノの歌姫と言っても過言ではないだろう?」
「いいえ、違います。確かにピッコロの音色は素晴らしいですが、お前の鳴き声は美しい和音を乱す不協和音にしかならない。ハッキリ言って雑音以下ですね」
「コケッ⁉︎ ざ、雑音とは失礼な! これでも毎日発声練習を欠かしたことはないんだぞ!」
そんなこんなで、一人頭を抱える男と床に落ちた鳥は、しばらく甲板の上で言い争いを続けた後、やがて男の方が折れたようにこう切り出した。
「……それで? 一体私に何の用でしょうかアスキン――いや、黄金の鷹。操作魔術と伝声魔術をかけたカラクリ玩具を寄越してただ私をおちょくりに来ただけではないでしょう?」
「ああそうとも。私は八選羅針会のリーダーであり、偉大な友である青髭ことヨハン殿のお言葉を伝えに来た殊勝な伝書鳩なのさ! ポゥポゥ、デデッポゥポゥ」
鳩の鳴き真似をしてみせるアスキンに、ルベルトは聞くに耐えないと言うように耳を押さえて苛立ちを露わにしながらも、「それで、我らがリーダーはなんと?」と尋ねた。
「"親愛なる同業者諸君へ――デカい嵐が来る。八つの旗の下に集え"……だそうだ」
その言葉を聞いたルベルトは、「ほぅ」と関心を見せて息を吐いた。
「その合言葉を聞くのも随分と久しぶりですね……それで、今度のお相手は?」
「王国の軍部連中と真っ向からやり合うつもりらしいぜ。何だって、かつて破門された俺たちの仲間であるヴィクターが王国側に寝返っちまったらしくて、奴に殺された古い友人の仇を取るって、ヨハンが言って聞かないのさ」
「なるほど……で、お前が各地に散った仲間を再編すべく水面下で動いている、と?」
「そういうこと。ヨハンから頼まれちゃ断れなくてね」
そう言ってアスキンは笑う。
「どちらにせよ、その知らせは私にとって朗報ですね。また昔のようにメンバー全員揃って戦場で音楽を奏でられる日が来るとは……再び我ら羅針会の皆と調和を奏でられる日を楽しみにしていると、リーダーにはお伝えください」
「合点承知! ……ところでルベルト君、私の愛しい小鳥ちゃんの腹に刺さった指揮棒を抜いてくれないか? これがあると、飛んで戻ることができないのだよ」
そう言われたルベルトは、呆れたように頭を横に振って床に落ちていた鳥の玩具を拾い上げると、刺さった指揮棒を抜き取り、そのまま床に叩き付けて足で踏み潰してしまった。
「……ふん、今度呼びに来るときは、こんな玩具なんか寄越さずに自分から会いに来ることですね」
◯
「――ああっ! 私の大事な『チャッター・ピジョン』12号がぁ‼︎ ……ちくしょう、あのイカれた音楽家め、あれ一つ作るのにどれだけの労力を費やしたと思ってるんだ! 音楽のことしか脳が無い白髪頭のメガネザルめ! 今度会ったらお前の大事な指揮棒を叩き折ってやるからな!」
ルベルトが伝言を受け取った同時刻。ルルの港に留められていた海賊船「ドリーム・フライト」号の船長室内では、アスキンの悲痛な声が響き渡っていた。