第120話 ウッドロットへ降り立つ
大樹ユグドラシル。もはや巨塔にも匹敵する大木の麓には、太い根が血管のように縦横無尽に蔓延っていて、根と根の間には雨水が溜まり、いくつもの小さな池が形成されていた。その池の周りでは、緑色の鱗を持つクリーパードラゴンの群れが並んで羽を休めており、水を飲んだり水浴びをしたりしていた。
ニーナは地に這う太い根の一つにドラゴンを下ろしてやると、池の近くまで行かせて水を飲ませてやった。
ニーナの曲芸飛行に目を回していたラビも、どうにか我を取り戻して、ぎこちない動作でドラゴンの背中から降りる。
そして、目の前にそびえる大樹を見上げた彼女は、その壮大な光景に息を呑んだ。
「これが、エルフの隠れ里を支える大樹ユグドラシル………なんて大きいのかしら」
何百、何千年もの歳月を経てすっかり苔むした幹は、直径数百メートルはあるだろうか? 天に向かって伸びてゆく先は、いくつもの枝に分かれていて、生い茂る深い緑の隙間から漏れた太陽の光がキラキラと輝き、木漏れ日が地面に細やかな影模様を映し出していた。
『ニーナ、ウッドロットに来たは良いが、肝心のエルフの村が見当たらないぞ』
俺がそう問いかけると、ニーナは「そりゃそうよ。だって地上には無いんだもん」と答える。
「は? 地上に無いんだったら、どこにあるんだよ?」
「あそこ」
ニーナは大樹ユグドラシルの真上を指差す。
「エルフの村は、この木の上にあるの。根元はクリーパードラゴンの住処になっていて、竜騎士の乗るドラゴンたちも、ここで世話されてるの。この子たちは基本攻撃しなければみんな大人しいから、襲われる心配はないよ」
ニーナはそう言って、「おつおつ、よく頑張ったね~」と、水を飲むドラゴンの頭を撫でて褒めてやっていた。
――すると突然、空から無数の羽音が聞こえてきて、ドラゴンの群れが十数匹、まるで枯葉のようにフワリと上空から舞い降りてきた。ドラゴンの背中には人間らしき者が乗っていて、全員耳が尖っているところから、ニーナと同じエルフであると分かった。
ドラゴンに乗ったエルフたちは、ラビとニーナを囲うように着地すると、持っていた長い槍を俺たちの方へ向けて構えた。
「お前たち、そこを動くな!」
若いエルフの男が一人、険しい顔で声を上げた。彼らの乗るドラゴンも気性を荒くして、俺たちを威嚇するように翼を広げて迫ってくる。突然槍を向けられ、怖がっているラビの前に、ニーナが立ち塞がった。
「ちょい待ち。私たちは敵じゃない。アンタたち見て分からないワケ? 私はアンタたちと同じエルフ! で、この子は私が連れて来たお客! 少し考えてみれば分かることでしょ?」
自分たちを敵視するエルフたちに向かって突っかかってゆくニーナ。すると、ドラゴンに乗った若いエルフの一人が、ため息を吐いてこう答えた。
「……ええ、あなたのことは私たちも存じています。『褐色の女神』のニーナ・アルハ。エルフ族で唯一の伝説の海賊であり、屈指の腕を持つ竜騎士」
「そう、その通り! 分かってるじゃん。伝説の海賊であるニーナが、故郷へ帰ってきましたよ! ピスピースっ!」
仲間のエルフからそう言われて、自慢げに胸を張り、両手でVサインしてみせるニーナ。
しかし、若いエルフはこう言葉を続ける。
「――そして、我らエルフ族の中で最も異端であり、里長の警告を無視して里から去った反逆者、つまりは裏切者であり、犯罪者です」
「えぇ………そこまで言うことなくない? マジ萎えるんですけど~」
反逆者、裏切者、犯罪者の三拍子を口にされて脱力してしまうニーナ。そんな彼女に向かって、槍を構えたエルフは言葉を続ける。
「あなたは今すぐ、評議会に出頭してもらいます。そこで里長と面会し、しかるべき罰を受けていただきます」
「えぇ~、帰った途端に即処罰されんの〜? 帰った日くらいはゆっくりしたいんですけどぉ?」
「問答無用です。同行を拒否するようであれば、力尽くでも連れて行きますよ」
そう言ってニーナに矛先を向けるエルフたち。
おいおい大丈夫なのか? 上陸した初っ端から険悪なムードが濃厚だぞ……
心配性な俺が、ことの成り行きを心配していると……
「待ちなさい、アンタたち!」
そこへ、俺たちを囲うエルフたちの背後から甲高い声がして、彼らの間へ割り込むように、ドラゴンに乗った騎士の女性が一人、姿を現した。
しかし彼女を見た途端、俺とラビは思考停止するようにポカンと呆けてしまう。
その女性は、ニーナと同じ褐色肌のダークエルフだったが、その背丈はラビと同じか少し低いくらいで、小さな体の上には丸い童顔が乗り、金髪の長い髪を左右でツインテールにまとめていた。その容姿は、周りにいる他のどのエルフたちよりも未成熟で、青二才な――
要するに、幼女だった。
(なんだ、こんなラビみたいな子どもまで竜騎士をやっているのか?)
俺は驚いたのだが、それはまだ序の口。ダークエルフの幼女が俺たちの前へ現れた途端、それまで強気だった周りのエルフたちは、皆かしこまるように肩をすくめ、彼女の前で全員が頭を垂れたのである。
「こ、これは騎士団長様!」
――――はぁ⁉ この小さいガキが騎士団長だと⁉
仰天する俺たちの前で、そのダークエルフの幼女はドラゴンから降り、ニーナの前までスタスタ歩いてくると、まな板の平らな胸を押し付けるように前へ突き出して両手を腰に当て、険しい表情でニーナをキッと睨み付けた。
「………よ〜やく帰って来たんだね、ニーナ。一体どれだけアタシたちが心配したか、アンタ分かってんの?」
そう言われたニーナは、自分より背の低い幼女から目を反らしながら、冷や汗の伝う頬を指で掻き、恥ずかし気にボソッと答えた。
「あ、え~と、その………と、とりま帰ったよ、ママ――」
この一言で、目の前に立つ褐色肌の金髪ツインテール幼女がニーナの母親だと分かり、俺とラビは開いた口がふさがらなかった。