第114話 王都アステベル
それから数日後、そろそろ王都も近付いてきたのではないかと思い始めていたとき――
「左舷前方に影が見えます!」
マストに登っていたエルフの一人が声を上げた。進行方向の先、流れてゆく雲の中を、大陸らしき巨大な影の輪郭が浮かび上がる。
「進路そのまま、高度を少し上げて!」
ラビの指示に操舵手が従い、俺はしばらく上昇した後、一気に雲の中を突き抜ける。
すると、それまで視界をさえぎっていた雲が晴れ、目の前に広がった光景を見て、俺とラビは息を呑んだ。
蒼い空の中に浮かぶ巨大な大陸。その大陸上には緑の深い山々が連なり、山のふもとから湖にかけて、白い壁に朱色の瓦屋根で統一された、美しい町並みが広がっていた。
『すげぇ……あれが、王都アステベルか』
俺は「遠視」スキルで町の中を一通り見回してみたが、いかにもファンタジー作品に登場しそうな西洋風な建物が連なり、通りにはたくさんの人々が盛んに往来して賑わいを見せている。転生前に外国なんて言ったことのなかった俺にとって、このような異国情緒のある街を前にすると、ついワクワクして興奮が冷めなかった。
町の中央に視線を移すと、そこにはいくつもの尖塔がケーキのキャンドルのようにそびえる巨大な城が佇んでいた。どうやらあれが、国王の居城らしい。
「あれがマイセンラート城で、その下に広がっているのが城下町です。町から伸びる大通りは、そのまま王都の港である湖に直結していて、港で下ろされた物資がそのまま大通りを通って、町の商店や市場に運ばれてゆく仕組みになっています」
ポーラがそう俺に説明してくれる。
『王都のことについて詳しいんだな』
「はい。マイセンラート城では月に一度、王国の全領主を集めた会議が招集されるのです。その際、私たち近衛メイド隊もレウィナス公爵様の護衛として同行していました」
なるほど、それなら町のことにも詳しくなるはずだ。町を歩く際は、迷子にならないようポーラも同行させるのが得策だろう。
そんなことを思いながら、港である湖を観察していると、ふと妙なことに気が付く。
港に停泊する船とは別に、まるで港を囲うようにして、何隻もの武装船が配置されていたのである。恐らくロシュール王国飛空軍の艦船なのだろうが、港へやって来る船を監視するにしても、やけに厳重過ぎやしないか?
『ラビ、入港するのちょっと待った』
「えっ? どうかしましたか、師匠?」
何だか嫌な予感がした俺は、王都の正面玄関から入ることを止め、代わりにとある提案をラビに持ちかけた。その提案とは――
〇
アステベルの街中は本当に繁栄を極めていた。大通りから外れた路地にも絶えず人が流れ、左右には所狭しと様々な商店が軒を連ねている。色とりどりの縞模様が目立つ雨よけの下で商人たちの売り文句が飛び交い、それに釣られたお客たちが、時折り立ち止まっては品定めし、買い取ってはまた雑踏の中に紛れてゆく。
……で、そんな人で賑わう通りの中を、俺たちはショッピングを楽しみつつ歩いていたのかと言うと――そうではなかった。
「うわ~、相変わらず人がすごいねぇ。まさに商売繁盛って感じ?」
ニーナが面白そうなものを見る目で、賑わう通りを上から見下ろしていた。その横では、ラビとポーラが人目に付かないよう身を屈めたまま、望遠鏡を覗いて通りの状況を確認している。
「……お嬢様、どうですか?」
「……やっぱりこの通りにも同じものが張り出されてある。降りるのはマズいわ」
ポーラの問いかけに対し、そう返答するラビ。
――俺たち、ラビとポーラ、そしてニーナの三人は、町に建ち並ぶ建物の屋根の一角に身を潜め、通りを偵察していた。
どうしてそんなコソコソと周りの目に付かないよう行動しているのかと言うと、街中の通りの壁に張り出されている、ある張り紙がその原因だった。
”指名手配!”
”海賊船長ラビリスタ・S・レウィナスとその海賊団一味”
”罪状:殺人・強奪・恐喝・器物損壊・その他罪状過多につき有罪”
”タイレル侯爵領領主であるタイレル侯爵をも死に追いやったこの愚か者を捕えた者には、国王陛下より賞金百万ぺリアを報酬として与える”
『……なるほど、今度は情報操作によるニセ報道で圧力をかけてくるか』
ラビの首から下がるフラジウム小結晶に転移していた俺は、そう独り言ちてため息を吐いた。
でかでかとラビの顔写真が印刷されたその張り紙は、王都のいたる所に張り出され、もはや目に付いていない国民は皆無であるかと思うほどに大々的に告知していた。しかもマイセンラート城周辺では、拡声魔術を使って周辺住民への呼びかけまで行っており、もはや完全にラビはタイレル侯爵を殺した極悪指名手配犯として王都の国民からは認識されてしまっているようだった。
もちろん、この報道はデマだ。実際にタイレル侯爵を殺したのはヴィクター・トレボックであり、ラビが侯爵を殺した訳ではない。
「おそらく、あのヴィクターという男が私たちのことを偽の情報と共に口外したのでしょう。ヤツの背後にはライルランド男爵がいます。それに、レウィナス侵攻時に男爵側に加勢していた国王自身にとっても、レウィナス公爵様の残党である私たちは邪魔な存在であるはず」
「ええ。……でもまさか、こんなにも早く私たちの情報が拡散してしまっているなんて……この様子じゃ、街での情報収集も難しそう……」
「一度船まで戻って対策を練り直した方がよろしいかと思います、お嬢様」
ポーラがそう進言し、ラビもこくりと頷いた。
「ええそうね、分かったわ。ポーラ、転移をお願い」
「承知いたしました」
ポーラはラビとニーナの肩に手を置くと、転移スキルを発動させて三人同時に別の場所へと転移した。
そこは、マイセンラート城のちょうど裏側に当たる建物の屋根の上で、周囲を囲う城壁に隠れていることもあり、周りからは完全に死角になっている場所だった。
「いや~~、それにしてもラビっち捕まえただけで賞金百万ぺリアとか、ヤバくない? 一生遊んで暮らせる金額だよ? もしそんな大金あったら、私何しちゃおっかな~?」
ニーナが面白そうにニヤニヤしながらそんなことを言い始める。するとポーラがキッと彼女を睨み付けて、注意するように言った。
「少しは場を弁えた発言をしてほしいですねニーナ。ラビリスタお嬢様が王国に引き渡されないよう警護するのが私たちの任務であり使命です。……まさかとは思いますが、私たちを裏切ってお嬢様を王国側に引き渡し、賞金を独り占めしようなどという下劣なことを考えているのではありませんよね?」
「あははっ! ……え~どうしようかな~? 百万ぺリアもらえるんだったら、いっそのことラビっちを王国に売っちゃった方が儲かるかもだし~、どっちに付くか迷っちゃうな~」
問い詰めてくるポーラに対し、顔を突き合わせるようにして煽ってくるニーナ。
「もし王国側に付くというのなら、あなたを今すぐここで殺す――お覚悟を」
そう言った刹那、ポーラは目にもとまらぬ早業で肩に下がった拳銃を抜き、ニーナの額へ銃口を向けた。一方のニーナも、即座に懐の短剣を抜いてポーラの喉元へ刃先を押し当てる。またしても殺し合いが始まりそうな殺伐とした雰囲気に俺が困ってしまい、慌てて二人に声を投げる。
『おい! 二人ともいい加減に――』
「っ! 二人とも、影に隠れて!」
しかしそのとき、ラビがふと人の気配に気付き、慌てて二人の手を取って影となった壁の方へと引き寄せた。
マイセンラート城の裏側には、巨大な半円状のバルコニーが設置されており、そこに一人の人影が見えたのである。……危なかった、いくら周りから死角になっている場所でも、あそこからでは俺たちの位置が丸見えだ。ラビ・ポーラ・ニーナの三人は、見つからないよう建物の影に身を潜め、息を殺す。
バルコニーにいる人影は女性だった。まるで西洋絵画でも見ているような美しい顔立ち、肌は色白で、左右の耳が尖っているところから、エルフであることが分かった。水色のドレスを身に着けた彼女は、何やら憂鬱そうな表情で肩を落とし、どこか遠くの方を見つめている。
(ん? ちょっと待てよ……あのエルフの顔、どこかで見た覚えあるような――)
ふと、俺が彼女に対する既視感を覚え始めたとき――
「―――っ!」
バルコニーに目を向けるなり、ニーナが目を見開いたまま固まってしまった。
「お嬢様、こちらから逃げられます! 早く! ほら、ニーナも急いで!」
ポーラがこちらへ来いと手を振るが、ニーナはその場に突っ立ったまま、動こうとしない。
「―――サラ……どうして、あのとき………」
ニーナの口から、小さな声が漏れた。一瞬遠くなる彼女の瞳に俺たちの姿は映っておらず、バルコニー上にいるエルフの女しか見えていないようだった。
「ニーナさんっ!」
ラビの必死な呼びかけに、ようやくニーナはハッと我に帰り、急いでラビの方へと駆け出す。城の方で騒ぎは起こらなかったので、どうにか俺たちは見つかることなくその場から逃げ出すことができたようだ。