第104話 物語は再び動き出す◆
「ひいぃぃっ! ばば、化け物ぉっ!」
タイレル侯爵は腰を抜かして、転がるように逃げ出す。ヴィクターも「ちっ」と舌打ちして、音も無くその場を離れていった。
「………あ……あの、なんか、ごめんね。ボクが出て来たせいで、話の腰を折っちゃったかな? 君の話し相手、二人とも逃げちゃったみたいだし……」
グレンが申し訳なさそうに首をすくめながら言う。けれどラビは首を横に振って答えた。
「うぅん、ナイスタイミングだったよ、グレンちゃん。体の調子はどう? しっかり休めた?」
「……うん。おかげさまで、もうすっかり元気になったよ。ラビちゃんの方も大丈夫だった? ……って、あ、ごめん。そんな格好で、とても大丈夫なんかじゃないよね……今、自由にしてあげるね」
グレンはそう言って、ラビの両腕に付けられた手枷を、天井に繋いでいた鎖ごと、器用に歯先で噛みちぎった。
一方で、突如として現れた巨大な竜が、自分のお嬢様であるラビと普通に会話している姿を見たポーラは、目を丸くして驚いていた。
「お、お嬢様が、竜と話してる……」
「あ、ポーラさん、今助けますね! グレンちゃん、この檻を破れる?」
「……うん、任せて」
グレンは檻を鼻先でチョンと突くと、鉄格子はいとも簡単に外れて地面に落ちた。
「さ、ポーラさん。急いでここから出ましょう!」
「……は、はい、お嬢様!」
ポーラはラビの手を取って立ち上がると、二人はグレンの首元に跨った。
「……ラビちゃん、これからどうするの? お城の人たちはボクたちのこと、あまり良く思ってくれてないみたいだけど……」
城の外へと目を向けたグレンが、不安そうな声で尋ねてくる。城外では、突如として現れた黒炎竜に対処すべく、慌てた兵士たちが右往左往しながら大砲を準備し、攻撃態勢を整えているところだった。
「それはもちろん、すぐにでもここから逃げ出したいところだけど……でも――」
ラビはそこで言葉を止め、ぐっと拳を握り締める。
「……でも、やっぱり私は許せない。私の両親を殺しただけでなく、グレンちゃんの同族を皆殺しにして、ポーラさんにこんな酷い仕打ちをした彼らを、このまま放っておく訳にはいかないよ」
眉をひそめ、怒りの感情を露わにするラビ。けれど、その表情はどこか曇っていて、気持ちが揺らいでいるようだった。ラビはそれから悲しそうな目で、跨っているグレンの黒い鱗をそっと撫でながら、独り言のように小さな声でつぶやく。
「………グレンちゃんは、あんな殺人竜になんか、ならないよね?」
そんな彼女を見たポーラは、ラビの抱いている「迷い」の心情を理解した。きっとラビは、またレウィナス侵攻のような悲劇の連鎖が起きてしまうことを恐れているのだろう。争いは争いしか生まないように、憎しみもまた、憎しみしか生むことはない。
しかしポーラは、そんなラビの考えを、真っ向から否定する。
「お嬢様、奴らを追いかけましょう。私も、ご主人様と奥様の命を奪ったあの外道たちを、絶対に許せません」
「……でも、私は………」
「お嬢様はあの男とは違います。あの卑劣な男は、ずっと過去に囚われたまま、憎しみを引きずり続けるあまり心を歪めてしまった愚か者です。ですがお嬢様は、もう既に辛い過去を乗り越えておられます。そうでなければ、あそこまで言われて、怒りの感情を露わにしないはずがありません」
ポーラはそう言って、ラビの腰に両腕を回し、しっかりと自分の胸へ抱き寄せた。
「……少し見ない間に、随分と成長されていたのですね、お嬢様。ご主人様を殺した男を前にしながら、あんなにれっきとした態度で張り合えるなんて。まるで、本物の英雄を前にしているようでした。怒りに我を忘れてしまった私は、戦士としてまだまだ修行が足りていないようです」
「い、いえその、あれは少し強がってみたというか、あんなこと言われてこっちも言い返さずには居られなかったというか……あの話も私の考えた嘘の作り話だし……だから、信じないでくださいね!」
はにかみながら言い訳するラビ。けれどポーラは、語気を強めてこう返した。
「いいえ、私は信じます。たとえ後から付け加えられた嘘の作り話だとしても、少しでも少女にとって希望のある終わり方にした方が、私は好きです」
「……あ、あの、ボクも仲間をみんな殺されたけど、復讐とか、そういう感情はよく分からないし、ボクなんかに復讐なんかできるわけないし……でも、ラビちゃんがそれを望んでいるのなら、ボクは何でも言う通りにするよ」
ラビを乗せたグレンも、フォローとは言い難いけれど、思ったことを素直に言葉で返してくれる。
ラビは一人と一匹に背中を押され、意を決し、迷いを振り払って前を向く。
「……分かりました、彼らを追いましょう! グレンちゃん!」
「うん、……しっかり掴まっててね」
グレンはラビとポーラを乗せて大きな翼を広げると、城の壁から勢いよく飛び立った。