第101話 レウィナス侵攻作戦②◆
「ご主人様、お嬢様をお連れしました」
執務室には、父シェイムズと母キアナの姿があった。シェイムズは「ありがとう、ポーラ」とメイド長を下がらせ、「おいで、ラビ」と娘を呼んだ。
ラビは両親の二人を見た途端、それまで堪えていた涙を溢れされて、父親のもとへ駆け寄った。
「お父様っ! 今扉の外で、兵士やメイドたちが撃たれて、それで……それでっ!」
「ああ、分かっているよ。すまない、怖い思いをさせてしまったようだな」
シェイムズは泣いている娘を抱き寄せ、それからポーラに向かって尋ねた。
「それで、男爵率いる軍勢は、もうすぐそこまで来ているのか?」
「はい。……申し訳ありません、ご主人様。私たちが警備していながら、屋敷内まで敵の侵入を許してしまいました。生き残った者を集めて、部屋の前にバリケードを築かせましたが、長くは持ちません。どうやら、襲撃してきた敵の中には、国王直属の近衛兵たちも含まれているようです。速やかに、ここから非難された方が良いかと……」
「なに? 国王陛下まで男爵の肩を持っているというのか!」
ポーラの報告を聞いたシェイムズは驚いたように声を上げ、やがて「そうか……」と残念そうに肩を落とした。それから、少しの間目をつむって考え込み、やがて何かを決断したように目を開くと、泣いているラビに向かってこう言い聞かせた。
「……ラビ、これから私の言うことをよく聞いて、その通りにするんだ。いいね? 今すぐ、ポーラと一緒にこの屋敷を離れるんだ。絶対にポーラの傍を離れてはいけないよ」
「お父様とお母様も、もちろん一緒に逃げるんでしょ? ねぇそうでしょ?」
そう問い詰めてくるラビに、シェイムズは少し躊躇いながらも首を横に振り、娘の肩に手を置いて答えた。
「――ラビ、これからは、お前一人で生きていくんだ。今は辛くても、いずれは誰もが通る道だ。どんな時も強く、そして何より優しくありなさい」
「お父様は来ないの? どうして? 来ないのなら、私もここに残りたい!」
「あぁラビ。私の愛する娘よ……どうか、達者でいてくれ」
「イヤっ! 私もお父様と一緒に行くのっ!」
シェイムズは、一緒に行くと言って聞かないラビの額にキスを交わし、次に母親が、同じく頬にキスをした。
「ご主人様! それに奥様まで! 本当にここに残られるおつもりなのですか⁉︎ 私の転移魔術を使えば、三人一緒に屋敷の外へ転移させることも可能です!」
ポーラもそう言って反対するが、シェイムズは彼女の手にラビを委ねながら言う。
「ポーラ、例え今逃げたところで、男爵はしつこく私の後を追い続けるだろう。奴の狙いはこの私だ。私の傍に居れば、いずれラビも危険に晒される。災いの元凶である私の傍らに娘を置いておくことなどできない。そこをどうか分かってくれ、ポーラ」
「そんな……ならせめて奥様だけでも!」
ポーラがそう提案するが、キアナの方も首を横に振る。
「ラビ、ポーラ、私たちならきっと大丈夫。後で私たちも、ちゃんと後を追いかけますから。だから、泣かないで。ね?」
母親の見せた優しい笑顔が、それまで不安と恐怖で一杯だったラビの胸を少しだけ軽くしてくれる。
――しかし、安心したのも束の間、執務室の外で爆発が起こり、部屋の中が地震のように揺れ動いた。扉の向こうから轟く銃声と、警備兵やメイドたちの悲鳴。ライルランド男爵率いる軍勢は、とうとうバリケードを突破してしまったようだ。
「さ、早く行って! ポーラ、この子をお願いね」
「ぐっ……かしこまりました、奥様。ご主人様も、どうかご無事で」
ポーラは悔しさを噛みしめながらも命令に従い、両親の前で一礼すると、泣いているラビの手を握り、転移魔術を使って屋敷の外へと転移した。
〇
「……キアナは、ラビと一緒に行かなくて本当に良かったのか?」
二人が転移した後、それまでラビとポーラが立っていた場所を見つめながら、シェイムズはキアナに向かってそう尋ねた。
「あの子なら大丈夫よ。私たちが居なくても、きっと一人で上手くやっていけるわ。……それに、『例え死が二人を分かつとしても、私はあなたの傍から離れない』って、あの時約束しましたからね」
「……はは、それは私たちが結婚した時に交わした誓いの言葉じゃないか。もう何年も前の話だ」
「構いませんわ。例え行き着く先がどんな地獄だろうと、私はあなたの傍を離れるつもりはありませんから」
「それは心強い限りだ」とシェイムズは肩をすくめて答えた。執務室の扉の向こうから、ドタドタと複数人の足音が近付いて来る。彼は腰に下げていた剣を抜き、「キアナ、後ろに下がって」と妻を背後に下がらせた。
ドンドン! と施錠した扉が乱暴に叩かれる。扉の前に剣先を向けたシェイムズは、ふと昔の友人のことを思い出し、深い溜め息を吐いて、こう独り言ちた。
「……やれやれ、やはりお前の言う通りだったよ、ヨハン。地位だの名誉だの権力だの、持っていたところで何の意味もないどころか、逆に持ったことで自らを破滅へ追い込んでしまった。無知な私をどうか許してくれ、友よ……」
次の瞬間、扉が蹴破られ、武装した兵士たちが、部屋の中へ雪崩れ込んできた。