40.
――コンコン。
「……はい」
ちょうどのタイミングで扉がノックされ、ディランの応答の後でクリスが姿を見せた。
「そろそろお帰りの時間かと」
「ああ、行くか」
その言葉を合図に、エイヴリルも気持ちを切り替える。
(残念ですが、お見送りをしましょう)
そのまま三人で部屋を出て、廊下を歩き始める。すると、クリスとコリンナがいた部屋の前に差し掛かったところで、義妹の怒りの声が聞こえた。
「ちょっと! 放置して帰らないでよ! 解きなさいよ!」
なんだか物騒な訴えに、エイヴリルは足を止めて部屋の中を覗き込む。そこには掛け布団と紐でぐるぐる巻きにされたコリンナが転がっていた。
「コ、コリンナ……⁉︎」
一体何があったのか。あわあわとクリスとコリンナの顔を交互に見るエイヴリルに、コリンナが状況を説明するように叫ぶ。
「ちょっと! その男、私に全然なびかないんだけど! クラッとすらも来てない! それどころか、余計な動きをするなってぐるぐる巻きにされたんだけど⁉︎」
しかし、名指しされたクリスはニコニコと笑っている。
「まあ、本性を知っていれば当然ですよね。身ぐるみ剥がされるのは嫌ですし、下手したら何もかも乗っ取ろうとしますしねえ」
「そんな穏やかに喋ってないで、とにかく解きなさいよぉ⁉︎」
コリンナの悲鳴がこだまする。
けれど、クリスは完全に意に介さず、解いてやる気もないようで、さらりとディランに報告するのだった。
「彼女が脱走した経緯について聞き取ってきました。自分からここで働き始めたそうなので、借金はありません。リンドバーグ伯爵家には報告してありますし、放置でいいでしょう。とにかく帰りましょうか、ディラン様」
「ああ……」
完璧な仕事をしたクリスに、ディランが少しばかり引いている。
ここでは共闘関係にある義妹を早く助けてあげないといけない、と思うものの、あまりにもクリスの手際が見事すぎたためすぐには動けないのだった。
(たまには、コリンナにもこういう経験があってもいいのかもしれませんね……)
コリンナの紐は後で解いてやることにして、エイヴリルは後ろ髪引かれつつ帰っていく二人を見送ったのだった。
その日の夕方。
夜の営業を前にしたベル・アムールには、早速ディランが手配した医師と修道院ボランティアたちが訪れていた。
サロンではボランティアたちが修道院に寄付された物品を無料で配り、一部ではドレスなどが市井と同じ価格で売られている。
今日の今日だ。あまりにも手配が早いことに驚いたエイヴリルが事情を聞くと、普段エイヴリルとは慈善活動で顔見知りのシスターが『とある支援者の方が朝から使用人を引き連れて修道院を訪れ、準備を手伝ってくれた』と明かしたのだった。
いつもとは違うタイミングでの訪問に、フレイヤは首を傾げている。
「確か、先月来てくださったばかりのような気がしていたけれど」
「しかも、こんなにたくさんの物品を持ってきてくださるなんてありがたいですよね」
「……。エイヴリルさん、何か知っているんじゃない?」
昨夜、エイヴリルには何やら大金持ちの夫がいるらしいと知ったフレイヤは、不思議そうな視線を向けてくる。けれど。
(見透かされている気がしますが、ここは黙っておきましょう。ロラさんに知られてはいけませんから)
揺るぎない守銭奴のロラは、ディランがお金さえ払えばこの店からエイヴリルを連れ出してもいいと思っているらしい。一方で、守銭奴であるからこそ、この店のあり方を変えようとしていることを悟られてはならないのだ。
(この店の不利益になることを許すはずがないですから)
そのロラは、この訪問がいつもと同じ類のものと理解し、仕方がなく受け入れている様子だった。
早く撤退して欲しいのか迷惑そうな表情を浮かべてはいる。しかし言葉には出さない。さすがに、神への冒涜は避けたいのだろう。
そんなロラを横目に、ベル・アムールで働く女性たちは思いがけない訪問を喜び、ここぞとばかりに必要なものを手に入れていた。
「あのお方がおっしゃっていた通りですわ。明日は別の娼館を訪ねてみましょうか」
シスターたちがそんな会話をしているのが聞こえてくる。
外からは華やかな場所にしか見えないが、実情は全く違う。この活動が進めば、十一区で働く女性たちの暮らしは確実にいい方に変わっていくはずだった。
エイヴリルは賑わっているサロンを後にして、従業員用の寮の一階へと向かう。すっかり通い慣れた部屋の扉をノックして開けると、そこにはいつも通りルイーズが休むベッドがある。
今日のルイーズのベッドサイドには、空になったスープ皿の他に薬を飲む時に使用する小さな小皿が置いてあった。エイヴリルを視界に入れた彼女は、ものすごく心配そうに聞いてくる。





