狂宴の閉幕
あの怒濤の夜が明けたあと、エマを待っていたのは、血相を変えて駆けつけてきた父と母からのしこたまの説教であった。
「どれほど心配したと思っているのですか、エマ!!」
いつもは穏やかな母が声を枯らして震え、父はボロボロと大粒の涙を流しながら、エマの身体が壊れるほど強く抱きしめた。
両親は、最近のエマの様子がおかしいことや、頻繁に街外れの奇妙な教会へ通っていることに気づいており、胸を痛めていたのだ。
それだけではない。
最近、モンテーニュ公爵夫人から誘われたサロンで、直々に「缶入りの茶葉」を売りつけられそうになる不審な接近があり、さらにエマの婚約者であるライアンの両親からも「息子の様子が最近おかしい。婚約者であるエマ嬢は何か知らないか」と、深刻な相談が寄せられていた。
何から手を付けたらいいのか家族で考えあぐねていた矢先、国軍や王都警察が総出で動くほどの大事件の当事者として、愛娘の名前が突如飛び込んできたのだ。
母は「あの時は本当に、心臓が止まって倒れるかと思ったのですよ!」と、未だに青い顔でエマの肩を何度も揺さぶった。
「本当に、ごめんなさい……。心配をかけて、ごめんなさい」
エマはただただ素直に頭を下げ、涙を流して両親に謝罪した。
そして、もう二度とひとりで無茶な真似はしない、これからは周りの人を信じるのだと、大切な家族の温かい胸の中で固く誓うのだった。
◆
ライアンとの婚約は、一連の騒動を経て、両家合意のもと正式に白紙へと戻された。
ライアンもまた、モナから与えられていたクッキーや酒による薬物中毒の被害者であり、現在は実家の静かな別邸で治療に専念している。
後日、エマが一度だけ彼の元へ見舞いに訪れた際、ライアンは昔の、あの穏やかで堅物だった頃の姿を取り戻しつつあった。それでもいつ発作が起きてもおかしくはないらしく、まだまだ油断はできないそうだ。
「……エマ。本当にすまなかった。僕の愚かさのせいで、君を傷つけて……」
ライアンは深く、心からの謝罪を口にした。
そして、エマを真っ直ぐに見つめ、「君がどれほど勇敢に頑張ったのか、良ければ僕に聞かせてくれないか」と、かつての彼らしい落ち着いた微笑みを浮かべて語りかけてきた。
その言葉に、エマは静かに微笑み返し、短くこれまでの顛末を語った。ふたりの間のわだかまりは、窓から吹き込む初夏の風のように、さらさらと解けて消えていった。
数日後。
配達された新聞の一面には、国中を揺るがす大スクープが大きく掲載された。
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【王報新聞:特別号外】
『激震の王都――新興宗教『聖アリア教』全貌解体!』
『違法薬物密造、5年前の猟奇殺人関与も発覚』
『モンテーニュ公爵夫人を資金洗浄で起訴・国境付近で身柄拘束』
【王都】王都警察および国境警備隊の共同捜査本部は3日、長年「慈善団体」を標榜していた新興宗教組織『聖アリア教』への強制捜査に踏み切り、同教団を事実上の壊滅状態に追い込んだ。
当局の発表によると、教団は違法薬物の組織的密造や催眠を用いた国家機密の搾取、さらには過去の凄惨な殺人事件に深く関与していた疑いがもたれている。
また、教団の巨大利権の裏で資金洗浄を担っていたとして、貴族社会の重鎮であるローズ・ドリー・モンテーニュ公爵夫人が国家反逆および麻薬取締法違反の容疑で正式に起訴された。
■ 監禁の元特待生を確保、教団の「駒」か
捜査本部が街外れの『アストリッド教会』に突入した際、地下密室にて衰弱した状態で監禁されていたアズール学園の元特待生、モナ・リビエール男爵令嬢を発見、保護した。
リビエール容疑者は先夜、アズール学園の生徒が多数参加した高級会員制サロンでのパーティにおいて、国家スパイ容疑および不敬罪で連行される途中に突如失踪。行方を追われていた。
関係者への取材によると、同容疑者は「公爵夫人の庇護による安全な場所への移動」と騙され、同教会の地下に監禁されていた模様。当局は、同容疑者が教団の製造した違法ハーブを用いて複数の生徒にマインドコントロールを施し、国政の機密情報を引き出そうとしていた教団の主要な人物であると断定。現在、重要参考人として厳しい事情聴取を進めている。
■ 崩壊した「後ろ盾」――公爵夫人の陥落
モンテーニュ公爵夫人の逮捕は、貴族社会に大きな衝撃を与えている。公爵夫人は、反社会的勢力との繋がりが噂される貴族級の男と共に、国境沿いで逃亡を図っていたところを国境警備隊に確保された。
調べによると、公爵夫人は近年著しく悪化していた公爵家の財政困窮を隠蔽し、自らの社交界における地位を維持するため、隣国からの流入資金を自身の「ドリー財団」を通して洗浄した上、巨額の脱税に手を染めていたとされる。リビエール容疑者の身柄拘束、および押収された帳簿データが、公爵夫人と同教団との不適切な繋がりを裏付ける決定的な一因となった。
■ 暴かれた過去の凄惨な罪、5年前の「放火殺人」
さらに、今回の捜査により教団が過去に引き起こした恐るべき凶行が白日の下に晒された。
5年前、ルピナス領ル・ロシェにて発生した「地主夫妻火災死亡事件」について、教団が組織的に関与していた疑いが浮上した。当時の有力な地主夫婦を館に監禁し出入口を完全に封鎖した上で放火、事故に見せかけて殺害し、その広大な土地を不当に買収・強奪していたという内部証言が得られた。長年闇に葬られていた猟奇殺人が、ついに解明される見通しとなった。
■ 突入時の教会、最高司祭は死亡
先日の突入作戦時、アストリッド教会の内部は異常な状態であった。教団は同教会を拠点に、極めて強い精神依存性を有する酒、通称『神の酒』を精製していた。この酒は昨今、巧妙な手口で王都の貴族社会へと流通し始めていた。さらに、山の中に設置された小屋では幻覚作用のある香を用い、信者らの洗脳も行っていたことが判明した。
なお、突入時に教団の最高権力者である最高司祭の男(本名不詳)が、自室にて死亡しているのが発見された。死因は現在調査中。当局は、現場にいた教会の神父ラファエル(本名不詳)の身柄を拘束した。神父は教団と隣国との不適切な繋がりを示唆する供述を始めており、全容解明に向けて尋問が続けられている。
【王室声明】
今回の事態を重く見た王室、および第一王太子殿下は、本日付で臨時の声明を発表された。殿下は「宗教団体に関する法整備を急速に進め、二度とこのような悪質な精神的侵食を我が国で許すことはない」と強い決意を表明。同時に、教団の裏で暗躍していた隣国に対し、公式な抗議書を送付したことを明かされた。
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記事のどこを探しても、エマやレオンの名前は一切出てこない。それは第一王太子の徹底した配慮によるものだった。
しかしながら、二人は後日、ひっそりと王宮に呼ばれ、第一王太子直々に見事な功績への褒賞を賜ったのである。
◆
そして現在。
エマは王宮の美しい回廊で、ひとりの男と向き合っていた。
「……まだ、信じられないわ」
エマがジロリと睨みつける先にいるのは――ルイスだ。
エマは出会った当初から、彼のことを「怪しげなゴシップ新聞の記者」だとばかり思い込んでいた。こちらの計画をかき乱されてはたまらないと、うっとうしいとすら思っていた。
しかし、先ほど第一王太子から褒賞をいただく際、殿下のすぐ隣に、最高級の軍の正装を纏って涼しげな顔で立っていたのが、他でもないルイスだったのだ。
あの教会でのむさ苦しい出で立ちはどこへやら、綺麗に整えられた黒髪と、髭を綺麗に剃り落としたその顔には、爛々と輝く金色の瞳がよく似合い、息を呑むほどの壮絶な美しさを湛えていた。
彼はただの記者などではなく、第一王太子の手足となって動く、国の極秘情報機関の重要人物だったのである。
「ひどい裏切りだわ。私をずっと騙していたのね」
エマが不満げに頬を膨らませると、ルイスは眉を下げ、不遜な態度を隠さずに言った。
「そっちが話をさせなかったんだろ。最初からあんな態度で拒絶されて、納得させるほうが無理に決まってる。——けど、まあ、君も大概だったけどね、聖女様」
「その呼び方、やめて。虫唾が走るわ」
「エマは伯爵令嬢なのに口が悪いな……どこで覚えたんだよ。それに、あの時神父にやった色仕掛けもさ……」
「それ以上言ったら、刺すわよ」
「うわ、物騒だな〜」
エマは、手にしていた王報新聞の号外をじっと見つめた。
「アイルハルト殿下のご配慮のおかげで、今こうして醜聞も書かれずに平穏でいられるけれど……。立場が違えば、私がモナになっていてもおかしくなかったと思うの。彼女の抱えてきたものも、理解できてしまうから」
エマは一度言葉を切ると、新聞の余白を指先でなぞった。
「――ところで、この紙面にはエマニュエル第二王子のことは一行も載っていないのね」
ルイスは「しっ、声を抑えろ」と周囲を鋭く見渡し、小声で言葉を継いだ。
「王家が自分たちの汚点を表沙汰にするわけがない。すでに各方面に緘口令が敷かれ、事実が露呈しないよう手は打たれている。いずれ『病気療養』という名目で、表舞台から姿を消すんだろう。ただでさえ学園の貴族の大半が教団に関係していたとあって、世間の目は厳しい。その裏で、殿下や君やマチルド令嬢のような人たちがどれだけ手を尽くしたかなんて、誰も気にしちゃいないのさ」
「……そうね。結局、皆が信じたいものを信じるだけだもの。それが宗教だろうが国だろうが、一人の人間だろうが、本質は一緒よ」
「……そうだな」
少しの沈黙の後、ルイスがふっと一歩、エマへと歩み寄った。それまでの軽い調子を消し去り、彼女の瞳をまっすぐに見つめる。
「もう、あいつの事は吹っ切れたか?」
「っ……」
その言葉を聞いた瞬間、エマの胸が、ドクンと大きく跳ね上がった。
まだ、ラファエルへの恋慕が完全に消え去ったわけじゃない。むしろ夜な夜な、あの狭い小屋で与えられた狂おしい熱を思い出しては、涙を止められない日々を繰り返している。
ラファエルは、尋問室でとても大人しく、驚くほど協力的に情報提供しているという。
彼のやった事は国家侵略に関する重罪であり、すでに終身刑が言い渡されている。だがラファエルは今でも、冷たい牢獄の中でエマに愛を誓い、「あの時、エマに殺されたかった」と言っているのだそうだ。
どこまでも歪んで、どこまでも一途な男だった。
エマの瞳に薄く涙の膜が張り、彼女は慌てて顔を背けた。
「……忘れろとは言わない」
ルイスの低く心地よい声が、優しく響く。
「でも、目の前の男にも……少しは目を向けてくれたら、嬉しいんだが」
その言葉に驚いてルイスを見ると、彼はバツが悪そうに顔を背け、手で乱暴に頭をかいていた。
その端正な横顔は、耳の根元までほのかに赤く染まっている。
あの夜、自分が惨めに泣きじゃくる所をすべて見られ、慰められたという、エマの弱みを握る憎たらしい男。もう二度と関わらないと思っていたはずなのに、なぜ自分がこんなに動揺しているのか、エマ自身にも上手く説明がつかなかった。
無言の間と何とも言えない雰囲気に耐えられなくなり、エマは慌ててドレスの裾を握りしめ、強引に話題をそらす。
「……あ、あの、私!これから、心の病の医者を目指そうかと思っているの。今のこの国には、身体の不調や外傷を診る医者しかいないけど……私、心の病を専門に診る医者が、絶対に必要だと思うの」
前世の満里奈のように孤独に狂う人を、そして今世の自分のようにトラウマに縛られる人を救うために。きっと今でも苦しんでいる人が、たくさんいるはずだ。
それを聞いたルイスは一瞬目を見張り、それから、ふわりと愛おしそうに顔を綻ばせた。
「それ、最高にかっこいいよ。……応援する、エマ」
孤独に震え救いを求める心の弱さは、きっと一生手放せるものではない。人は一度手にした救いを、そう簡単に忘れ去ることなどできないのだから。
心地よい沼に足を取られて、これでは駄目だと足掻く——そんな繰り返しが、これからも続いていくだろう。
だが、それでも構わないとエマは思った。
迷い続ける自分のまま、それでも前を向く。
そう決めた心は、以前よりもずっと確かな輪郭を持っていた。
これからも、光と闇の狭間で揺れながら、一歩一歩未来へと歩むのだ――そんな覚悟を胸に、エマは満開のひまわりのような笑みを浮かべ、再び、ルイスの待つ方へと、確かな一歩を踏み出した。
王宮の大きな窓からは、雨上がりのうららかな陽光が差し込んでいた。
了
最終話までお読みいただき、ありがとうございます!
至らない点もあったかと思いますが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
ブックマークやポイントをくださった皆様、そして最後まで読んでくださった全ての皆様に、感謝の気持ちでいっぱいです。お付き合いいただき、本当にありがとうございました!
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また別の作品でもお会いできることを楽しみにしています!




