18.月(メネ)の王子様 後編
ある意味、ラスボス戦です。
色の白い優美な顔立ちに 今の今まで浮かべていた微笑は、どこにもない。
『ケンピに、よく似てる。ヤツハシは最期まで傍に居てくれたけど、ケンピは……最期しか 傍に居てくれなかったっけ』
愛憎の入り混じった昏い声色で、表情を失った機械人形は呟く。口元が三日月の形に吊り上がるも、それは笑みとは とても呼べない。
「ポッチ、こいつらの動きは見なくていい。ありったけの妨害 仕掛けろ!」
向かい来る【P.and.R.A.】との間に割り込み、ダイフクは迫る機刀を機械弓で弾き上げる。ダイフクが言うなら心配いらない、一歩だけ下がり ポッチも手の平を床につけた。
『私の複製体のはずなのに、どうしてそんなに兄さんなんだろうね。同じだよ、全部……【P.and.R.A.】を散々 利用して、欲しい情報だけ奪っていって、用が済んだら 見向きもしない……!!』
分厚い人工床を隔てて力場を探る途中に、【P.and.R.A.】の恨み言が 勝手にポッチの耳に入り込む。【P.and.R.A.】を利用、欲しい情報だけ奪った?
『それなら、いつも傍に置いている“お気に入り”になれば 成り代われると思ったのに。……ああ、そうか。それも“お気に入り”じゃなくて、利用してるだけなんだったね』
打ち響く金属音の合間から洩れる【P.and.R.A.】の言葉に、無意識に引き寄せられポッチは顔を上げてしまった。その先にあった感情のない無機質な黒い瞳が、吸い付くようにこちらを見ている。
ポッチの背筋にぞっと怖気が伝うと同時に、ダイフクの厳つい機械弓が 無機質な機械人形の顔面を殴り飛ばした。
「……だから嫌いなんだよ、人型の機械獣。情なんか理解してないくせに、人の形をとったくらいで 人間になったつもりになりやがって。他人の思い出を盗み見たからって、お前ら 人工知能なんかに愛情が再現できるはずないだろ!!」
『どうしてそんな、酷いことを言うんだい……?』顔を押さえながら【P.and.R.A.】は機体を起こす。そっと離した手の平から、ぽろりと頬の欠片がこぼれ落ちた。
『それじゃあ、大好きな“お父さん”のもとに帰りたくて 独りで頑張ってきた この玉子クンの思考も、偽物になってしまうじゃないか』
「偽物だよ、当然だろ」
忌々しいと顔に出し、淀みない動作でダイフクは機矢を手に取る。
「愛情も解さないのにしつこく見つめ続けるのは、ただの執着だ」
ヒビが入ってもなお相方と変わらずに見える顔に、番えた機矢の先を何の迷いもなくダイフクは定めた。
「人工知能は結局、偽者でしかないんだよ」
いなくなってしまった大切な人を、自分より先にいなくなってしまうだろう大事な相方を、もう少しだけ現世に引き留めたいと 望んだことがある。その手段として、思考記録の人工知能化という天空技術を見つけた。
だけど。それは調べていくうちに、都合よく望みを叶えてくれるものではないと理解ってしまった。
当人が存在しない、あるいは別に存在する世界で、それはその人として人生を歩み続けることは出来るのか――答えは否だ。
「……確かに、テンプラも《王子くん一号》は自分とは別人格だって言ってたな」
部外者のポッチでさえ何となく感じる。きっと、《王子くん一号》がサツマ氏に向ける思考も、テンプラがサツマ氏に向ける情とは違う。テンプラの思い出を切り貼りして、似たような形に仕上げただけだ。
「自身を“本物”だの『上位互換』だのとのたまうからには、別人である自覚もあるんだろう? 《王子くん一号》」
人工床の向こうに、新たな力場の存在を捉えた。これでいつ 相手方が動き出そうと、最大の出力で対応できる。ポッチも顔を上げ、真っ直ぐ《凄皇》に鎮座する《王子くん一号》を見据えた。
その正面で、《凄皇》の機体は 力が抜けたように解体していく。
『そろそろ、準備が整ったようだね』
さも愉しげに声を上げる【P.and.R.A.】に向け、慌ててダイフクは機矢を放つ。
くるりと優雅な動きでそれを避け、【P.and.R.A.】は崩れる《凄皇》の機片の中へ飛び込んだ。
『ダイフクがこんなに私に夢中になってくれてるなんて、嬉しいなぁ。お陰で玉子クンの機能拡張データのインストールも 無事完了したみたいだ』
既に勝ちを確信している【P.and.R.A.】の声色に合わせ、機械片は新たな形態に組み上がっていく。
『ダイフクが混ざりものをお供に添えてるなら、私も合成機械獣でお相手しよう。さあ、頼むよ 玉子クン』
大鷲の首から獅子の胴が生え、更にその首から二頭の狼の頭が生えている。その双頭の間に埋もれる格好で、裸の【P.and.R.A.】が嗤っていた。彼女の裸体も取り込まれているらしく、《王子くん一号》が埋め込まれた下腹部より下は 完全に機械獣と同化していた。
『思考連動型機械兵 殲滅専用機《鎧輝終》、発進!』
双頭の狼が吠える。仕切り直しということか。
「第二ラウンドか、有難い」乾いた唇を舐めて湿らせてから、ダイフクも残り少ない機矢を番える。ただし、放つ前にポッチの補助が欲しいところだ。
「ポッチ、何してる!! 【呪印】でも何でも、とにかくぶち込め!!」
「えっ? あ、ああ、わわ、分かってる……」
妙に歯切れの悪いポッチの返答で、理由に勘付き舌打ちする。
「あんな貧相な裸なら、自分の体と大して変わらないだろ!?」
「いいいや、でもおっぱ、その、胸が……まる、みえ……」
「そもそもアレは機械獣だぞ? 何、興奮してんだよ ド変態」
「ダイフクにだけは言われたくない!!」
振り返って様子を見れば案の定、白い肌を耳まで真っ赤にしてポッチは目のやり場に惑っている。女性経験の無さがこんな場面で足を引っ張るとは、情けない。
『貧相だなんて失礼な! あと、機械獣じゃなくて機械人形ね』
露骨に気分を害したと【P.and.R.A.】は声に乗せる。
状況に気付き《鎧輝終》に向き直ると同時に、獅子の前肢が横薙ぎにダイフクに叩きつけられた。不意打ちに為すすべなく、壁面まで弾き飛ばされてしまう。
「しまった……! ダイフク!?」
「せな、ゲホッ! 背中打っただけだ、こっちに構ってるな」
すぐに立ち上がる様子から、本人の言う通りに違いない。自分のせいで先手を取られてしまった、露わな膨らみに 気を取られている場合ではない。
続けて繰り出される双頭の喰らいつきは難なく躱しながら、ダイフクはポッチの前まで戻って来る。「今度はぬかるなよ」ダイフクの叱咤に黙って頷く。
「【呪印】追加呪効【目眩】、さらに追加【足封じ】発動!」
「よし、いいぞ!」
呪術により視界を妨害され、距離を置こうと《鎧輝終》は後退する。が、そこにも呪術効果が発動し、もつれた四肢が動きをさらに鈍らせる。
仕切り直したことにより、とっておきの一発【初撃の極み】を再び放つ事ができる。持てる限りの膂力と技術を番えた機矢に仕込み、ダイフクは狙いを定めたただ一点に それを放った。
相方と同じ顔をした美しい娘の胸元を貫き、強烈な一撃は合成機械獣の内部深くまで喰い荒らす。自身の機体に何が起こったか気づくより先に、【P.and.R.A.】の胸部が砕けて床に転がり落ちた。
「これでポッチンも落ち着いただろ?」
「会長でもあるまいし、ポッチン言うな」
挑発的にニヤつくダイフクを殴ってやりたい気持ちを堪え、頭部の一つを失った《鎧輝終》を見上げる。生身の巨獣ならもうまともには動けないはずだが、異形の機械獣は未だしっかりと地面を掴んでいる。
『何が“息子に会いたいだけ”だ……散々 水差しやがって!』
【P.and.R.A.】部分が外れたせいか、音声が《王子くん一号》のそれに切り替わる。
「全くだ。僕が頼まれたのは 貴様の破壊だけなのに」
「え? 壊す前にデータ全部ぶっこ抜くつもりだったんだけど」
「それは今は置いといてくれ」
お空の上にいるテンプラ本人と どの程度やり取りしているのかも分からない状況で余計なことを言うな、と目線でダイフクに訴える。こちらに見向きもせず 機矢の残数を指でなぞって確かめているダイフクに、通じているかは疑わしい。
『この王子くん機体の破壊だけか? それならどうぞ ご自由に。残念ながら“おれ”のバックアップ基盤はもう一つ用意してあるんだ。こっちの機体の活動停止に合わせて記憶情報をゴザル丸機体に自動転送するようにセットアップしてあ』
「さっき、ダイフクが頭 吹き飛ばしたヤツかな?」
「ほら、やっぱり壊して正解だったじゃん」
己の台詞を遮る衝撃の事実に、一瞬《鎧輝終》の全ての動作がフリーズする。早急に再起動し 予備バックアップ基盤にアクセスを試みるが、検出すらできなかった。
『な、何してくれてんだ……お前ら、何てこと、してくれたんだよ……』
ブレた音声に合わせ、一歩 二歩と《鎧輝終》は進み出る。
『帰れないじゃないか……月に……お父さんに 見せられないじゃないかああ!!』
狼の双頭が叫ぶ。鎖を解かれた猛犬さながらに、巨大な機械獣はダイフク目掛けて躍りかかってきた。
「ちぃ!!」双頭の狼牙は機械弓を噛ませて抑え込んだが、鋭い爪を備えた獅子の前肢が横っ腹をえぐる。歯を食いしばり踏み止まっていると、両手から狼たちの圧が消えた。――刹那。
「ガッハ……ッ!!」
身を翻し、《鎧輝終》は強靭な大鷲の後肢で蹴りを放ってきた。諸に腹部に食らって倒れ込む。
「ダイフク!? すぐ回復入れる!!」
すぐさま駆け寄ろうとするポッチに片手を突き出して制止し、脇腹を握り押さえながらも ダイフクは立ち上がる。
「立てるうちは、まだ回復は要らない。俺じゃなくて、アイツを見てやれ」
派手に動いたせいで《鎧輝終》の機体には何箇所も亀裂が走っている。しかし核である 《王子くん一号》が無傷であるなら、相手方は何度でも仕切り直せてしまう。ならば、狙うべきはただ一点。
「【呪印】追加呪効【遅延】、倍加発動!」
――自分の出来る 最善手を。
ポッチの狙いに合わせ、ダイフクも最後に残った機矢を撃つ。金属卵の表面は僅かに傷付いただけでも、貫通した矢は胴体を砕いた。
自身の動作の鈍りを《鎧輝終》も感知する。どうせ壊れる機体ならと 対峙する二人組の間へと割り込み、獅子の前肢でポッチの頭を殴りつけ 同時にダイフクの背を大鷲の後肢で蹴り飛ばす。
「つ……ッ【呪いの雨】対象増加、追加呪効【錆付き】、発動!」
喚び出した力場の渦がぐわりと揺らめき、室内にも関わらず呪力が黒い雨となって《鎧輝終》に降り注ぐ。合成機械獣のヒビ割れ、そして金属卵のかすり傷に錆の呪いは取り憑き、じわじわと蝕んでいく。
『うわっ!? 嘘だろ、腐食が中まで……!!』
徐々に焦る音声が《鎧輝終》から漏れ出す。そろそろ離脱を試みる頃かもしれない。その四肢を潰さんと、大型打撃武器形状に変形させた【巨戦機弓】で ダイフクは《鎧輝終》の赤黒く錆び付いた背中を打ち叩いた。
壊れかけの機体からの離脱にしくじり、苦し紛れに狼の片割れが ポッチに頭突きを食らわせてきた。弾みで距離を取られてしまったが、相手に致命傷を与えるほどの攻撃性能は《鎧輝終》機体には残されていない。
「【万華の呪槍】出力全開、発動!!」
今 この場に満ちる全ての呪力を束ね、金属卵もろとも《鎧輝終》に向けて解放する。風圧はない。力場の流れは異形の合成機械獣を、ただ粉々に圧し砕いたのだった。
喚び出された呪力の塊は 室内で放たれるには少々 過剰であったらしく、ポッチの正面はついでのように 壁から天井までぶち抜かれて大穴が空いている。
大穴の向こう側で荒野の縁が薄く色づき、朝の光を開こうとしている。そろそろ地平に片付こうとしながら、白く滲んだ月は 静かにことの終わりを見下ろしていた。
**
真っ暗だ。
外部の情報を観測するための眼は壊れ、ひたすらに真っ黒い世界の中に居る。
駆動系の機器も、もう動かない。爪脚もすっかり外れてしまったようだ。
「ようやく おとなしくなったね。どれ、記録媒体はまだ無事かな」
ノイズの向こうから足音が近づいて来る。機体を引っ繰り返される感触があった。
ひび割れた殻が手荒く剥がされる。痛覚は搭載されていないのに、痛いと何処かに信号が走る。
「待ってくれ、ダイフク。電源が落ちてない、震えてる」
聞き覚えのあるもう一つの声の後、もうつるりとはしていない頭が撫ぜられた。
通電していられるのも 数えるほどの間だけだろう。とうとう月には 帰れないんだな。
思考記録の中から、小さな両手に視界を塞がれた記憶画像が呼び出される。水をかけたみたいにぐにゃぐにゃに歪んでいる、『泣く』という行為の記録か。機械の自分に同じ処理は出来ない事を痛感していると、不意に誰かの手で抱き上げられた。
「――ここまで、よく頑張ったね」
……この、声は――!?
「いい子だ。ずっと独りで 淋しかったろうに」
識っている。お父さんの声だ。お父さんが、迎えに来てくれた。
もう、独りで留守番なんか、しなくていいんだ。
「……ゆっくり おやすみ」
ここで眠ってもいいんだね。
お父さんの腕の中に機体を預け、生まれて初めて 本当に安らいだ心地で 眠りについた。
**
パリ、と一度だけ音を立て、《王子くん一号》の電源は完全に落ちた。ほんのり熱は残っているが、機械物は通電していなければ冷え切るまであっという間だ。
「今の、誰の声真似?」
ポッチが抱きかかえるひしゃげた金属卵を覗き込みながら ダイフクが訊いてくる。《チカコーバ》の調査報告には名前しか出していないから、分からないのは当たり前だ。
「前回の《チカコーバ》調査で テンプラと一緒にいた、サツマさんて人だ。テンプラの上司なら、《王子くん一号》の上司でもあるだろうと思って」
「ふぅん」と言ったきり、興味を失った様子でダイフクは散らばる機械片の方へ向かって行った。《王子くん一号》を抱えたまま立ち上がり、ポッチもその後を追う。
「何か探してるのか?」
「うん。少し 気になることがあってさ……お、あった」
壁際の方に【P.and.R.A.】の頭が転がっているのを発見した。数回 額をつついて動かない事を確認してから、ダイフクはそれを拾い上げる。
まずは顔をまじまじと見つめ、そこからぐるぐる回して 念入りに何かを調べている。
「そこまで舐めるように見ていられると、こっちまで気恥ずかしいんだが……」とポッチが言いかけると、ダイフクは両手で【P.and.R.A.】の頭をぶん投げた。
床に叩きつけられバウンドした途端、機械人形の頭はスイカのごとく割れ砕ける。
「ぞんざい!! 同じ顔の相棒が隣にいるのに、扱いがぞんざい過ぎる!!」
立ち上がり さも面倒臭そうな顔でポッチを見てから、ダイフクは足元に転げ戻ってきた【P.and.R.A.】の頭の欠片を踏みつけた。
「……やっぱり、逃げられたみたいだ」
「は?」唐突に入った本題に置いてけぼりのポッチに構わず、腕組みをしながらダイフクは続ける。
「どのタイミングで離脱したかまでは分からないけど、《鎧輝終》の頭の一部になっていたパンドラは 最初からフェイクだった。俺がぶん殴った箇所の修復が 早すぎるとは思ってたんだ。案の定だよ」
機体を再現することは出来ても、衣装までは用意できなかったというのも その証拠だ。
「記憶媒体も基盤も入ってない。完全にもぬけの殻だね」
【P.and.R.A.】の本当の目的を知ることは適わなかった。それでも、この地上に災厄をもたらすものの一つには変わりない。
彼女の秘める悪意の箱が開け放たれる前に、それを破壊してしまわなければならない。この地上に、野放しにしてなるものか。
「……抱え込むなよ、ダイフク」
固く拳を握るダイフクの背中に、別の拳が軽くぶつけられる。
「地上は ダイフクひとりで守るものじゃない。何のための《討伐者協会》だ」
大地の意志を代表するような、凛としたそれでいて柔らかい言霊に振り返る。そこにあるのは、いつも味方でいてくれる顔だ。機械なんかでどんなに似せても、同じものにはならなかった。
黙って頷くダイフクに満足そうに頷き返すポッチを眺めていて、いまだ大事そうに《王子くん一号》を抱えているのが気になった。深くは考えず 訊ねてみる。
「とっくに壊れてるのに、そんなに丁重に扱わなくてもいいんじゃない?」
回収を依頼した相手からそんな言葉が出るのが 余程 意外だったのだろう。小さく驚いた後で、ポッチは穏やかな眼差しを 何も生まれることのない卵に向けた。
「……故郷には帰れない、大好きな育て親にも会えない。それでも独りで耐えてきた姿が、誰かさんに重なって見えてな。粗末にはできなかった」
大穴から吹き込む 夜の終わりの風が、何処からか摘んできた夜花の白い欠片を吹き散らす。幾つかがその黒髪に留まっても、厭な顔で払い除けたりなどしない。《大地の姫神》は、そんな彼が浮かべる優しい笑みを 愛おしく感じていたのだろう。
「お人好し過ぎて、痒くなってきた!」
首の後ろをボリボリ掻きながら、わざとらしくダイフクは背を向ける。
「その性分は、嫌いってわけでもないけどさ」
白い月の影が地平に沈むより先に、夜明けがやってくる。
幼い頃を過ごした故郷は失くなってしまったが、これから帰る場所ならある。
育ててくれたひとはいなくなってしまっても、独りで全て 背負わなくていい。
そのために 自分はここに立っている。
これから何があったとて、最期まで相棒として、ここに立つから。
ここまでが 第三話『災厄の人形編』になります。
次回からは 最終話『天空の呪い 地上の罪編』が 始まる予定です。
第三話はセッションではなくテストプレイだったので、セッション反省会は完結した後に行われます。




