19.泣いた墓守
日陰に残った 幾つかの小さな水溜りだけが、昨夜の雨を憶えている。空は真っ直ぐに青く、赤い荒野と競うように 地平の向こうまで伸びていく。
そう遠くない未来に荒野へと埋もれてしまうだろう 人里の亡骸に立ち入り、通い慣れてしまった養父の墓前に いつもと同じ内訳の花束を置いた。
「――オジちゃん。俺もいつか、ここに入るつもりでいたけどさ……もし……いや、もしかしたら、もう……帰って来ないかもしれない」
育ての親がやってくれたみたいに撫ぜてくる風で、銀灰の髪が揺れる。そこに覗くはずの右眉は産まれてこの方、生えてきた試しがない。どうやっても不格好な自分の顔が、いつまで経っても気に食わない。育ての父とひとつも共通点を見いだせない 浅黒い肌も、琥珀色の瞳も 顔立ちも声も、全部 嫌いだった。お空の上に住んでいた 知らない誰かの複製体だと知って、ますます 嫌いになった。
「――どうして?」
ふっと 頭上に差した影から、そんな言葉が返ってきた。
「ふおっ!? なんでポッチ、いるんだよ!!」
「そう毎度毎度、置き去りにされてたまるか」
軽やかな黒髪に色の白い肌、中性的で端正な面立ちと、自分とは真逆の相方が機嫌の傾いた顔で見下ろしている。《ディオツ跡》合同墓地の外れで待たせておいたはずなのに、独り言まで聞かれてしまっていた。
「……確かに手入れする人もいないから、荒れ果てるのも時間の問題だろうな。だからこそ、ダイフクだけでも養父上に会いに来るべきじゃないか」
「肉親が生きてるのに 里帰りすらしない奴がよく言うよ」
「い、今帰ったりしたら、二度と《地泉杜》から出て来られないんだよ!!」
「ふぅん」と興味のない素振りで立ち上がるダイフクに、ポッチは不満げな顔を隠しもしない。隠したところで、見えなくなるわけでもないが。
「もしもの話。昔のファズさんみたいに 流れの《マタギ》になろうかな、って」
「そうか」と俯き、しばし間を開けた後に「ダイフクがここにいなくなるなら、《地泉杜》に帰っても同じか」とぽつりと吐き出した。
「何、言ってるんだよ」
笑みを含んだ口調で、歩みは止めず ダイフクは振り返る。
「ポッチが死んだ後の話だけど。帰郷申請に登録変更する?」
「縁起でもないな!! そんな先の話だったのか!」
「だって、《加護》持ちの平均寿命って 三十二、三歳らしいじゃん」
「だ、それは!! 信心を欠かしたり《加護》を悪用するような大馬鹿者が早死にしてるんだよ!」
運良く与えられた生まれついての《加護》だろうが 修行を重ねて遂に手にした《加護》だろうが、いっとき魔が差しただけで《呪詛》に転じるなど よくある話だ。《加護》を宿したまま大往生するには それ相応の功徳を要する。
ポッチの性分なら《加護》を失うことはないにしても、命に関わる危ういドジは踏むかもしれない。見た目だけでは、あんなに常日頃 抜けているなど分からない。
自分の見てくれは何もかも嫌いだが、隣にこの半鳥人の貴公子が並んでいる間だけは 悪くないと思っている。どちらもどこか欠けていて、合わせて居るのが丁度よい。
「……《加護》なんか無くなってもいいから、長生きしろよ」
今度は聞かれてしまわないよう、口の中に呟いておいた。
育ての父の墓参りついでに《アヴェクス》周辺の見回りを済ませ、《討伐者協会》公認宿酒場『ファズおじさんのおうち』に帰還した時点で 本日業務は終了、解散とした。ポッチは早めの夕食をここで済ませてから帰るつもりらしく、珍しく酒場側のテーブル席に着いていた。
「おう? 今日はお前さん、こっちに来たのか。個室じゃなくて良かったのか?」
「クルトたちと待ち合わせてるんですよ、講習会の面子が揃うみたいなので」
「あー……アイツらも来るのかぁ、あんまり馬鹿騒ぎしねぇでくれよ」
「大丈夫ですよ、もう皆 大人ですから」
討伐者時代の友人と約束もあることが、ファズとのやり取りからうかがえる。自分のいつもの夕飯には まだ時間がある。受付前の看板ヤドカリ機械娘のカシオペアから本日の報告を受け取り、受付カウンター扉奥の自室に入った。
「よう! おかえり、ダイフクちゃん」
「また 勝手に入ってる!!」
施錠はしておいたはずなのに、部屋の中には作業机に向かってなにか書き物をしている《討伐者協会》会長サナの姿があった。
「建物自体があたしの所有物なんだから、出入りくらい自由にさせてよ」
「ファズさんの了承くらいは取ってるよね?」
「ファズには言ってある。書き置きしに来ただけだから、余計なものはいじらないよ。こんな早く戻るって知ってたら、カウンターで待ってるつもりだったし」
見られて困るものはここにはないし、金品を持ち出すような 賤しい手癖の悪さはサナにないことも知っている。サナ本人の言う通り、純粋な用事のために来ただけだろう。
今しがた書き上がった書き置きをダイフクに手渡し、サナはゆっくり立ち上がった。
「もう行くの? 何か 温かいものでも食べていけば?」
「ここに長居すると 一杯やりたくなっちゃうもの」
「ガレージに行く用事もあるし、送っていこうか?」
「護衛なら裏で待たせてあるから ヘーキヘーキ」
従業員通路側のドアハンドルに手を伸ばし、一度だけサナは振り返る。
「……すっかり立場が逆転しちゃったな。おやすみ、ダイフクちゃん」
悪戯っぽいその笑顔に、ダイフクは同じ表情で返せない。「おやすみ」と挨拶は返せたが、手の中の書き置きは すっかり潰れてしまっていた。
**
「ダイフク、飯はどう……なんだ、またガレージ 行ったのか」
通路側のドアハンドルに手をかけ、動かない理由に感づいてファズはため息を吐いた。もうダイフクも子供ではないと頭では分かっているが、ついつい世話を焼いてしまう。常に腹を減らしていた自分の幼少期を思うと、若者にひもじい思いだけはさせたくないと体が動くのは もはや本能だ。
「親方、ちっと甘やかし過ぎじゃねぇの? 腹減ったら ダイフクちゃんも戻って来るって!」
「そうは言っても、ダイフクの奴 機械いじりに夢中になると寝食忘れんだよ、冗談抜きで」
「世話焼くのなんぞ 倒れてからでも大丈夫だっての! カラスのボンボンも付いてんだしよ」
厨房の料理人仲間に笑われながら、それでも軽く摘めるものを弁当箱に詰めている自分に、ファズは苦笑する。
「ちょうどその、カラスのボンボンもいることだし、持って行ってもらうか」
酒場の客のほとんどは宿泊中の《討伐者》が占めているが、犯罪者 及び 危険な思想・嗜好持ちでない限り 一般客も歓迎している。《討伐者》を辞めても酒だけ飲みに来る顔馴染みもちらほら混じっていたりする。
「ああもう! 潰れるほど飲むなって、あれほど言ったじゃねぇですか!!」
「つぶれてねーしぃ。テンテンも一杯やってくぅ?」
「なんだよ クルト、見せつけやがって!」
「チクショー……オレも可愛い嫁さん 欲しいよぅ……」
「嫁じゃないし!!(✕2)」
五年前に比べればすっかり大人しくはなったが、お開きも近いというのにいまだ盛り上がっている若者の一団が ファズの目に留まる。用のあるカラスのボンボンも、このテーブルに参加しているはずだ。
仕事仲間の一人に回収されている《討伐者》の若者の隣で、向かいのイヌ科部族の嵐の民の愚痴に 根良く付き合ってやっている姿があった。
「ポッチんトコはいいよなぁ……休日が飲みニケで潰れたりしねぇんだろ?」
「うちは上司が飲めない人間だからなー。あんまりキツいなら、戻ってくるか?」
「ヤだ。もう絶対《討伐者》なんかやりたくねぇ」
「上司の愚痴を吐き出してるところ、非常に申し訳ねぇんだが――」酒に強いのか 常にセーブしているのか。それほど酔いが回ってなさそうなポッチに、遠慮がちにファズは声をかけた。手元の包みを見て、すぐにポッチは察する。
「いつも土産 持たせてくれて、ありがとうございます!」
おっと、顔に出ていないだけで ちゃんと酔っ払っているようだ。
「ああ、悪ィ……お前さんの分も用意するわ。これはダイフクの分、帰りにガレージ寄って……寄れるか?」
「全然 問題ありませんよ。デメテルに乗ったつもりで任せて下さい!」
「デメテルって、ダイフクの機械獣の中で 一番の能ナシじゃねぇか……」
【オオツチイノ】の配達を頼まれ、翌朝 外壁にめり込んだ状態で発見された あの大きなカニ型機械獣並みでは、ちょっと不安はかき消せない。
「まあ、お前さんがやらかすのは 今に始まったことじゃねぇしな。ナナホシの姉ちゃんも ちっと待ってろ、手間賃 持たすわ」
「えっ!? そんな、悪いですよ!! ……あ、でもカリカリポテトは嬉しいのです」
「オレのお陰だぞー感謝しろテンテン」
「潰れたお荷物は黙ってろなのです! では親方、うちの旦那がお世話かけましたです」
「お先ー!」
「嫁さん 泣かすなよー」「オレも可愛い嫁さん欲しいよぅ」
「だから嫁じゃないし!!(✕2)」
一人、また一人と席を立ち、最後に残ったポッチとイヌ科の嵐の民 元《討伐者》の若者が支払いカウンターに向かっていった。談笑ののち、店の外で反対方向へ別れていくのを見届け、ファズもテーブルの片付けに入る。
「……あのポンコツ。ダイフクのだけ持って、自分の分 忘れて行きやがった」
わざわざ用意してやったというのに、土産に持たせたカリカリポテトが ポッチの着いていた席にきちんと残っている。どうせ明日も来るだろう、カリカリしているうちに 自分の夜食にでもするか。
**
《アヴェクス》内でサナの手を全く借りずに購入した、使役機械獣用ガレージの灯りを点ける。前回ガレージを出た時のまま、散らかり放題の作業台に腰をもたれて 握っていたサナの書き置きを開き、ざっと目を通した。
「……クソッ! 俺を何だと思ってるんだよ!!」
作業台に書き置きを叩きつけ、空いた手で眉間を揉み解す。昔からそうだ、あの女はこっちの言い分も聞かず、いつも勝手に 自分の都合で事を進めて――……
大きく息を吐いたところで、ガレージ内の違和感に気付く。
使役機械獣の試作品や回収した部材に異常はない。資料棚にも何ら変わりはない。感じる違和の出処は――空気だ。
「――さすが 目立ちたがりの雨の民。よくそれで隠密が務まるね」
作業台に置きっ放していた 下敷板で顔を隠すと同時に、額の前辺りに投げ矢の先が 板の向こう側から突き立った。
「チッ」舌打ちと共に違和感の元が姿を現す。ずっとガレージに隠れていたのではなく、ダイフク一人でガレージに入ってくるのを 外で待ち伏せていたに違いない。
「狭い場所で、使役機獣も護衛も連れていないところを狙えば、勝算があるとでも 教わったのかな?」
《アヴェクス》の裏側のサナ直属の隠密であると名乗っていた、カメレオン系の雨の民 ロノアロだ。ポッチからは二刀を扱うと聞いているが、向こうも室内では制限がかかるのか【影斬刀】は左側にしか握っていない。
「確かに姐さんは、アンタの首を落とすならそれがベストだって 言ってたぜ」
「舐められたもんだね」嘆息ごと吐き出し、軽く作業台の周囲を見回す。実のところ得意の【巨戦機弓】は宿酒場の自室に置いてある。持ってきていたとして、大事な秘密基地内で あんな破壊力の大きな物を振り回すわけにもいかない。
「舐めてかかるワケあるかよ。ヘマしたら 消されるのはこっちなんだからな」
「ふぅん、誰に?」
「アンタのが 詳しいんじゃねぇの? さっきも会ってたんだろ」
台詞の終わりを合図に黒光りする刃が振り放たれる。避けられることを前提とした斬撃は 振り切れる前にくるりと向きを変え、刺突の型をとる。
背に壁が触れる、後ろには下がれない。右手には作業台、左手側には長柄のハンマーがある。躱すことは諦めた。
――小さく呼吸を整え、体を捻る。
ひと息に作業台の脚を掴み、迫るロノアロ目掛けて それを放った。
「ばっ!? んな、滅茶苦茶な……!!」
鋭い切っ先は作業台に刺さり、どうこうしようとすれば重すぎる投擲凶器に自分ごと潰されてしまう。得物の片割れは手放す他ない。間一髪でロノアロは台を足場に跳躍し、作業台のひしゃげる音を背中の向こうに聞く。
「割に合わねぇな……聞いてた話と違うじゃねぇかよ」
今度こそ 長柄のハンマーの方を手に取ると、ダイフクは主力武器を失ったロノアロに 構えも何もなく片手で振りかざす。
「俺の大切な秘密基地を、余計な汚物で散らかしたくないんだ。痛い思いする前に、お前のボスの名前を教えてくれるかな」
「だから、アンタもよく知ってる……ッッ!!」
奥歯をギリ、と鳴らすと同時に、長柄のハンマーは振り下ろされた。左足の甲に激痛が走り、思うより先にロノアロの膝が地面に落ちる。
「言っておくけど、俺は片付けも担当してるから 加減はしないよ。……あくまでこれは 確認作業。依頼主の目星は付けた上でやってるだけだから」
「おー怖。カラスのお人形で遊ぶ時も そんな顔すんの?」
少しの間を空け「したこともある」と、苦々しく吐き出された。
「へぇ、意外。ビビらせた後に優しくして、手懐けるっていうアレか? そこまでやらなくても、陰の民なんか ちっと甘ェ顔すりゃホイホイ釣れるのに……イギィッ!!」
尻尾の半ばほどが叩き潰された。上手く気を逸らせていたはすなのに。
「……言ってないだろうな。ポッチに、そんなこと」
ダイフクの口調も、声の質もガラリと変わった。唾を飲み込み、悟られないように言葉を選ぶ。
「言うわけねぇだろ。自分が こっち側のスパイとして使われてるなんて自覚したら、何の役にも立たなくなっちまうだろ あのお人形ちゃんはよ」
これで良し、と。潰されたのが左手でなくて助かった。掌の中に投げ矢を隠し、ダイフクが再び長柄のハンマーを振り上げる瞬間を待つ。
相打ちになろうが、これで『本来の』目的が達成できる――はずだった。
「ダイフクー! ファズさんから夜食の配達でーす!」
普段のそれよりトーンが高く、場違いに間延びした声に割り込まれた。ダイフクしか居ないものと思って、遠慮もなしにガレージの中まで入ってくる。
「軽いものしかなさそうだから、足りなければ帰って……って、なんだコレ!?」
荒れた作業場と剣呑な空気に、一気にポッチの酔いが醒めた。
「なんだこの荒れよう……ロノアロはこんなとこで何して……その足、どうした!?」
理由を聞くより早く ポッチは癒術の印を組む。
しくじったと取るか、仕切り直せると考えるか。今は後者にしておこう。
「……ジャストなタイミングだよ。愛してるぜ、マイイノセントメサイヤ」
「はい、気力切れ。もう歩けるだろ、帰れ」
これ幸いと追い払われたふりで ロノアロもその場を退散する。何がどうなってるのか予想もつかず、取り敢えずポッチもダイフクに視線で説明を求める。
しばし無表情にポッチを見つめていたが、手にした長柄のハンマーをその場に下ろして ダイフクはふいと背中を向けた。不愉快そうなため息と共に 何か紙切れのようなものを拾い上げると、振り返りもせずに言う。
「ポッチ君も出ていって。もう、俺のとこにも来なくていいから」
「えっ? 待ってくれ、それは どういう……?」
「今日付けで 俺の所属する【班】からは解雇、明日からはサナさんの直属だ。今まで御苦労様」
向き直らなくても、ポッチがどんな顔をしているのか 分かってしまう自分が悔しい。
ガレージを出ていく前に名前を呼ばれたが、聞こえないふりを通した。
「馬鹿にしやがって……どいつもこいつも、他人を何だと、思ってるんだよ……!!」
悔しさのあまり、地面にまで染みが落ちる。要らなくなったのなら、もう荒野に放ってくれ。
顔をぐい と拭った後で、差し込む月光を睨めつけた。
【月紀 8014年 10月の日記より】
人間って、もっと頑丈だと思ってた。
成人男性でも、意外とあっけないんだね。




