09.一時の休息
北西のワゴール丘陵へ向かうエイジら一行は、朝日が昇るまでのあいだ休むことなく歩きつづけた。その旅のスピードに果たしてリーシャがついてこれるのかとフォウは疑っていたが、意外にもリーシャは離されることなく歩調を合わせていた。
その顔にありありと緊張と疲労の色を出しながらも、泣き言ひとつ言わないリーシャの姿にはフォウも少しながら感心し、道中いくらか励ましの言葉をかけつつ、一行は並の足よりも遥かに速いスピードでワゴール丘陵の近くまでたどり着いていた。
「このまま行けば、あと半日ほどで丘陵に着くな」
「そうじゃのぉ。レンティアは二日かかると言っていたが、わしらにとっちゃ一日とかからんようじゃな」
「……はぁ……はぁ……」
足を止めて目的地を確認する二人を見て、リーシャは思った。
この二人は、なんて体力を持っているのだろう。かれこれ村を出発してから9時間、いや10時間くらいは歩きつづけている。それなのに、二人は息を乱すこともないし表情にまったく疲れが見て取れない。
自分はもう精一杯で、一度足を止めたせいで疲れが一気に身体にのしかかっているというのに。
エイジは振り返ってリーシャの顔を見た。もう限界が近いのだろう、今日の夜は冷え込んでいるというのにリーシャの額には大粒の汗がにじんでいる。
ワゴール丘陵まではもうすぐ着く。ついてきたのはリーシャ自身の勝手だが、無理をさせるわけにもいかないと、エイジは無意識に彼女のことをいたわっていた。
「フォウ、一度休憩するぞ」
「なんじゃ? 夜が明けるまであと一時間ほどあるぞ」
「予定よりも早く着けそうだからな。丁度そこに川もある」
「……しょうがないのぉ」
流れる川の側へと近づいていくエイジの背中を見つめながらフォウは思う。エイジもやはり人間だと。
エイジとフォウが出会ってまだ間もないが、なんとなくエイジの性格をフォウは理解し始めていた。
最初に出会った時の印象は、孤独な一匹狼といったもの。しかし、バンサス村に来てからはエイジに対する印象が少しずつ変わっていった。
冷淡で人とかかずらうことを嫌うのではなく、自分の成すべきことのために邪念を振り払っているだけに過ぎないのだろう。フォウはそう思いはじめていた。
エイジは竜に、四王に復讐するために旅をしている。その復讐を果たすために何を犠牲にしようとも進み続ける覚悟を持たなければならない。だが、そう思っていても人間というものは心がある。心があるからこそ人間たりうる。
エイジは、自分の覚悟が揺らがないために孤独を望んでいるのだ。
犠牲にすべきものを出来るだけ無くす。つまりは、自分が失いたくないと思わないように、大切なモノを作らないようにするということ。
だがエイジはリーシャがついてくることを許した。その時点で、エイジは復讐のために冷徹になりきれていない。
(……人間よ。まだまだおぬしも、人という枠からは抜け出せんようじゃの)
リーシャに過去の自分を投影し同情すること。
リーシャの事を想って手を貸すこと。
そうやって人の心に触れるたびに、エイジは自らの首を絞めることになりかねないということを、フォウは懸念していた。
「あ、あの……フォウさん」
「ん、なんじゃリーシャ。無理せず座って休んでおれ、せっかくエイジが気遣ってくれたんじゃからな」
「……はい」
「そう言えばリーシャ、少し聞きたい事があるんじゃがな」
川の近くに生えていた大きな木の幹に腰を下ろしたリーシャ。
フォウは立ったままで、リーシャに尋ねる。
「なんです?」
「わしらがおぬしを竜獣から救ったとき、おぬしはエイジのことを騎士じゃないかと言っておったが……」
「……えぇ。竜に対してあれほど戦えるのは、騎士の方だとつい思ってしまって」
「じゃが騎士は……『ゲオルク騎士団』は先の戦争で崩壊したと聞いていたが」
ゲオルク騎士団。
フォウ・ク・ピードの大陸全土にその領地を広げていた、今は無きザナド帝国が発足させた組織の名称である。
ゲオルク騎士団は主に世界各地の竜を殺し、人々を守る役目を持っていた。
所属する人間はみな一様に竜と戦えるレベルの強さを誇り、人々から騎士と呼ばれて頼られていたのだが3年前に起こった竜との全面戦争の際、ザナド帝国が滅ぶと共にゲオルク騎士団も崩壊した。
騎士たちは四王やその他の強い種の竜に蹂躙され、ほとんどが戦死したと言われている。
少なくとも、騎士の生き残りがイスター地方にいるという話をフォウは聞いたことが無かった。
「たしかに、ゲオルク騎士団は崩壊しています……ですが、あれほど強かった彼らが全滅するとも、私には思えないのです……」
「……まぁ、たしかに一人くらいは生きておるかもしれんの」
「はい。騎士団の本部は帝都と同じくウェスタ地方にありましたから……きっと、どこかで……」
呼吸が落ち着いてきて、表情も穏やかになってきたリーシャ。
騎士の話をする彼女の顔は朗らかで、希望を信じている様子だった。
「まぁ、竜に呆気なくやられた騎士なんぞより、わしやエイジの方がよっぽど頼りになるじゃろうがな」
意地悪に微笑みながらフォウがそう言い、リーシャは少し怒った風に眉毛の端をつり上がらせる。
「お二人はたしかに強いです! だけど、騎士だってすごいんですよ!」
「わしは騎士なんぞに会ったことないからのー。どうせ並の人間より少し力があるくらいのもんじゃろ」
「ひ、ひどいです! そんなことありません!」
騎士の話にむきになるリーシャのことを、フォウは面白がってからかう。
そうやって二人が話しているところに、川の方からエイジがなにやら手に持ちながら戻ってきた。
「おおエイジ……なんじゃそれ?」
「……川魚だ。獲ってきた」
エイジは薪を手早く用意して、獲ってきた魚を焼く準備を整える。
火はフォウが作ってくれる。しかし、口から火を吐く姿をリーシャに見せるわけにはいかない。自分が竜ですと正体を明かすことになってしまうからだ。
なんとかリーシャの目を違うところに向けさせないといけないと考えていたフォウを見て、エイジはリーシャに話しかけてフォウから気を逸らさせた。
「見えるかリーシャ。あのあたりがワゴール丘陵だが」
「あ、はい見えます。私けっこう視力は良い方なので」
リーシャとエイジが目的地の方を見ている隙に、フォウは薪に火をつける。
「ほれ、火がついたぞ」
「わぁ、すごいですねフォウさん……火を起こすのって結構むずかしいのに」
「なぁにわしにかかればこんなものじゃ。さっさと焼いて喰っておこう」
ぱちぱちと音を立てる火の回りに、串に刺した魚を立てて焼いていく。魚全体がよく焼けるようにくるりと串を回しながら、しばらく待つ。
表面に焦げ目が付き始め、リーシャとフォウはそれぞれ串を地面から引き抜いて食べ始めた。
「あむ、むぐ……どうしたリーシャ、食べんのか?」
「えぇと、かぶりつくものなんです?」
「そりゃそうじゃろ。箸なんぞ持ってきておらんからな」
「そうです、よね…………あむっ」
リーシャは小さな口で、ぎこちなく焼き魚にかぶりつく。
ゆっくりと咀嚼して、徐々にリーシャは顔をしかめていった。
「ぅ……に、にがいです……」
「腹側から食べるからだ。背中の方から食べるといい」
「あ、こっちですか。あむ……うん、美味しいです!」
内蔵も骨も気にせずにがつがつと食べるフォウに比べて、リーシャはときおり身に紛れる小骨を気にしながらゆっくりと食べていく。
このあと、フォウが一匹を平らげたあとに足りないと文句を言い、追加で四匹を食べきったところでリーシャがようやく一匹を完食し。三人は一時間ほど木の下で休みを取った。
やがて東から太陽が昇り始めるが、当初の予定では夜の間に行動するはずだったので、今日はこの辺りで身を隠せる場所を探さねばならなかった。
だが、そう言いだしたはずのフォウがそれを撤回する。
「日中を一日ずっと歩くのは危険じゃったが、丘陵までもうすぐじゃ……このまま一気に目指すとするか」
「いいんですか? 竜獣が襲ってきたら……」
「心配せんでいい。なぜかこの辺り、竜の気配が全くせん」
竜であるフォウには、近くにいる他の竜の気配が感じ取れる。
バンサス村の近くではやはりその気配を内心感じていたのだが、村から離れたこのあたりではそれが全くといってなかった。
その代わり、ワゴール丘陵の方角から並々ならぬ気配が発せられている。
フォウの髪の毛先が逆立つほどの強い竜の気配。
「そう言う事なら俺は構わない。行こう」
三人は朝日が完全に昇りきると同時にまた歩き始めた。
丘陵の強大な気配のことを、フォウは黙ったまま。