10.銀翼の幻
ワゴール丘陵。岩肌が露出した険しい山岳のあいだに伸びた一本の通り道。
なだらかに伸びるその道は山を縫うようにしてくねっており、無造作に成長した雑木林に左右を囲まれている。
徒歩では到底超えることの出来ない山々を越えるために何十年も前に作られたこの道は横幅が広い。行商人の馬車が横に三列並んで通れるほどの幅だ。
どれくらいかかるかはわからないが、道沿いに歩いていけばいずれイスター地方を抜け、大陸の北、ノウスガルム地方へと入って行ける。
道中、竜獣に出くわすことなくワゴール丘陵に辿り着いたエイジたちは、丘陵を少し歩いた地点で立ち止まっていた。
「……妙じゃな」
「ああ、なぜここまで来て竜が一匹も出てこないんだ?」
日は頭上で煌々と光っている。竜たちも活動をしている時間帯のはずだが、丘陵に足を踏み入れても竜獣の一匹すら姿を現さない。
フォウが感じている気配も、大きな竜の気配一つだけ。その他の竜の気配は毛ほども感じられなかった。
「リーシャよ、村を襲った竜を覚えておるか? 数と、何か特徴的な姿とか」
「えと……贄の暦で村に来た竜は10匹くらいいたはずです。どんな竜だったかは……すみません、わからないです……」
「レンティアの話だと竜たちは間違いなくこの丘陵近くにいるはずだ。……どうなっている」
三人は辺りを見回すが、竜の姿は確認できない。
だがそのとき、エイジたちの方へ近づいてくる一つの大きな気配をフォウは全身で感じ取った。
「! 何か来るぞ、構えい!」
「……!」
「っ!」
空中の大気が震え、空の一部が歪んでいく。
波紋が広がるようにその歪みから風が巻き起こり、三人を圧倒する。エイジとフォウは足を踏ん張らせ耐えるが、風に押されてリーシャはその場に尻もちをついてしまった。
歪んだ空から這い出るように現れる、銀色の巨躯。
鋭く尖った翼と、堅牢な鋼の鱗を全身にまとった竜。
「……!」
「お前たちが来ることはわかっていタ……人間にしては力のある方ダ」
その竜はフォウと同じように人語を話した。
竜のなかでも、人語を喋ることが出来る者は相当な力の持ち主である。それを知っているエイジはすぐさま臨戦態勢に入った。
銀色の竜はゆっくりと降下し、大地に鋭い爪を食い込ませて降り立った。
地面は大きく揺れ、竜の翼がひるがえるとまた旋風が起こり、木々たちの葉がちぎれていく。
「これはまた珍しいものがきおったな……エイジ、おぬしはまだ戦ったことがないじゃろう」
「……何なんだこの竜は?」
「フォウ・ク・ピードでも十数体しか残っておらん、幻竜という竜じゃ」
「幻竜……」
銀色の幻竜はギラつく瞳をエイジに向ける。その瞳は透き通る白銀の宝石のような色合いをしていた。
「お前カ……竜殺しと呼ばれている男ハ。同胞たちが幾十とお前に殺されたのだナ」
「……お前もそのうちの一つに入ることになる」
大剣を抜き放ち、エイジの身体から刺々しい殺意があふれ出す。
エイジの後ろで尻もちをついたままのリーシャは、そのエイジの姿に驚きと畏怖を感じていた。
(す、ごい……エイジさんが竜に持っている憎しみは、これほど強いのですね……慈悲も容赦もない、ただ命を奪うことだけを考えた姿……ぅう、だめ。怖がっちゃ駄目……!)
「エイジ、と言うのだなお前ハ。その力と意志、人間にしては称賛に値すル……お前は直々に私だけが相手をしよウ。この銀翼の幻、イルシオンがナ……」
幻竜イルシオンが翼を大きく広げると、また空が歪み始める。今度はいくつも歪みが発生し、その中から竜獣が何十体と現れ始めた。
「ひっ……!」
「相手が幻竜なら納得がいく……幻惑の力を使い、自分の手下どもを隠しておったか」
「万が一にも、私たちの邪魔をさせるわけにはいかなイ……儀式が終わるまでハ」
空中に浮かぶ竜獣たちが一斉に吼える。耳を聾するほどの轟声が、エイジたちの身体をビリビリと震えさせる。
竜獣たちの咆哮を受け、イルシオンは大きな翼を畳み込んでいく。それが何かの行動の前触れだと察知したエイジとフォウは、それぞれが瞬時に判断し動いた。
エイジはイルシオンに先手を打つために大地を蹴り、大剣を下段に構えて突っ込んでいく。フォウはそれを見て、後ろで座り込んだまま動けないリーシャの身体を掴み、思い切り後方へと投げ飛ばした。
「巻き込まれんように下がっておれ!!」
「わっ……ひゃああぁぁっ!!」
フォウの腕力に投げ飛ばされたリーシャは宙を舞い、雑木林の中へと放り込まれる。
それと同時にイルシオンは、エイジが斬りかかる前に翼をもう一度おおきく広げて超音波のような声を上げた。
するとイルシオンを中心に、地面も空も輪郭を無くすように歪んでいき、一瞬にしてその場にいたエイジとフォウ、そして竜たちが忽然と姿を消してしまった。
「い、たた……」
雑木林に生えていた低木に身体を受け止められたリーシャ。幸いにも着地の勢いはその低木によって緩和され、服が枝に引っかかって少し破れた程度で怪我はなかった。
リーシャはおもむろに立ち上がり、先ほど自分が座り込んでいた場所の方を見るが、そこにはエイジもフォウもいない。空中に何十と飛んでいた竜獣たちも見当たらない。
「な、なにが起きたんでしょう……?」
雑木林を抜けて、リーシャはきょろきょろと辺りを見回す。だが、自分一人が取り残されたようで辺りには何もない。
一瞬にしてエイジたちが消えてしまったことに、リーシャは不安を覚えた。
「……どうしよう」
なにをすればいいのかもわからず、リーシャはその場にただ立ち尽くすしかなかった。
不安と動揺で怯えるリーシャはうつむいてしまい、必死でどうすればいいかを考える。
―――上空の雲の上に隠れている、二匹の竜獣のことに気づかないまま。




