11.天鏡の幻湖
目を覆いたくなるような眩い閃光が奔り、球体状に広がっていくその光に包まれたエイジ。
目の前が真っ白に染まってもなお、イルシオンの位置を考えてエイジは大剣を振り上げて斬りかかった。がしかし手ごたえは無く、やがてエイジの身体を包んでいた眩むような光が徐々に小さくなっていく。
視界が戻ったとき、エイジは周りの風景に違和感を覚えた。
「……何が起こった」
先ほどまで自分がいたのは左右を森林に囲まれた丘陵だったはず。
しかし、どういうことかエイジは底の浅い湖の真ん中に立ち尽くしていた。
靴が半分も浸からないほど浅く、しかし地平線まで広がる大きな湖。空は晴れ渡り、その青空と白い雲を足元の水面が鏡のように映しこんでいる。
一体ここはどこなのか。なぜいきなり景色がこんな風に変わってしまったのか。その答えはエイジの後方へと移動していた銀翼の竜が持っていた。
「驚いたカ。私の創りだしたこの天鏡の幻湖ハ」
「……何をした」
「私たち幻竜と呼ばれる竜ハ、その名の如く幻を操ル。……そこにあるはずのモノを遮蔽することヤ、逆にそこに無いはずのモノを創生することが可能なのダ」
「……つまり、この空間は貴様の創りだした幻という事か」
イルシオンは無言で翼を大きく広げる。その無言はつまり肯定、この空間が幻想空間であるということを認めたということだ。
幻竜であるイルシオンは幻を操る力を有している。ワゴール丘陵で突如姿を現した竜獣たちは、イルシオンが幻でその気配ごと隠していた。そしてこの天鏡の幻湖と呼ばれる空間は、イルシオンが創りだした幻の空間。
幻とは言えども、エイジは実際にワゴール丘陵からこの場所に移動してきたと言って間違いはない。
天鏡の幻湖はどこまで行っても果てがあることはなく、障害となる物も存在しない。決して風景だけが変わったわけではないのだ。
「幻を侮るなヨ。お前は私の創った幻という『箱』の中に閉じ込められたのダ。外界への干渉は不可能……この箱から抜け出すには、私を殺すしか方法はなイ」
「もとより貴様は殺すつもりだ。……むしろ、邪魔がいなくなってやりやすい」
「ふン、それは私も同じヨ。お前と戦うには竜獣は役に立たン。奴らには残りの二人を相手にさせていル」
「……ッ!!」
大剣を構えエイジが駆ける。幻と言っても、足に伝わる水の感触や、飛び散る水滴の冷たさは本物のようだ。
水底をしっかりとつま先で蹴りながら、エイジはイルシオン目掛けて大剣を振り翳す。
相手は竜、それも他の竜獣と違いイルシオンの体は大きい。フォウの本来の姿より一回り程小さいが、それでも人間の体と比べれば十倍ほどはある。
胴体、つまり体長はそれほど大きく無いが、翼を含めた横の大きさが圧倒的な威圧感を感じさせる。30メートルほどあるだろうか、広げられた翼は勢いよく薙がれればひとたまりもないだろう。
しかしエイジはその恐怖心を既に克服している。それに、竜と戦う時の有効な戦法がこうして一気に懐へもぐりこむことだとも理解している。
「ぉおおおおおおッッ!!」
竜は確かに大きい。だがそれはつまり、細かい小回りがききづらいということ。
懐へと潜りこめば、竜はその動きをかなり制限させることになる。
「―――ッッ!!!」
エイジは振り翳した大剣をイルシオンの翼目掛けて力いっぱいに振り下ろす。鉄の槌で鉄杭を叩いたような硬質な音が響き、そのまま刃は鱗をなぞるように流れる。鋸で鋼の弦を引くかの如く耳障りな音を立てて。
(……硬いな)
イルシオンの体の色は鋭く光を反射させる銀色をしている。見るからに硬そうなその鱗も、やはり一筋縄に斬り裂けるものではないようだ。
エイジはイルシオンの大きな翼をかいくぐり、その背中側へと回り込もうとする。
しかしその動きを見て、イルシオンは脚で水面を叩きエイジから一気に距離を取った。
体が大きければ、その動きも大きい。一蹴りしただけでイルシオンは十数メートルも移動してみせた。
「その物怖じせぬ迷いの無い動キ……どうやら竜との場数は相当踏んでいるようだナ」
「今まで数えきれんほどの竜を殺してきた。ただの人間と舐めるなよ」
「しかし私の鋼の鱗に、その剣では引っ掻き傷すらつけられんサ」
「……いいや。今の貴様の動きでわかったさ。幻竜と言えど、竜としての弱点は同じなようだな」
背中側に回り込もうとしたとき、イルシオンはそうさせまいと俊敏な動きでエイジから距離を取った。翼に斬りかかったときは防御の姿勢すら見せなかったというのに。
その、背後を取られないようにする立ち回りは、今まで戦ってきた竜たちが何度も見せていた動きだった。
「翼を動かすために、貴様ら竜はその付け根だけは鱗が集中していない。空を飛ぶためにはしなやかな動きが要求されるからな」
「フ……そこまでわかるカ。だが弱点というものは補えば何の問題もなイ、お前に私の背中は取れんヨ」
「……背中を取れずとも、こちらも問題ないさ」
エイジは再び駆ける。しかしイルシオンも同じように攻撃の姿勢を取った。
銀色の翼は先端に行くほど鋭く尖っており、その刃のような翼をこちらに向かってくるエイジに対して突き刺すように動かした。
勢いよく放たれた翼をエイジは紙一重の動きで躱す。翼は地面に突き刺さり、その衝撃で地面は振動し水面に幾重もの波紋が広がる。
突き刺さった翼に足をかけ、それを足掛かりに一気にイルシオンの上へ跳びあがるエイジ。そのまま翼の付け根へと向かう動きだ。
「させるカ……!」
「……ッ!」
地面から翼を引き抜き、イルシオンは宙を飛ぶエイジを正面に捉える。体の位置を調整され、背後までは届かない。
そのままイルシオンはもう片方の翼をエイジに向けて撃ち放とうとする。が。
「悪手だな。さっきのように後ろに跳んでいればこちらもやりにくかった」
「なニ……!?」
「ふッ!!」
宙に浮いたまま、エイジは身をよじらせてその勢いで大きく腕を振るった。
持っていた大剣から手を放し、一直線に投げられたそれはイルシオンの右足ごと地面を深く貫いた。
「グぉォオオオッ!?」
「竜の弱点は一つじゃない。翼の付け根は最も有効というだけで、他にも攻撃が通る場所はある」
刃の半分ほどがイルシオンの足を貫き、そこから赤黒い血液が噴出する。見る見るうちにイルシオンの足元は赤く染まっていく。
そこから動こうとも、楔のように打ち込まれた大剣のせいで足は動かせない。動けなくなったイルシオンの肩にエイジは降り立った。
頭の鱗を右手で掴み、エイジは力を込めて左手を握る。
イルシオンは左の眼で、力強く握られたエイジの左手に刻まれた紋様を見た。
「―――召喚紋……! まさか、異界者の生き残りだト……ッ!?」
「……もう一つの弱点は、ここだ」
握った拳を肘ごと引いて、思い切り突き出す。
水風船を歪ませて割るような感触、果物を踏み潰したときの音を何倍にも大きくした音と共に、イルシオンの左眼は潰された。
「グぉぁァアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
「……」
イルシオンが苦痛に顔を歪ませ、どこまでも響き渡りそうな大声で叫ぶ。
その絶叫がエイジの耳を聾する。突き刺した左腕は肘まで達しており、ずるりとそれを引き抜くと腕はどす黒く濡れ、爪の隙間には赤黒い肉片が入り込んでいた。
ぽっかりと穴の開いたイルシオンの眼孔から、夥しい量の血が噴出する。
エイジの身体は深紅に染まり、彼の瞳だけが冷めたような青い色で光っていた。




