79.バンサスへの尋ね人
時は少し遡る。
エイジたちがサウスガルムへと足を踏み入れていた頃、イスター地方バンサス村に一人の少女が同じく足を踏み入れていた。
煤けた色の外套で身体を覆い、濡れたように黒い髪を短く切りそろえたその少女は、一目見て異様な雰囲気を振りまいている。
誰もが見とれるほどに端正な顔立ちだったが、その銀色に光る双眸は見るものすべてを貫くように鋭かった。
バンサス村は以前、贄の暦を迎えてかなりの被害を被った。
幸いにも連れ去られた村人たちは竜殺しとその仲間の手によって救い出されたが、村のありさまはまだひどいものだ。
果実を実らせる木々は一本たりとも残さず焼け落ち、畑も荒らされ、家々も何軒かは焼け崩れている。
そんな村に流れる川の側で、村人のリーシャ・ルーは洗濯をしていた。
木のかごに村人たちの衣服をこんもりと山積みにしながら、優しい手つきで布を擦っている。その表情は明るく、微笑みを浮かべていた。
そんなリーシャの姿を見つけた黒髪の少女は、ゆっくりとした足取りで彼女の元へと近づいていく。
リーシャの元に影が落ち、それに気づいて顔を上げる。
「あなたは……?」
「……すみません。自分は人を探していまして。グルーという名の老人を知りませんか」
少女の声は高かったが、同時に重みがあった。
冷たいような、硬い石を思い起こさせるような、そんな声。
リーシャはどこかで同じような声を聞いたような気がした。そしてすぐに思い出す。
以前、この村を救った竜殺しの男。彼もまた、同じように冷たい声をしていたと。
「グルーさんですか? それならこの村の村長さんですよ」
「そうですか……やっと、見つかりましたね」
「……? あの、一体どちらからいらしたんですか?」
「北から西へ……そして真央部を越えて、この東の地、イスターに来ました」
「し、真央部を越えて……!?」
フォウ・ク・ピードという世界は、四つの地方に分けられている。
東はイスター地方、西はウェスタ地方、南はサウスガルム地方、北はノースガルム地方。
その四つの地方が全て交わる大陸の中心部を、人々は真央部と呼んでいる。
真央部は気候が混沌と乱れた地帯であり、火山が活発に噴火し溶岩に染められているすぐそばで、豪雪舞い山が凍り付いているという奇妙な場所だ。人間はもちろん竜すらも生きていけぬような過酷な地帯を、この少女は抜けてきたのだと言う。
「そ、そんな方が……どうしてこの村に?」
「グルーという老人を探していました。どうか、会わせていただけないでしょうか」
「……は、はい」
一定の声色で話す少女に寒気すら感じながら、リーシャは洗濯の手を止めてグルーの家へと少女を案内した。
家の扉をノックして、リーシャは家の中へと入る。
椅子に座ってひしゃげた煙草をふかしているグルーの姿がそこにはあった。
「ン? なんじゃいリーシャ。洗濯しておったんじゃないのか?」
「そ、それが……グルーさんに会いたいって人が来ているんです」
「なにィ?」
グルーも少女の姿を認めると、目を細めて怪訝な顔を浮かべた。
少女はグルーのことを知っているようだったが、グルーは少女の顔を見ても全く心当たりが無かったのだ。
「一体どこの誰じゃ? ワシに会いたいなんて……」
「直接お会いしたことはありませんでしたが、貴方のお噂はかねがね聞いていました……グルーガルさん」
「……ッ!」
少女はグルーガル、とそう呼んだ。
ぽんやりと疑問符を浮かべるリーシャの隣で、グルーの表情がどんどんと険しくなっていく。
「お前さん……ナニモンじゃ」
「ご安心ください。怪しいものではありません」
「そンな身体を覆い隠す格好で、怪しくないわけがないじゃろうが。何をしにこの村に来た。目的はまさか……この子じゃァなかろうな」
「え、えっ? わ、私ですか?」
椅子から立ち上がり、じりと靴を滑らせるグルー。
リーシャには状況が全く掴めていないが、どうやらグルーは少女に対して強い警戒心を抱いているようだった。
しかし少女は落ち着いた様子で、左腕を外套の外へと出す。
「武器を隠し持っている、とお思いですか。……確かに私は二本の剣を携帯しています、ですが危害を加えるつもりはありません」
「じゃったらまずはその外套を脱げ。そうしてから両手を頭の後ろに置くんじゃな」
「……前半は言う通りにしましょう。ですが、その後は難しそうです」
少女は言われた通りに外套を脱ぎ払う。
筋肉質な身体についた無数の傷痕と、同じように傷だらけの軽装甲冑。
自らそう言ったように腰元には二本の剣が鞘に収められている。
少女の首元には深緋色の首輪が巻かれ、そして少女には――右腕が失かった。
肩から先が無かったのだ。
歪に見えるバランスの身体を見て、リーシャは小さく悲鳴を上げる。
包帯のように巻かれた布のせいでその中がどうなっているかはわからない。だが、そこに伸びているはずの『先』が無かった。
グルーはそれを見ても戸惑わずに、警戒を緩めない。
「見ての通り自分には片腕しか残っていません。片腕だけでお許しください」
「……その首輪、お前さんやはり騎士のようじゃな」
少女の失われた腕にばかり目をやっていたリーシャも、グルーの言葉でそのことに気付いた。
確かに少女の首にはチョーカーが巻かれている。騎士団に所属する騎士の証である、首輪がしっかりと。
「申し遅れました。自分はシュリア・ダグラスと申します、どうか話を聞いてもらえないでしょうか」
「その前に一つ訊いておきたい。その首輪の色じゃが……騎士団にその色の首輪を付けたモンはおらんかったはずじゃ」
「貴方が現役の頃には発足していなかった部隊の物です。自分たちはレッドチョーカーと呼ばれていました」
話を聞きながらグルーはシュリアの身体をまじまじと見つめる。
妙な動きが少しでもないかと注意深く。だがそうやって見ていると、シュリアの身体にはつい最近付いたような新しい傷がいくつもあることに気付いた。
まだ塞がりきっていないような、化膿寸前のような傷がいくつも。
「その傷……竜にでもやられたか」
「ああ、これですか。……そうですね、一週間ほど前に真央部で」
「真央部!? お前さん、あんなところに行っておったのか! 一体何のために……」
「勿論竜を殺すためです。あそこには四王の出現により居場所を失った竜が何体も隠れていましたから」
真央部と言えば生物が生きていけないほどに過酷な地帯だ。
そんなところに隠れることの出来る竜と言えば、それこそ四王とまではいかずとも相当の手練れの筈。
「上位種か……?」
「ええ。そしてそれらを束ねていた……上位五竜種の一角、碧竜ツァラシスカラシカを屠り去ってきました」
「なッ……!?」
「碧竜を殺すのは……以前、自分たちの任務でしたから。ようやくその任務が終わったので、自分は貴方に、グルーガル・ネル・ガラハッドに会いに来たのです」
シュリアは左腕を頭の後ろにつけながら、ゆっくりと膝を折っていく。
両膝を床につけて、うなだれるようにシュリアは頭を下げた。
「どうかお願いです。自分たちを手伝って頂けないでしょうか」
「……ワシに、何をしろと言うんじゃ」
「恐らく……いえ。生き残っている騎士は自分の隊と、貴方だけです。騎士団の『上』に復讐するために、力を貸してもらいたいのです」
床をじっと見つめるシュリアの瞳には、暗い復讐の炎が宿っていた。




