73.ワン・デイ
治療に専念する日々。それは予想以上に退屈なものだった。
左腕が一本折れているだけなのだから、生活に支障はない。もともと私は右利きだし、片腕で過ごすことに不自由は感じない。
訓練だって片方の腕があればこなせるのだが、私の部下はそれを許してくれなかった。
訓練中に万が一、骨折が悪化するようなことになると困るのはこっちだと、声を揃わされた。肝心な時に腕が折れたままでは戦力が大幅に減るからやめろとまで付け加えられた。
その言葉も、まぁもっともだろう。訓練するに支障が無いにしても、戦闘となれば別だ。
隊長の私が足を引っ張る訳にはいかない。私は渋々、治療に専念するという名目で、毎日を退屈に過ごすことになった。
毎日毎日、同じような流れで時間が過ぎていく。
まず朝。日の出の時間に起きて、ベッドから出る。私の部屋には暖炉が無いため、朝はかなり冷え込む。その寒さのおかげで頭はすぐにはっきりするが、身体のほうは縮こまり固まってしまう。
私の一日は部屋の中での軽い体操から始まる。筋力トレーニングではないので、部下たちにとやかく言われる心配も無い。
体操を終えると、私は服を着替えて食堂に向かう。最近は訓練に出ることも無いので、軽装甲冑は部屋の隅で埃を被ってしまっている。
食堂に着くと、既に席に座っているシュリアを見つけた。毎日そうだ。シュリアは私より少し早く起きてこの時間に朝食を取っている。
食堂では、砦の騎士がローテーションで食事を作る決まりになっているが、そのローテーションに私たちレッドチョーカーは入っていない。もちろん、砦の上位騎士もだ。食事当番はある種の雑用だからな。
私は食事のトレーを受け取り、シュリアの前の席に腰を下ろした。
「おはようございます、隊長!」
「ああ、おはよう」
時間も早いため、食堂の中は騎士達がまばらだ。騒がしいわけでもなく、静かすぎるわけでもない。
私はいつも、朝食を食べながらシュリアと他愛のない会話をする。
「今日の朝食もシチューか。ここには他のメニューが無いのか?」
「ビーフかホワイトかの二つしか選択肢がないですからねぇ」
「たまには魚が食べたい」
「あー、隊長お好きでしたね、川魚」
「最後に食べたのはいつだったか……ゲティスローツでも出なかったからな」
「砂漠と雪原、どっちも魚と川は縁が無いですねぇ」
私は木製のスプーンを使って、温かいシチューを口に運ぶ。
香辛料をたっぷりと使って味付けされたこの白くどろりとしたシチューは独特だがとても美味しい。しかし毎日これだと流石に飽きる。
「シュリアは飽きないか? 毎日毎日、シチュー続きで」
「自分は平気です! サウスガルムの時みたいな食べられない状況よりマシですからね!」
「あぁ……蟻竜の巣を掃除しに行ったときか」
「あれはひどかったですよ。巣はとんでもなく広くて、その中にサイズの小さい蟻竜が何百匹といましたから」
シュリアは苦笑した。
たしかにあの作戦は、サウスガルムでの嫌な思い出だった。
「殲滅するまで何週間もかかって、食料も底を尽きて」
「限界ギリギリでしたよね……最後の手段で食べた蟻竜の味、今でも忘れられません」
「あれは最悪だったな。竜を食料にするのが禁じられている理由があれでわかったよ」
「何度も吐きかけましたからね……。そう言えば、もしかするとあの時食べた竜って……」
「それ以上考えない方がいいぞ。私も違うと断言できないからな」
「う……りょ、了解です……」
食堂がにぎわい始める頃に食事が終わると、広場へ向かうシュリアを見送ってから、私は地下室へと向かう。
昼前まで私はずっと地下室で過ごす。ジュリアとミオの監視のためだ。二匹はアストの鎖を手錠として嵌めている以上、暴れることは絶対にない、とは言え自害などの可能性はある。二十四時間交代制で見張る必要があった。
朝から昼前までを担当しているのが私だ。腕が折れてからその時間を担当することになった。
監視と言っても、ただ居るだけに過ぎない。アリエスが上手くやってくれているようで、二匹の態度は最初よりずいぶんと良くなっている。
こちらも待遇は出来るだけいいようにしているし、そこまで神経を尖らせる必要も無い。適当に会話を交えながら時間が来るまで待つだけでいい。それがかえって退屈なのだが。
交代時間を迎え、二匹の監視から解放されると私は昼食を取りにまた食堂へと向かう。
昼食の時間では、顔を合わせる面子が決まっていない。たまたま同じ時間に居合わせた者と一緒に食べるようにしている。
今日はアストとヴェインの二人と食べることになった。数時間前にも食べた、白いシチューを。食堂に入った時点で香ってきたシチューの匂いが食欲を殺しかけたが、私は我慢しながらトレーを受け取り席についた。
「よォ隊長。腕の調子はどうだ」
「やめろ、ただでさえいつも同じメニューに飽きてるんだ。会話ぐらい毎日決まってないものにしてくれ」
「心配してんだ、毎日言い飽きてても訊いちまうもんだぜ」
「なら一週間は言うのをやめろ。その間は調子が変わらないだろうからな」
「あはは……完治までまだ数週間はかかるって、ウェッジさん言ってましたもんね」
アストは笑いながらそう言った。スプーンを持った手は宙を掻き混ぜていて、どうやら食事が進んでいないらしい。私と同じで、毎日同じメニューに参っているようだ。
対してヴェインは会話の合間にトレーの上を蹂躙する。大量に積まれたパンと、明らかに他の者より大きい器に入ったシチューを貪るように食べて、よくそこまでがっつけるものだと感心すら覚えた。
「魚が食べたい」
「僕は肉が食べたいです……」
「肉ならシチューの中に入ってンじゃねぇか」
「肉単体で食べたいんですよぉ、ステーキみたいな……ああ、ウェスタの肉料理がなつかしいなぁ……」
「ウェスタになら、今度行けるぞアスト」
「え、なんでですか?」
「帝都の方が危ないらしい。ここでの任務が終われば、久々に本部の方に帰れるだろう」
「ハッ。散歩からようやく家に帰れるってか――」
――午後はセルゲイの元へ向かう。
奴のいる指令室で紅茶を飲みながら、何も無ければ何時間もそこで過ごす。セルゲイは平時、指令室で暇を持て余しているためお互いにのんびりと出来た。
しかし暖炉にあたりながら外の寒さを忘れてゆっくりした時間を味合うと、訓練に出ている騎士達に少し引け目を感じてしまう。まあ、私は骨折しているから仕方ないにしろ、セルゲイがいつもこうしていることには疑問だ。
「そう言えばセルゲイ、最近あいつはどうしているんだ?」
「アレハンドロか? 毎日砦を出て、いろいろと調べておるらしいが」
「一人でか」
「一人でだ。『上』の者とはいえ、戦闘には自信があるらしい。そうでなければ本部から吾輩の砦までたどり着けんだろうしな」
「それもそうか……しかし武器を何も持ってなかっただろう、奴は」
「ふむ。気配を隠すのが異様にうまいのかもしれんな、例えるならば暗闇に潜む爬虫類のように。その方が臆病な『上』の者らしかろう」
「言えてるな。うちのウェッジと同じか」
私とセルゲイはくつくつと笑う。立場が似ている私たちは、考えていることも似ていた。
騎士団において『上』は絶対の存在だ。何しろ私たち騎士が忠誠を誓ったバルベルト皇帝陛下とその側近の総称なのだから。だから騎士たちの殆どは『上』を敬い、半ば崇め、服従している。
だが反発する騎士もいる。私たちレッドチョーカーと、セルゲイもそうだ。
恐らく竜との過酷な戦いを多く経験している騎士ほど、『上』に対する違和感は強くなるのだろう。
「しかしあんな子供が『上』の一員とはな、驚きだ」
「む、アレハンドロはああ見えて二十歳だそうだが」
「二十? とてもそうは見えないぞ。どう見ても子供だ」
「本人が言っておったのだ」
「嘘か本当かわからん奴だ、信じているのか?」
「信じようと信じまいと変わらんだろう。立場的に向こうが上なのは変わらんのだからな、真偽に興味は無い」
――セルゲイとの時間は退屈な日々の中での唯一の楽しみだ。
食事は毎日同じようなもので楽しくは無い。だから、セルゲイとの時間が終わると再び退屈に戻る。
雪景色の背景が暗くなれば、私は部屋に戻り武器を整備し、そして眠る。
ベッドに入り考えることは毎日同じだ。はやくこの腕が治らないかと、悶々と考える。
いっそ竜の襲撃でもあればいいとさえ思うこともある。それも大きな襲撃だ。そうすればいくら怪我人であろうと私も戦うことができる。部下に止められても、状況が押し通してくれるのだから。
そんなことを考えて、私は意識を夢の中に沈ませていく。
眠ることは好きだ。何故なら私の夢は真っ暗で、何もないから。
何も考えずに済む。何も感じずに済む。無意識が私を支配してくれる。
退屈すらも感じなくて済むから、私は眠ることが好きなのだ。
そうしていつの間にか、朝を迎える。
そして退屈な日々が、またやってくる。




