74.ディストーテッド・デストルドー
ある日の夜、私は砦の屋上で白い息を吐いていた。
夜間警戒。眠ることが許されない役目が、私に回ってきたためだ。いまだ動かすと痛む左腕を恨めしく思いながら、焚き火を絶やさないように木片を投げ入れる。
前方は見渡す限りの白いセカイ。地を這うような白色と、それを覆い隠そうとする真っ黒な空。単純ですっかり見飽きた光景だ。
後ろを振り返って砦の中庭に目を落としても、静かなモノだった。夜もかなり更けているから砦の内部も静まり返っている。みなベッドの中で夢に沈んでいるのだろう。
結局、私の左腕が折れたあの戦闘――蛇咬竜率いる竜の大群との戦いから、襲撃は一度も無かった。小競り合いすら無く。
砦の騎士たちの緊張感が緩んでしまう程に、ここ最近は平穏な日々が続いていた。それはそれで摩耗した精神を養う事が出来るからありがたいのだが、私たちはあまりにも闘争の日常に慣れすぎている。
争いと血を求める本能がせわしなく胸の内側を叩き、フラストレーションに似た何かが指先まで張りつめていると感じてしまう。つまるところ、私は平穏を平穏として楽しむことが出来ない。逸脱した精神状態を抱えた、狂った身体になってしまっているんだ。
今にして思えば、私が殺したあの姉妹と私は、そう大差は無いのかもしれない。狂気の方向が違っただけで。私も十分おかしくなっている。
「――今夜は一層冷えますわね」
「……ステファー。急に声をかけられると驚くからやめてくれ」
振り向くとそこにはステファーの姿があった。厚手のコートを羽織り、両手の平をしきりにこすり合わせている。
こんな時間に、わざわざここまで来るとは一体どうしたんだろうか。
「驚かすつもりは無かったのですけれど……大変でしょう? ここでの見張りは」
「寝でもしたら凍死しかねんからな。睡魔との戦いだよ」
ステファーは焚き火のそばで手を火にかざしながら、砦の周りをぐるりと見回す。
「ふーん……気のせいでしたかしら」
「何をしに来たんだ? こんな時間に」
「あぁいえ、その……何だか胸騒ぎがして、寝付けなかったんですの」
「胸騒ぎ?」
「ええ……何だか、嫌なことが近づいているみたいな、焦燥感に似たような……」
「いまのところ何も異常は無いが」
周囲は砦から離れるほど暗く落ち込んでいるが、今夜は月の光がおぼろげに地上を照らしている。そのおかげで目を凝らせばかなり遠くの方までしっかりと目視できた。今のところ、視界に何か変わったものは見受けられない。
視覚以外に神経を集中させても異常無しだ。竜の気配は寸分と感じられず、耳には風の音しか入ってこない。
「そのようですわね。……ふふ、ただの寒気だったのでしょう」
「寝るときは身体を冷やさないようにしないといけないぞ」
「ええ。貴女は寝ないように、気を付けてくださいね」
右手をひらひらと振ってステファーは部屋に戻ろうとする。
だがそのとき、私は背筋の下から上へと気味の悪い悪寒が走るのを感じた。血の気がさっと引くような寒気が胸を通り抜け、一瞬身体が硬直する。
私が感じたこの感覚をステファーも何かを感じたのだろう。彼女は踵を返し、私と同じように一瞬固まったあと、同じ方向に首を勢いよく向けた。
――徐に翼を羽ばたかせながら、宙に浮く巨体。人の頭ほどの大きさを誇る瞳がぎらりと光りながらこちらを睨みつける。そして何十本と生えそろった鋭い牙の隙間から、赤白い閃光がちかちかと煌めく。
目の前の状況に理解は追いつかなかった。しかし私の身体は、細胞の一つ一つすべては、脳の命令を待たずして動いていた。
私はその場から飛ぶように勢いよく床を蹴り、ステファーの肩を掴む。勢いがついたそのまま、ステファーを無理矢理引っ張りながら、中庭の方へと身を投げ出した。
後ろは振り返らなかったが、何が起こったのかすぐにわかった。私の背に鋭い光が照りつけ、直後に爆発音が熱風と共に押し寄せた。
「ぐッ……!!」
「きゃあっ!!」
空中でその衝撃を受けた私たちは一気に地面へと叩き落とされる。幸いにも落ちた場所には高く雪が積もっていて、かなり高い所から落ちたにも関わらず衝撃はかなり小さかったが、それでも私の折れた左腕には十分に悪影響を及ぼした。
なにせ腕を身体の下敷きにするように倒れこんだのがまずかった。肩の芯に響くほどの深い痛みを感じて、繋がりかけていた骨が再び折れ離れたのだと直感する。
「い、一体なんですの……!?」
「今の現れ方は……幻竜のたぐいか……っ!」
腕のことなど構っている暇はない。体勢を立て直して空を見上げると、赤々と燃え盛る砦の屋上と、黒煙に包まれた銀色の巨躯があった。
そして次々に、その銀色の竜の周りの空間が捩じり曲がっていく。螺旋の中心から這い出るように続々と他の竜が出現し始めたのだ。
「――ルグォアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
中庭に何匹もの竜が降り立ち、一斉に威嚇の声を上げた。
私は即座に剣を鞘から抜き放ち構える。それに呼応するように、ステファーもコートを翻して抜剣した。
重低く唸る竜を前にして、私は考える。この異様な状況に対して。
こんな深夜にここまで多くの竜が襲撃してきたことは異様と言える。何故なら竜も人間と同じく、昼に活動し夜は眠りにつくのだ。上位種の竜の中には夜行性のものもいるが、この場にいる何匹かは竜獣だ。少なくとも竜獣は夜行性ではない。
なぜ夜行性でもない多数の竜たちが、この時間に砦に襲撃をかけてきたのか。
その疑問に答えを出せる時間は与えられていない。
今はただ、戦わなければならない。屋上で炸裂した竜の火炎弾の音と光で、砦内部の騎士達も目が覚めただろう。いま私たちに出来ることは、いちはやく竜の数を減らすことだけだ。
「ステファー! 中庭の掃除をするぞ!」
「承知いたしましたわ!――」
――中庭に降り立った竜を私とステファーで殲滅していく。だが殺しても殺しても次々に空の歪みから後続が現れる。
砦の中から慌ただしく他の騎士達も応援にかけつけるが、竜の数は一向に減っていかない。竜の亡骸と死臭と、血と砦の損傷ばかりが増えていく。
このまま戦っていてもじりじりと消耗するだけだ。そう考えた私は、丁度そのとき中庭に駆けつけたシュリアを連れて砦の中へと戻り走りはじめた。
「――どう思います隊長! あの空の歪み!」
「最初に現れた竜は突然姿を現した。色合いからしてもあれは幻竜だろう、だがあの空の歪みは奇妙だな」
「幻竜の能力は、幻によって姿を隠したり現したりすること……その際に空間が歪むことはありますが……」
「屋上に浮かんでいるあの歪みはずっとある。その中から竜が這い出てきているのだから、あれはまた別の上位種の能力だと考えるべきだな」
その上位種とは一体どんな竜なのか、そしてどこにいるのか。
それを調べるために私たちは階段を駆け上り、屋上へと向かっている。中庭からでは見えない位置にいるのか、それともこの砦の中にはいないのか。どちらにしろ、屋上の竜も殲滅する必要があった。
屋上へと戻ってきた私は、両目の瞳をせわしなく動かして状況を確認した。
ぐるりと六角形の形を模した砦の屋上、さきほど私が飛び降りた位置は燃え盛る炎に包まれており、幻竜がその炎をもろともせず翼を広げて立っている。
幻竜は私たちの姿をその大きな瞳で視認したようで、翼の鱗を逆立てて繰り出してきた。
シュリアと私は互いに身体を突き放すようにしてその攻撃を避ける。そしてシュリアは軽やかな身のこなしで屋上に突き刺さった翼の先端に足を掛け、幻竜の頭めがけて跳んだ。
私は戦技によって剣を振動させ、幻竜の翼を斬り裂く。鋼以上の硬度を誇る幻竜の鱗と言えど、私にかかれば容易く断ち切ることが出来た。
幻竜が怯んだ隙にシュリアの剣が食らいつく。翼の根元に刺しこんだ二本の刃が肉を断ち、血を噴出させた。いかに幻竜と言えど、その能力を使わせさえしなければ竜獣と何ら変わりはない。
鮮やかな手並みでシュリアは幻竜の鱗を剥ぎ、刃を通し、あっという間に絶命させた。
「……やはりあの歪みは消えないな」
「思った通り、別の竜の能力ですね」
シュリアと私は幻竜の亡骸を足場にしながら、空に浮かぶ歪みを睨みつける。
竜たちはあの歪みから姿を現している。あの歪みはどこかに繋がっていて、そこから竜がやってきているのだろうか。だとすれば、早急に手を打たなければ。次から次へと竜に来られては、多勢に無勢でこちらの勝ち目は薄くなる一方だ。
「――うっわぁ。想像以上にひどいことになってるね」
「……アレハンドロ」
呑気に驚きながらアレハンドロが屋上にやってきた。この緊急事態だと言うのに、武器の一つも持たないで。
「大変だねぇ、セルギウスグラードにいくら上位騎士がいても、こんなに攻め込まれちゃ危ないんじゃない?」
「お察しの通り、このままでは蹂躙される。死にたくないならお前も手伝え」
「ちょっとスカーレット? ボクの立場は君より上なの。命令される筋合いはないと思うけどなぁ」
「この状況で上も下もあるか。手伝う気が無いなら砦の中で大人しくしていろ」
「誰も手伝わないなんて言ってないでしょ、もうっ」
へらへらと笑うアレハンドロに嫌気が差し、私は視線を切る。
とにかく、あの空の歪みを発生させている元凶を叩かなければならない。この砦の中に、そしてその周囲に、見慣れない竜がいないかどうかを見極めなければ。幸いにも屋上ならば周りを見渡せる。私とシュリアは砦の屋上をぐるりと回ろうと考えた。
「まぁ、君たちを手伝うとも言ってないけどね」
「……なんだと?」
その言葉に違和感を覚えて視線を向けると、アレハンドロはより一層に嗤っていた。
そしてその背後には、渦のような歪みが発生していたのだ。




