72.アレハンドロ
「『上』の人間だと?」
なんてタイミングなんだろうかと思った。
丁度、さっきまで『上』についてセルゲイと話していたところだ。嫌味を言ったのが聞かれていて、すかさず飛んできたのかと思うくらいにタイミングがいい。
それにしても珍しい。『上』の人間は帝都の本部に根を張っているのかと言うくらいに動かないというのに。わざわざこんなところまで来るなんて。
セルゲイも私と同じように顔をしかめて訝しがっていたが、とにかく中へ迎え入れようとステファーに顎で合図した。
ステファーが再び扉を開け、外に向かって恭しく頭を下げる。それだけで、外で待っていた人物は軽やかな足取りで部屋に入ってきた。
「やぁやぁ、ごめんねぇ急に押しかけちゃって」
一体どんな人物が入ってくるのかと身構えていたが、拍子抜けした。
天真爛漫な笑顔を浮かべた、少女だった。いや、少女かどうか定かではないが、外見は少女だ。背も低く、手のひらや耳も小さい。しかし目はとても大きく、真朱色の瞳は宝石のように煌めいている。
少女はにっこりと笑いながら、首をかしげて部屋の中央に立ち止まった。蜜柑の皮のような色合いの短い髪から、ぴょんと跳ねた毛先が揺れる。
私とセルゲイは立ち上がり、姿勢を正した。
「君がここの責任者だよね」
「は、ええ。セルゲイ・マルコヴィチ・アバルキンであります。失礼ながら、そちらは?」
目の前にいるのはセルゲイの身長の半分にも満たない小さな少女。だが、『上』の人物とあれば立場は少女のほうが上だ。
セルゲイは慣れて無さそうな敬語で名を名乗りながら、首元の首輪に手を当てた。
「ボクはアレハンドロ・アルケーランド。よろしくねセルゲイ、ええとそれで……そっちの君は」
真朱色の瞳が私の方を向く。
セルゲイと同じように私は首輪に手を当てながら名乗ろうとしたが、アレハンドロと言うらしい少女は手のひらを振る。
「ああ、大丈夫、知ってるから。レッドチョーカーの隊長、ジゼル・スカーレッドでしょ?」
「は……私のことを聞き及んでおられるようで光栄です。ですが、私の性はスカーレッドではなく、スカーレットです」
「にゃはは。そうだったっけ。でも『上』じゃもっぱらそう呼ばれてるよ? 汚れた赤色をまとめ上げてる、傷だらけの女って。でも名前で判断しちゃ駄目だね、髪も目も赤色じゃないみたいだし」
「……それはどうも」
アレハンドロは話し方も幼い印象があった。
可愛らしさもあるが、幼い子供特有の中性的な雰囲気がある。だが身長に不相応な胸の大きさから、女であることは確かだろう。
アレハンドロはソファにぽすんと座り込み、私たちにも畏まらず座るよう促した。
私は椅子をソファの方へと向け直し座る。ステファーは部屋を出て扉を閉めた。
「して……なぜ突然、吾輩の砦まで来たのですアレハンドロ殿」
「君らからの手紙を読んだからね。ほら、白いハヤブサ。書いてあることに驚いてさぁ、返事を書くより直接行こうと思って」
「よく、お一人で来られましたな。ノースガルムの気候は堪えたでしょう」
「もーびっくりしたよ! 寒いのなんのって! 雪は綺麗だけど、舌まで凍りついちゃいそうでさ」
「……その割には、あまり寒そうに見えないな」
「にゃはは。平熱が高いんだボク。君みたいに暖炉にあたらなくても、冷えた身体がすぐにあったまるよ」
アレハンドロは小さな身体に薄手の恰好だった。丈の短いスカートに、袖が肘上までの服。
武器の一つも持って無さそうで、実に『上』の人間らしい姿だ。よくここまで無事に辿り着けたものだと思う。
アレハンドロはソファから放り出した足をぷらぷらさせている。
「なんでわざわざ『上』のボクがここまで来たかわかる?」
「わざわざお呼びした覚えはありませんな」
「冷たいなぁ。北の人って心も冷たくなるのぉ?」
「アレハンドロ殿のような『上』の者と違って、ぬるくないだけです」
にやりと笑うセルゲイの顔はひどく不気味に見える。
しかしアレハンドロはそれを見ても、なお天真爛漫さを崩さなかった。むしろ、余計に機嫌が良くなっているようにも見える。
「にゃはは。まぁ冗談はこのくらいにしといてさ、あの手紙に書いてあったことを話しに来たんだよ」
「手紙の事というと……現界転生のことですな」
「そうそう。人間が竜になる儀式。『上』のみんな、目を丸くしてたよ。いまごろてんやわんやで会議してるだろうね」
「やはり、『上』も初耳でしたか」
「知ってたらすぐにでも騎士全員に通達してるよ」
「では、通達は既に?」
「それがねぇ。『上』はまだ疑ってるんだよ、本当にそんな儀式があるのかって。ボクも半信半疑」
そんなことを言っている場合か。
たしかに私たちもまだ、その儀式を目の当たりにしたわけではない。しかし竜に刻まれていた召喚紋は間違いなく本物だった。あれが何よりの証拠と言える。
その事は手紙にも記してあったはずだ。なのに、『上』は動こうとしないのか。
私は目の前の天真爛漫な、日和ったアレハンドロを睨んだ。
「半信半疑? 状況をわかっているのか『上』は」
「もちろん、本当に現界転生ってのがあるなら大変な事だよ? 騎士も異界者も、そうじゃない人間も、竜になるなんて。数は増える一方だしね」
「そこまで先の事が見えていて、何故動かないんだ」
「なぜって言われてもねぇ。真偽を確かめない限りどうにもならないよ」
「……話にならん」
私は苛立ちを込めたため息を吐いた。『上』の人間はどいつもこいつもズレすぎている。
アレハンドロはむくれて、大きな瞳で私のことを睨みつける。睨むと言っても、全然凄みは無い。
「もう。現界転生について色々調べるためにボクがこっちに来たんだよ」
「ならさっさと調べてもらいたい。そしてさっさと『上』に動くよう言ってくれないか」
「スカーレット、君ってホントに噂通りの人だね。ベゼルトが言ってた通り。棘そのものみたいな女」
「私のことをどう噂しようが勝手だが、私の前でその名前を口にするな。縫い合わせて塞ぐぞ」
その名前を耳にするだけでひどく苛立つ。頭の中に奴の顔が思い浮かぶ。左右で違う瞳の色、血色のいい唇。腹の奥で何か黒いものが渦巻いている気分だ。
唇を噛みたい気分になる。突発的にテーブルの上のカップを割ってしまいたい。ここまで苛立つことは、自分でもあまりないと思う。
「にゃはは。恐いなぁ、ホント。わかった、もう君の前でベゼルトの名前は口にしないよ。あっごめん、いま言っちゃった」
「……失礼させてもらう。これ以上あなたとかかずらっていると、手が出てしまいそうだ」
「そりゃあ大変! 骨折した腕を出させるわけにはいかないね、悪化しちゃうもん」
「セルゲイ……あとは任せた」
「う、うむ」
私は立ち上がり、長いテーブルを通り過ぎてセルゲイの近くまで行った。
セルゲイの大きな耳に口を近づけて、アレハンドロに聞こえないよう小さな声で釘を刺しておいた。
「くれぐれも地下室の二匹のことは話すなよ」
「わかっておる。『上』に知られれば面倒になるだろうからな」
私はそれだけ言って、部屋からはやく出ようとドアノブに手を掛けた。
扉を開けて右足を部屋の外に出したとき、アレハンドロがしつこく声をかけてきた。
はやくここから立ち去りたいというのに。私は首だけ動かして振り返った。
「スカーレット。その腕、治るまでどれくらいかかるの?」
「あと数週間かかるそうだ」
「そっか、お大事にね!」
見た目は純粋そうな少女だと言うのに。明るい笑顔が、アレハンドロの言葉が、皮肉だと感じてしまう。
真朱色の大きな瞳で見つめてくるアレハンドロに対して、私はろくに返事もせずに、扉を静かに閉めた。




