71.ジゼルズ・シン
「腕の具合はどうであるか、ジゼルよ」
「想定外に折れ方が複雑だったようでな、もどかしいよ」
上位種の竜たちの襲撃から二週間が経った。
私の腕はウェッジいわく、粉の一歩手前まで砕けていたらしい。砦に帰ってきて、緊張が切れたせいか痛みはひどいものだった。まるで腕の中で小さな爆発が起こっているような、そんな痛みだった。
腕を切り開いて骨同士にネバついた薬を塗りこまれ、痛みに喘ぎながら手術が終わり、あとは自然に骨がくっつくのを待つだけだ。
ウェッジはそのとき言った。動かせるようになるまで、普通の人間なら一か月はかかる。隊長ならもしかするともっと早いかもな。と。
私を何だと思っているんだと、石膏で固め包帯で首から吊るした腕を撫でながら思った。
そんなことで、私はこの二週間訓練も出来ずに憂うつな日々を過ごしていた。
出来ることと言えば……いや、何もない。本当に何もすることが無かった。上位騎士であるがゆえに雑務など回ってこないし、腕が動かないのだ、治療に専念するために片腕の腕立て伏せすらウェッジから禁止されている。
そんな鬱憤が溜まる日々において、私はセルゲイと紅茶を飲むことが唯一の楽しみになってしまっていた。
今までは偵察や訓練ばかりで、他の事にかまける暇は無かった。いまは暇しかない。
時間を持て余しているとシュリアに言われてしまった。たまの休暇、しっかり心身共に休ませてください、と。
確かに休みはありがたいが、こうも長く続くと身体の芯から腐ってしまいそうで参る。
「二週間前から、竜の襲撃も無い。殲滅作戦までのあいだ、ゆっくりと鋭気を養うのもよかろうて」
「ああ、もう諦めているよ。いまは休むしかすることがないからな」
「例の竜……ジュリアと言ったか? あれも無事、子を宿したのであろう?」
「三日前にな。複雑そうだったが、こちらとしては喜ばしい限りだ」
ジュリアとミオが複雑そうにしているのは予想していたことだ。驚きだったのは、アリエスがとても嬉しそうにしていたことだ。
以前にもまして甲斐甲斐しく二匹の世話をするようになり、ここ最近はほとんど日中を地下室で過ごしているらしい。
珍しく鼻で息をしながら光った目で話をするアリエスには驚いたが、新しい生命に心躍らせるのは、まだ子供のアリエスにとっては当たり前かもしれない。
「事が上手く運べば、ノースガルムの状況は一変するだろう。私たちの役目もそれで終わる」
「うむ……しかしそうなれば、次に貴殿らが向かうのはウェスタになるであろうな」
「ん? どうしてだ?」
「帝都がかなり危ない状況だと。騎士団本部にいる古い友人からの手紙を読んでな」
「本部の騎士たちは精鋭揃いだぞ。上位騎士の半数以上が帝都を守ってる、いくら竜の活動が活発だとしてもそう簡単に……」
「確かに今までなら吾輩もそう思うだろう。だが、現界転生のことを知ってしまってはな、杞憂とはいかんだろう」
確かにそうだ。帝都には熟練の上位騎士が大勢いるが、そのすべてが死さずに竜を倒せるわけではない。もちろん死人が出る。
そして死んだ上位騎士が、現界転生によって竜になれば……。
「竜の数は減るどころか、より強力になる……な」
「その事については貴殿らの鳥を使って手紙を出しておるから、本部のほうでも何か対策は打つはずだがな。どんな対策かは検討もつかんが」
「人間が竜に転生する儀式があると知っているだけで、他の事は一切わかっていないからな。ジュリアに訊いても詳しくは知らないときた、対策の打ちようがないだろう」
「『上』ならどうにかするかも知れぬ。この件についてはとりあえず任すしかないな」
「『上』なんて、物見やぐらで見物しながら指示を出すだけの、能無しの集まりだろう。」
「なんだ、やけに嫌っておるのだな」
セルゲイは立派な髭の間から白い歯をのぞかせて笑った。
私が『上』を嫌っている理由に、興味があるらしい。
「『上』は吾輩たち騎士の中でも選りすぐりの人間が所属しておる、それどころか束ねているのは他でもないバルベルト皇帝陛下なのだぞ? 我々騎士が忠誠を誓った皇帝だ、それを嫌っているとは、騎士失格であるなぁ」
「レッドチョーカー隊は一度首輪を捨てている。忠誠などその時に失くしたさ。この深緋色の首輪は手錠のようなものだ」
「なるほど。まぁ忠誠うんぬんの気持ちはわかる。たしかに『上』は前線に出るどころか、たびたび無理難題を押し付けたり、こちらの要請を聞く耳持たず蹴り飛ばす。そんな『上』の態度に、貴殿も嫌気が差した口か?」
「それもあるが……それだけじゃないさ」
ふと私の脳裏に、男の顔が思い浮かぶ。
左右の瞳の色が違う、艶やかな印象のある顔つき。しばらく会っていないが、それでもはっきりと憶えている。あの形の良い眉も、血色のいい唇も。
思い出すだけで、憎しみに私の下瞼はぴくりと動く。
「レッドチョーカーを創設った男も、『上』にいるんだ」
「貴殿らの隊を? ははあ、なるほど。……以前から気になっていたのだが、貴殿らは一体何をしでかしたのだ? レッドチョーカー隊は騎士裁判にかけられた罪人の集まりと聞いたことがあるが」
「大方その通りだ。罪人というほどではないにしても」
「なにぶん吾輩は好奇心が旺盛でな。そう、例えるなら八歳の子供のように。……貴殿のことを聞いても構わんかね?」
「……あぁ、構わないよ」
私は自然に笑みがこぼれた。
今までセルゲイのように直球で尋ねてくる騎士などいなかったからだ。こうまで純粋な好奇心で尋ねれたら、隠す気も起きない。
それに、私の過去については調べようと思えばすぐわかることだろうしな。
私は飲んでいた紅茶のカップをテーブルに置いてから、話し始めた。
「私は昔、騎士裁判にかけられたことがある。当時所属していた隊の仲間を、殺してな」
「騎士殺しをしたのか! 第一級罪だ、なぜそんなことを」
「……最低の女だった。殺されて当然の」
「誰だ、それは」
「名前はシルマ・エロール、そしてファル・エロール。双子の姉妹だ」
「二人殺したのか、それも、姉妹を?」
殺人の話を聞いているというのに、セルゲイは窪んだ眼の奥を光らせ、笑っている。興味深そうに身を乗り出しながら。
純粋なのかそれとも狂気的なのか。やはりセルゲイの性格はよくわからない。
「その姉妹は、竜に襲われた村で残酷なことを常習的にしていた。竜によって傷ついた子供たちを見つけては、いたぶり、辱め、そして殺していた」
「なんと……しかし、彼女らこそ騎士裁判にかけられるべきであろう。なぜ告発しなかったのだ」
「証拠が無かった。姉妹が使っていた武器は竜の爪や牙で作られたもので、殺された子供たちの傷痕を見ても竜にやられたとしかわからなかった。私もそう思っていたさ、姉妹が子供を殺そうとしている現場を直接見るまではな」
「……現場を見て、そしてその場で殺したのか」
「呆然としている私の前で、奴らはぺらぺらと、今までも同じようなことを繰り返したと喋ったよ。あまつさえ、私にも同じことをやらないかと持ち掛けてきた。……気づいたら姉の、シルマの喉に剣を突き刺していた」
そのとき何を考えていたか私は憶えていない。ただ、下卑た笑いを浮かべるエロール姉妹と、その傍らで無残に転がった子供の死体。その場面だけをよく憶えている。
今思い返せば、姉妹を二人とも殺してしまったのは愚かだった。どちらか一人でも生かしておけば、騎士裁判で自白させることが出来た。私が罪を背負う事にはならなかっただろう。
そう思ったが、しかし、私は後悔していない。
「そのあと、私はエロール姉妹を惨殺したとして騎士裁判にかけられた。事実だからな、滞りなく私は牢に入れられたよ」
「そうだったのか……それで、レッドチョーカーへの推薦があったのだな」
「ああ、『上』にいる男に言われた。”騎士としての誇りを失っていないのならば、せめてその命を戦場で使え”とな。牢獄で一生を終えるくらいなら、どんな立場でも竜と戦い続けた方がいいと思って、首を縦に振ったよ」
「騎士の鑑だな。ますます貴殿のことが気に入ったぞ!」
「私を気に入ってくれたのなら、私の部下も気に入ってほしいな。レッドチョーカー隊はたしかに罪人の集まりだが、私と同じように、全員理由があるんだから」
「心配せんでも、既に気に入っておる。今度、他の者にもいろいろと話を聞いてみたいものだな」
「やめておいた方がいい。私の部下たちは、まだそっちを気に入ってる様子じゃないからな」
セルゲイは大口を開けて豪快に笑った。
これは一本取られた、という風に自分の膝をばんばんと叩きながら、ずっと笑い続けている。
思わず私もつられて、目を伏せてくすくすと笑ってしまった。
しばらくのあいだ笑い続けていたセルゲイがようやく落ち着いたとき、指令室の扉がこんこんこん、と三回叩かれた。
セルゲイはすぐにいつもの重苦しい口調に戻り、扉の向こうに入室の許可を出す。
入ってきたのはステファーだった。
「ステファー、どうかしたか」
「セルゲイ、それが……お客様ですわ」
「客? こんな極北の砦に、客だと? 竜の客ならよく来るが」
「人間ですわ。帝都の、本部から来た……」
「騎士団本部から? 連絡など何も無かったぞ、一体誰が」
「それが……『上』の方だと、おっしゃっています」




