46.竜の眼
「お疲れのところわるいけどよ、命令だから仕方ねェ……ンだよっ!!」
「ぐっ……!!」
逆さまのヴェインがそのまま身体をしなやかに反らし、刃が擦れあい硬質な音を掻き立てる。
火花を翻しながら地に足を着けると、ヴェインはすぐさまエイジの腰辺りに向けて再度剣を振り払う。
即座に腕を動かし、エイジは間一髪のところで防御に間に合った。どちらかの剣が折れてしまいそうなほどの衝撃が発生したが、両者ともに体勢は崩さない。
「どういうつもりだっ……!」
「異界者を野放しにしとくわけにはいかねぇんだと。とりあえず黙って大人しくしてくんねぇか、な!」
ヴェインは歯を見せて嗤い、半円を描くように足を動かす。巻きあがった砂をまとうように身体を捻り、さらに連続で刃を弾き叩く。
エイジの大剣の腹に向けて繰り出される切っ先は火花を起こし、刃にこびりついた竜の血が線で刻まれていく。
極めて至近距離を保って攻撃を繰り出すヴェインに、エイジは顔を顰め歯を食いしばる。彼の武器の大きさもさることながら、あまりに相手が近いとどうしても動きが縮こまってしまう。
「やめろッ……! 俺は人間同士で争うつもりはない!」
「じゃあその手を離しやがれ! 手ェ上げたらやめてやるよ!」
「なにを……っ!!」
エイジが一歩退けば、ヴェインは一歩押し迫る。迫りゆく彼女が縦横無尽に腕を振るうたびに、鋭い高音が足元の砂に吸い込まれていった。
ヴェインは常に肘を曲げた状態で手首を使い攻撃を仕掛け続けている。撫でるような剣筋はしなやかで、剣がしなっていると錯覚するほどに出どころが掴み難い。
詰められたエイジは徐々に捌ききれなくなり、服越しに肌を薄く裂かれていく。
「ちょ……ちょっと! 今度はなんなのよ一体!?」
「あれは……マクレイン……?」
怒涛の展開を少し離れた場所で目の当たりにしていた三人。
かつてドルヤガの町で食事も共にしたことのあるヴェインがエイジに刃を向けているという状況に、面食らっていたレンティアがようやく声を出す。
「なんのつもりじゃ。あの小娘」
声色に僅かな苛立ちを含ませてフォウが呟いた。
突然現れ、見ていたところ有無を言わさず襲い掛かっていたヴェインだ。動機も不明、なぜここに居るのかもわからない。憤りに邪推が重なり、様々な疑心異心がフォウだけでなく他の二人の胸にも宿る。
怪訝な眼差しでヴェインを睨みつけるフォウを横目に、レンティアは立ち上がって声を張り上げた。
「何やってんのよっ……! あたし、止めてくるわ!」
大きく一歩を、苛立ちを込めた重い一歩をレンティアが踏み出したとき。
彼女らの背後から聞き慣れない声が静かに鼓膜を揺らした。
「動くな。そこから一歩でも動けば斬り捨てる」
「え……?」
「なっ!?」
三人が振り返るとそこには、抜き身の剣を突きつけた女性がいつの間にか立っていた。
見慣れない白金色の髪、冷たく濡れたぶどう色の瞳。彼女の周りだけが異様な雰囲気に包まれており、思わず三人の視線は釘付けになる。
三人の中でも特に驚いていたのはフォウだった。
張りつめた表情を浮かべ、身構えるように姿勢を少し低くする。
(……こやつ、いつの間に背後に回った? 全く気配を感じなかったぞ……)
「だ、誰よ、あんた……!?」
「説明は後でしよう。今はあの二人の邪魔をするな」
「何言って――――ぁ」
女の首元を見て、レンティアの視界がぐっと狭まった。
周りの風景や女の身体や顔が色を失っていき、すぐに意識に入らなくなっていく。いま彼女の眼に映っているのは、女が首に巻き付けた深緋色の首輪だけだ。
どん。とレンティアの胸が大きく鳴る。
色は違えど、その窮屈そうな首輪は幼い頃に何度も見たことがあった。
国に、その主に、忠誠を誓った証として与えられる、服従の首輪。
レンティアが探し求めていた復讐の手がかりを、その女は身に着けていた。
「――――騎士。」
「……。」
ぎし。とエイジは食いしばった歯を軋ませた。
袈裟切りの軌道を描いて大剣を勢いよく振り下ろす。かなり大振りな動作だったが故に、ヴェインにはあっさりと避けられてしまったが、そのままエイジは後ろにステップを踏むようにして距離を取った。
剣の切っ先を常にヴェインの胸元に合わせ牽制することで、さっきまでのように距離を詰めさせないようにしながら乱れた呼吸を整えていく。
「……抵抗しなければ何もしない。そう言ったなヴェイン」
「あァ言ったぜ。テメェが抵抗する限り俺もやめる気は無ぇんだからよ」
「本当か……?」
「はぁ?」
エイジは全身の至る所から刺すような痛みを感じていた。それは先ほどのヴェインの猛撃によってつけられた、皮一枚だけを裂く切り傷の痛みだ。
ゆらゆらと身体を揺らして攻撃の機会をうかがうヴェインと、ぴたりと剣を構えるエイジの間で、砂粒が地面を這う。
どうにもエイジには、ヴェインの言葉を信じることが出来なかった。もともと訳も分からず攻撃をされたのだから抵抗をやめるつもりはないが、抵抗をやめたところでヴェインが手を休めるとも思えなかった。
その疑心の根拠は、ヴェインの表情にある。
通常より開いた瞳孔、歪につり上がった口角、興奮して紅潮した頬。そのどれもが闘争本能をありありと示している。特にその瞳は、見ているだけで心がざわつく、嫌な物を感じさせる。
つまり、今のヴェインは何があっても戦いをやめないだろうという推測だ。
「何が目的で俺に斬りかかったかは知らんが……今のお前は俺を殺そうとしているように感じる。違うのか?」
「……俺より弱いなら、殺しちまった方がいいからな」
「……やっぱりそうか」
「殺されたくなけりゃもっと抵抗してみせろよエイジィ。異界者の力を使って、殺し返す勢いを見せてみやがれ」
「言っただろう。人間同士で戦うなんて意味が無い、俺は俺の力を人間に向ける気は無い」
ヴェインが自分を殺そうとしてきているこの状況でも、あくまでエイジはそう考えていた。
彼の意志はただ一つ。竜を殺す、ただそれだけだ。人を守りたいなんて願望は持ち合わせていないが、かと言って人を殺すことに抵抗が無いわけでもない。
ましてや異界者の能力を人間に向けるなんてことは、今までも考えたことすらなかった。
太陽の光に熱された刃から、附着した竜の血が蒸発していく。
エイジの位置取りは悪く、フォウ達を背後にしてしまっている。自分だけでなく向こうにも異変が起きていることを彼は知ることが出来ない。今の彼には、その事に目を向ける余裕も無かった。
しばらく黙り込んでいたヴェインだったが、エイジの言葉を反芻したのちに堰を切ったように破顔して高らかに笑い始めた。
「はっはははははッ!! あはははははははッ!! 人間同士! 人間同士かよオイ! えぇ!?」
「っ……暑さでおかしくなってるのか? さっきから……」
「おかしいぜ! おかしいに決まってらァ! エイジ、てめぇ俺を何だと思ってンだよぉ」
ヴェインは剣の柄を逆手に持ち替え、刃を口元へと近づけていく。
剣の腹を歯で噛み締め、上顎と下顎が軋むくらいに力を入れた。傍から見れば自分の剣を噛んでいる異様な光景だ。
そして彼女はゆっくりと刃を引いていく。串焼きの最後の一切れを串から引き抜くような動きで。
キィ。キィ。ギィ。ギィ、と。聞いているだけで歯ぎしりをしたくなるような音を立てていくヴェイン。
そして一気に刃が横に引き抜かれると、砥石に刃を滑らせるような音と共に、信じられないモノをエイジは見た。
「な、ん……?」
「見てわかんだろ?」
ヴェインの口元から漏れ出す、熱の塵。
空気を焦げ付かす炎が、剣を這って蠢く。
文字通り、息を吐くようにして炎が彼女の口から吐き出されている。
その仕種はまるで、いや、まさに。エイジが忌み憎む竜の姿そのものだった。
「人間じゃねェんだよ、人間じゃ」
ヴェインの開ききった瞳孔がその瞬間から、先ほどまで相手にしていた竜に酷似していると、エイジはようやく気付いたのだった。




