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竜殺し、復讐を顧みる。  作者: 天樛 真
サウスガルム編 血砂の蜃気楼
39/90

39.血砂の蜃気楼

 ―――砂が目に入るな。

 反射的に溢れる涙を指先で拭いながら、ヴェインは剣にべっとりと附いた血を振り払った。

 辺り一面は見渡す限りの砂、砂、砂。枯れ果てた大地に、無数の影が倒れている。

 血の混じった砂塵が巻き起こり、見通しの悪かった視界がふと晴れる。

 既にこと切れた竜の亡き骸は数えきれないほど多く、ヴェイン自身も殺した数など数えていなかった。

 蔓延る竜の隙間をかいくぐり、襲い来る竜の皮膚を斬り剥ぎ裂き、目の前が真っ赤になりながら何も考えずに暴れまわり、蠢いていた竜どもは数十分でまばたき一つしなくなった。


「ヴェイン、もう終わったか?」

「おう。相変わらず砂ン中に隠れるのが速ぇなカウフマン」


 ヴェインのすぐそばに横たわる竜の屍の下から、砂をかぶって隠れていたウェッジ・カウフマンが顔を出す。

 唾に混じった砂を吐き出し、耳の中を小指の爪で掻きながら砂の中から這い出ていく。

 彼はひゅう、と口笛を吹いて辺りを見回す。


「お見事。にしてもひでぇ臭いだ、乾いた血の臭いってのは鼻につく」

「じゃあ鼻ン中に砂でも詰めときやがれ」

「血を吸った砂をか? オレの筋の通った高い鼻が曲がっちまうぜ」


 戦闘中に口の中を切ったのか、ヴェインの唇には血が伝っている。冷たさを感じる鉄の味に舌が浸かり、思わず顔をしかめてしまう。

 勢いよく血反吐を吐き捨て彼女は剣を鞘に収めた。もう生きている竜は一匹も残っていない。

 靴を赤い砂にうずめながら、ヴェインは竜の屍の中を歩いていく。

 彼女のあとにウェッジも続くが、神経を尖らせたヴェインとは打って変わって彼は口笛を吹きどうも緊張感が無い。

 しかしそんな彼の態度はいつも通りの物だと、ヴェインは気にもしていなかった。


「……で? 集まったのは俺だけかよカウフマン」

「どうもそうらしいぜ。隊長もお冠だ」

「アリエスはともかく、シュリアもか? 呼ばれたらこの世の果てにでも来るような奴だろ」

「サイの出目が悪かったんだろうな」

「何でもかんでも運任せにするてめぇと一緒にすんじゃねぇよ」


 ウェッジは口角をつり上げながら、手のひらで二つのサイコロを弄ぶ。

 こいつの自主性の無さにはいつもうんざりすると、ヴェインは舌を打った。

 何か決断を迫られてはいつもサイコロを振り、その出目次第で行動を決めるウェッジは自らの意志で何かを起こそうとしたためしがない。

 食事のメニューを決めるときも、旅の分かれ道も、戦う時だってそうだ。

 いつも古びた象牙のサイコロを大事そうに肌身離さず持って、今みたいに手の中で音を立ててこすり合わせている。

 本人曰く、風呂に入るときや寝るときですら持ち歩いているらしい。


「けどお前が来てくれて助かったぜヴェイン。オレたちの中で二番目に頼りになるんだからな」

「何言ってやがんだ。この程度の竜獣の群れ、俺がいなくてもなんとなかったろ」

「斥候みたいなもんとは言え、数が数だ。戦力は大いに越したこと無いってな」


 周囲に横たわる竜の屍やその破片(・・)を踏まないように膝を上げて歩くウェッジ。

 通り過ぎる際に一匹一匹の竜の開いたままの眼を覗き込むが、どれもこれも一様に怒りの色に染まったままだ。

 凶悪なその目つきは今にも眼孔を抜け、目玉だけでも食い掛かってきそうに見える。

 

 先ほどまでは吹きすさんでいた砂塵も徐々におさまってきており、やがて彼女らの先に人影が見えてきた。

 幾つも重なった竜の屍の上に立ち尽くす、鎧を身にまとった女性の姿。

 鎧と言っても大層な物ではなく、胸元と腰回りだけを守る質素な鉄の装備。利き手の右腕は完全に覆われているが反対の腕はむき出しで、代わりに太めの鎖が手首の部分まで巻き付いている。

 そういうデザインなのかそれとも激しい戦闘を続けてそこまで変貌してしまったのか。

 細かな傷が無数に刻まれた鎧は少なくとも相当使い込まれているように見えた。

 彼女の装備品の中で唯一、右手に握りしめている剣には控えめな装飾が施されており、小さな赤色の宝石が埋め込まれている。


 砂塵で傷んだ彼女の白金色の髪はお世辞にも美しいものには見えないが、ヴェインたちに気づき振り返ったその顔は端麗なものだった。

 鼻筋は通り、眉は細くも凛々しくつり上がっている。同じ女のヴェインでさえ、美人だと一瞬目を奪われてしまうほどだ。

 ただ一つ、左頬から額まで続く縦に刻まれた傷が、端正な顔立ちの中で異質なものを感じさせる。

 竜の屍を足掛かりにして降りてくる彼女に、ヴェインは自らの喉元に指を添えた。

 それは彼女たちの間で交わされる、敬意を表す動作。敬礼のようなものだった。


「ジゼル隊長、遅れて悪かった」

「予想より速かったくらいだ。急な招集によく応えてくれた……だがヴェイン、軽装甲冑(ドレスメイル)はどうした」

「あ、あぁ……壊れちまったんだよ。置いてきちまったんだ」

「……そうか」


 女性にしては低くかすれ気味の声は冷たい印象があり、淡々としている。

 ジゼル・スカーレットの前では、いつも態度の悪いヴェインでもどこか緊張している様子だ。

 かたやウェッジはにやにやと笑み、目尻の垂れた女の様なその目に緊張の色は無い。


「ウェッジ。屍体の数を数えろ」

「あぁ? ちょ、ちょっと待ちなよ隊長、どんだけあると思ってんだよ」

「百には達しないだろう、10分で正確に報告しろ」

「……へぇへぇ、了ぉ解」


 彼は表情を呆れ笑いに変え、周囲の竜獣の数を数えに離れていく。

 ウェッジは渋々従った様子だったが、なぜそんなことをさせるのかと疑問を抱くことは無かった。

 既に死んでいる竜の数を数えることに何の意味があるのか、それを理解していたからだ。

 彼らの隊長つまりジゼルの考えは、敵戦力の把握と推察。

 通常、竜獣のみがこれほどの数で襲ってくることはまずありえない。必ずそれらに命令を下す上位種の竜がいるはずだ。

 そして少なくともその上位種の竜は、先刻襲ってきた竜獣の総数よりも力を持っている。

 ジゼルは今まで竜と幾度なく剣と爪を交わしてきて、自分なりの竜の力を示す指数、竜獣換算と呼ばれるものを持っていた。

 上位種の竜の力を竜獣が何匹分とあいまいだが表すことによって、相手の力量をある程度把握するためのものだ。

 その竜獣換算を行うために、ウェッジを使って襲ってきた竜獣の数を数えさせている。


 残ったヴェインの表情は固く、彼女は視線を足元からジゼルの双眸へと向けた。

 ジゼル隊長、と口を開いたはいいがその次の言葉がすぐ出てこない。

 やはりあの薄紫色の双眸を見つめていると、緊張してしまって全身が動かなくなってしまうと、ヴェインは視線を少し下げて続ける。


「……こっちの方で一体何があったんだよ? 東の竜どもが地別線を越えてまで」

「地別線を越えるということは、東の四王が絡んでいると見て間違いないだろう。目的は恐らく……『遊星ゆうせい限定げんてい』だ」

「っ! 始まったのか……!」


 ヴェインは目を見開き戦慄(わなな)いた。

 彼女の瞳は恐れの色があったが、口元はほんの少しだけ笑っている。

 少し離れた位置でジゼルの声を聞いていたウェッジは握りしめたサイコロを手の中で転がす。

 手を開いてサイコロを確認した彼は、ふてくされた表情を浮かべて舌を打った。


「最悪の場合、四王が三体……いや、四体がサウスガルムに集まる可能性も万が一、億が一にもあり得るかもしれん」

「はっ……そんなことになったら、いくら俺達でも打つ手なしだな」

「四王を一体相手にするだけでも、我々三人では勝ち目は薄い。アリエスとシュリアを探したいが時間も無い」

「……ジゼル隊長、戦力が欲しいってことだよなァ?」


 はっと気づいたように一瞬表情を変化させ、ヴェインは歯を見せて笑った。

 戦力なら思い当たる節があると、地別線で別れた男のことを思いだす。


「竜殺し。そいつがこっちに向かって来てんだよ」

「東で竜を屠っている男、か。……異界者(フォリナーレイス)なのか?」

「おう、ありゃ場数だけなら俺らと同じくらい踏んでるぜ。二、三日のうちにこっちに着くはずだ」

「……わかった。戦力に数えておこう」


 竜殺しと共にいた時間は短かったが、それでもヴェインは彼の力を認めていた。

 洗練されたものではないが竜を単独で殺せるその力は十分に過ぎる。

 竜殺しと合流した際にどうするかをジゼルが考えていると、辺りを回っていたウェッジが額に汗を浮かべながら戻ってきた。

 気だるげに両肩を落としながら、間延びした声で数え終わった竜獣の数を報告する。


「終わったぜ隊長ぉ。72匹だ」

「ご苦労だった。間違いはないだろうな?」

「間違いねぇって。アンタの担当は数えるのに苦労したけどよ」


 ウェッジがそう言うのも、ジゼルが殺した竜獣はほとんどがバラバラに斬り裂かれていたことにある。

 散乱した腕や脚がどの胴体の物なのか判別はつかないので、斬り落とされた頭の数で判断するのは面倒だったと。


「一匹も逃がさずにこの数を屠ったとあれば、控えている奴らもそう簡単に次の手は打ってこないだろう」

「んじゃま、しばらくはこっちも休めるわけだ」

「念のためヴェインはワーロックを飛ばしておけ。シュリアに向けてな」

「あぁ、わかったよ」


 ヴェインは指で輪っかをつくり唇にあてがう。吹いた息は高い音を出し、上空を飛んでいるハヤブサの耳に届いた。

 ジゼルが懐から取り出した細長く丸められた手紙を受け取り、ワーロックの脚に付けられた筒にそれを入れる。

 もともと知能が高い鳥類であるワーロックは、誰に向かって飛んでいけばいいのかを言葉で理解するため、ヴェインが伝えるとすぐさま飛び立っていった。


「ワーロックも飛んだことだし、オレたちゃ神殿に戻るか」

「あぁ、これからどうするか話さねぇとな。……遊星限定が始まっちまったんだしよ」

「必ずこの機を逃しはしない。我々、騎士の名に懸けてな」


 時代の歯車は止まることなく動き続ける。

 竜殺しの男と、少女の姿をした竜。復讐を願う少女と、異界者の子。

 それぞれの意志が強ければ強いほど、歯車の速度は上がっていく。

 朽ちかけた神殿に戻っていく騎士達の姿は血砂(けっさ)の蜃気楼に歪んでいく。

 ぞうに焼かれし異界の者はかたきとなりて牙を剥く。

 フォウ・ク・ピードの真実如何に。砂を浴びてもなお目を開くが宿命か。

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