戦争の現実
アリシア率いる解放軍本隊がロアンヌ平原で勝利を飾った頃、王国南東部に向けて進軍していたテレージア率いる解放軍別働隊はある問題に直面していた。
「本当に迂闊だったわね。これくらい最初に想定しておくべきことだったのに」
「派兵までの期間を考えれば十分過ぎる対応でした皇妃陛下。寧ろこの手法を実行した敵将を誉めるできです。まぁ……正直言って誉められた手法ではありませんが」
帝国軍と戦端を交えた北東部の新興貴族軍とは違い、南東部に展開する新興貴族軍は帝国軍と剣を交えることは無かった。
彼らは後退を繰り返しては徹底的に村や街を破壊するという焦土作戦を展開して、多くの難民を生み出して帝国側に押しつけたのである。
「後退する敵が魔獣を意図的に放置する為に魔獣との遭遇率も上がっています。これ以上、先行しての行軍は危険だと思いますが」
「本隊との距離は約一日半。確かにこれ以上は危険ね。それに民に紛れた民兵までいるのだから。計画通りには行かないものね」
憂いを帯びた表情でこのままいくとどうなるか思考を巡らせたテレージアは、すぐに大きなため息を吐き出した。
難民のために物資を解放して人員を投入した結果、別働隊の戦力は低下の一途を辿っている。難民を見捨てればそれは解決するのだが、アリシアを女王に据えて王国との友好関係をさらに親密にしたい帝国にとってそれは出来ない話である。
貴族に味方が少ない以上、民衆の支持は必須条件だからだ。
「こうなったら一時的に帝国が占領してしまいますか」
「……治安回復と生活再建。そして魔獣の排除。確かにそれを我々で行うのは事実上不可能です。敵を殲滅することが叶わなくなります」
別働隊の戦力を支援に割いている現状では新興貴族軍の殲滅など夢物語でしかなく、そんな状況で進軍を続ければ逆に壊滅的な被害を被る可能性も考えられる。そうなれば王国南部や西部の解放は遅れ、フロレスの本格的な介入を招き内戦が泥沼化することは避けられない。
「帝国経済が勢いを取り戻しつつあるとはいえ、長期間の大規模派兵を続ければ疲弊は免れないものね。それに何より命には代えられない。この先の村に到着したら増援を手配しましょう」
別働隊が新興貴族軍を打ち破るには全力を以て対処する必要がある。
かつて圧勝を収めた相手とはいえ、ここはすでに敵地であり見知らぬ土地。敗れた騎士を民が匿ってくれることも無いのだから。
「どの隊を動かすつもりなのです?」
「速度を優先する必要も考えると南部国境警備隊が一番でしょう。それとこの地域の纏め役も必要になる。そうね……フルダ辺境伯夫人なんてどうかしら?」
「シャスティル殿ですか。確かに彼女は難民を纏め上げて見事に逃避行をやり抜いた実績もありますし、かつての敵とはいえ王国の民を無下に扱うことも無いでしょう」
帝国五大貴族にその名を連ねるフルダ辺境伯。その当主であるアウレールの妻シャスティルは夫が不在の間、迫り来る脅威に正しく対処してみせ領民の被害を最小限に抑えた実績を持つ優秀な人材である。
「アリシア王女殿下に現状を報告して国境警備隊による一時的な占領の実行に許可を頂き、夫にも同じ許可を頂く。それから国境警備隊に指示が届いて動き始めるとして、二週間くらいはこの場で待機かしらね」
「ならば国境警備隊到着後すぐに動けるように、情報収集と友好関係の構築を徹底して行いましょう。それくらいしか出来ないともいいますが」
「ではその方針で今後は動きましょう。あ、それと各騎士長や部隊長に警戒の徹底を。民に紛れた民兵に気を付けるようにと」
村人に見える地面に倒れた一人の男性から槍を無造作に引き抜いたテレージアは、彼が手にする短剣を見据えながらそんな注意を促した。
「油断の無いように徹底します……。私も含めまして」
解放軍別働隊を率いる帝国皇妃テレージア。
そんな彼女を守護する近衛騎士総長リヒャルダはその言葉を重く受け止め、その場で跪いて頭を垂れた。暗殺者であることに気づかず、結果として護衛対象に救われる形になってしまったのだから。
「責めているわけではありませんよ。本当に気を付けなさいね」
「皇妃陛下……ありがたき幸せです」
かつて精強を誇った帝国騎士の復活を目指す皇妃テレージアにとって、次代を担う若い騎士は自身の子供も同然。
だからこそどこまでも慈愛に満ち溢れた表情を浮かべながら、時には危険を犯してでもリヒャルダたちを守るのである。
そしてその想いを知るからこそ、リヒャルダたちも身を挺して帝国と皇族を守るために奮戦するのだ。
「それにしても焦土作戦……本当に新興貴族が行ったのかしら」
精神的に弱い新興貴族が焦土作戦を実施したことに少しだけ違和感を覚えたテレージアが呟いたその言葉が、実は正しかったことを知るのはそれからしばらく経ってからのことだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「陛下からの要請……ですか」
再建途中のフルダ辺境伯領の領都ローデンブルグ。
そんな街の一等地に建つオルブライト家の執務室にアウレールから呼び出されたシャステイルは、要件を聞いて驚き目を丸くした。
「まぁ陛下からの要請にはなっているが、実際にはレアーヌ解放軍別働隊を率いる皇妃陛下からの要請だな。国境警備隊と共にレアーヌ王国の北東部に向かい、治安の回復と民の安全を確保して欲しいとのことだ。正直言ってレアーヌ王国の状況は想像以上に悪い。皇妃陛下が救援要請を出す程にな」
個人的な武勇だけでは無い。約七万の帝国将兵を率いる指揮官としても優れたテレージアが要請を出してきたのだ。その意味が分からないほどシャスティルは平和ボケしておらず、頭の中で正しく王国の現状を理解した。
「……分かりました。皇妃陛下からの要請なのです。帝国貴族の一員として、何よりも皇妃陛下を慕う者として王国に向かい微力を尽くしましょう」
「あぁ。では必要な物を纏めて南部国境警備隊の駐屯地に向かってくれ」
危険な地に赴くことを覚悟したシャスティルの決意の籠った表情に、かつて嫁ぐ時に見せた不安そうな感情は欠片も存在していなかった。
(彼女はやはり真の帝国貴族だったな。あの日、多くの者に落ち目の令嬢などと蔑まれていたが……自分の直感を信じて本当に良かった。これほど良い女を妻に迎えることが出来たのだからな)
今や公私共に頼れる存在となったシャスティルの背中を見送ったアウレールは、あの日の自分は間違っていなかったと実感しながら報告書を手に取って仕事を再開した。
妻が戻って来た時に、自分も貴族としての責任を果たしたと胸を張って誇れるように。
「……まさに泥沼の内戦だな」
五大貴族に連なるアウレールの下には前線から送られて来る報告が皇帝陛下を経由して届いている。
そしてその報告を読む限り、帝国の介入によって奪還出来た地域もあれば帝国のお蔭で悲惨な目に遭った地域もあることがすぐに理解出来た。
「焦土戦術。一見すれば効果的な戦術に見えなくもないが……」
帝国軍は現地調達や強制徴収といった手法を一切行っていないため、焦土戦術で困ることなど殆ど無い。挙げるとすれば行軍速度の遅れくらいのもので、それも追加の増援を遅ればすぐに解消されてしまう問題でしかない。
寧ろそんな戦術を用いれば反乱軍の方が困るはずだとアウレールは最終的に結論付けた。
「もしかして焦土戦術は新興貴族の案では無いのかもしれんな」
テレージアと同じ推測に至ったアウレールはこれ以上厄介なことにならないことを祈ったが、その願いが叶うことは無かった。
それを彼が知るのは、新たな報告が届けられた一週間後のことである。
お読みになって下さっている方は、どのキャラが好きなのか気になります(笑)