最終話:お月様が見てる
アリサが我が家にやってきて二十と余日。アリサは驚くべき成長を遂げていた。
私の教育とアリサの吸収力が合わさった結果か、学習レベルは飛躍的に向上し、さらに必要最低限の生活力は手に入れた。もう、カップ麺とお菓子が主食のアリサはいないのだ。
そして、迎える期日。私が目標としていた一か月という時間の中で、アリサは「味噌汁」を作り上げた。
「レイ、できたわよ~」
アリサがお椀を抱えて味噌汁を運んでくる。彼女の纏う白いレースのエプロンも、すっかり板についたようで、メイドとしての道を着実に進んでいることが窺える。
目の前に出されたのは何の変哲もない味噌汁。具材はネギ、ニンジン、ワカメ、豆腐。誰にだって作れるような一品だ────だが、それでいい。それがいい。
「いただきます」
私は食事の挨拶をして口を付ける。
鼻腔を抜けるはネギの香り、味蕾を弾くは味噌の風味。味のしみ込んだニンジンとワカメ、苦味がアクセントの豆腐。
「────めっちゃ美味しい」
「お粗末様。な、なんか照れるわね……」
ものの一分で飲み干した私はコトリ、と空になった椀を置く。
食後の余韻に浸っていると、涙が一筋、私の頬を伝っていった。その様子を見たアリサは慌てふためく。
「どうしたのよ!? なんかマズかった?」
「いえ、あまりにも美味しいものだから。成長したなぁって……」
「アンタは私のお母さんか何か?」
だってそうだろう。何もできなかったあのアリサが一人で食材を買い、一人で調理し、そして私のもとへ届けてくれたのだ。その過程を想像して、どうして感涙にむせばずにいられるだろうか。
「アリサ……これからも私のために、毎日お味噌汁を作ってください」
「任せておきなさいって!」
私とアリサは固く手を取り合う。
これは共同生活の第一歩。ここから、私たちの生活は始まってゆくのだ。
◆
さて、感動フェーズは終了。ここからはアリサを札束で殴る。アメとムチの最終段階である。
「アリサは約束通り味噌汁を作ってくれたわけだから、ボーナスを支払わないとね」
「べ、別にいいわよ。私だって途中から好きでやってたんだし」
「強がっちゃって」
私は袖から封筒を取り出す。アリサの目がギラギラと輝いているのは見逃さない。
「はい、感謝の気持ち」
「ま、まあ一応貰っておいてあげるわ」
アリサは私の手から封筒を取ると、俄かにそわそわし始める。中身を確認したくて仕方がないといった様子だ。
「開けていいよ」
「じゃあ、失礼して…………う、うわあぁっ!」
分かり易く驚嘆の声を上げたアリサは中に込められていた私の気持ちを両手で掲げ、その身体を固めた。
「レイ、これ私のお金なのよね!?」
「ええ、労働に対する正当な報酬。好きに使ってくれていいよ」
「え、え、どうしよう。味噌汁作って一万円。一万円あれば何ができる? 駄菓子を千個も買えちゃうの?」
「駄菓子くらい私がいくらでも買ってあげるけど」
「ど、どうしようかしら、今の私は無敵だわ! 車でも買おうかしら!」
「一万円で車は買えないし、あなたは自動車免許を取れないでしょ……落ち着いて」
興奮で思考がパニックになりつつあるアリサを宥め落ち着かせる。
彼女は鼻息荒く万札を胸に抱えこんでいる。その心意気や、よし────さらにアリサを壊していこう。
「折角だから、ついでに今月分の給料を出しておきましょうか」
「給料?」
「家事を手伝ってくれてありがとう、っていう心ばかりのお礼だよ」
私は懐から封筒を取り出す。それは、見てくれからして分厚いため、アリサは不安な面持ちでたじろいでいる。
「い、いいの?」
「ええ、このお金も全部アリサのモノだよ。開けてごらん」
「う、うん……」
アリサは恐る恐ると言った様子で中身を覗き込み、内容物を取り出す。彼女の顔は白から青、土色、桃色、とカメレオンのような七変化を遂げて、最終的には真っ赤に染まった。
「えっ、これ、いち、にい、さん……いち、にい、さん…………いち、にい、さん、あれっ」
その枚数の多さに脳が処理しきれなくなったのか、アリサは三までしか数えられないロボットになってしまった。私は黙ってその様子を見届ける。
「お、落ち着きなさいアリサ、冷静に、冷静に……えっと、これが十の束で、これも十の束、最後にこれも十の束、だから……」
「ふふっ」
アリサはその金額を理解したためか、徐々に身体の震えを大きくしていき────
「ど、どどどどうしましょうレイ、かっかかかか身体の震えが止まらないの! ととととっと、止めてよレイ! 私おかしくなっちゃう!」
「大丈夫だよアリサ。それはぜーんぶ、あなたが稼いだお金」
「まままっま、待って、一日千五百円で生きてきた私の金銭感覚が狂っちゃう!」
「ちなみにアリサの生活費は全部私が持ってあげるから、そのお金は純粋なお小遣いとして使ってね。それと、これからのアリサの働き次第で月給が三倍になったり四倍になったりします」
「ああああぁぁ、壊れちゃう! レイ、私壊れちゃうってええぇ!」
膝を震わせるアリサはマトモに立てないらしく、その場にへたり込んでしまった。私はゆらりと立ち上がり、アリサのもとへと歩み寄る。こちらを見上げる彼女の顔は、私の影に覆われる。
私は熱っぽい息を吐く。
「これからも私の傍にいてくれるのであれば、私がアリサのことを養ってあげる♡」
「も、もうレイから離れられなくなっちゃうよぉ……」
◆
「いい風ね……」
自宅のテラスで酒を傾ける私は夜風に吹かれながら独り言つ。同居人は既に夢の中。私のベッドを占領して寝息を立てていることだろう。
都会の空は明るい。見上げたって星座は見えないけれど、一等眩しい明星を探してみる。遠くで煌めくあの明かりは星だろうか、それとも飛行機だろうか。
どっちでもいいか、と投げやりになった私は酒を一口含む。
考えるのは先程のこと。随分と嬉しそうに小躍りしていたアリサの姿を思い出し、口元が緩む。
私は計画の進展を確信していた。あのように褒美を与えることによって、私への依存度を深くしていく。
だが、これはあくまで第一段階。
金の切れ目が縁の切れ目という教訓がある。先人たちの教えでは「金があるうちは親しかった関係も、お金が無くなってしまえばそれまでである」としている。
私とアリサの関係は現状、まさにこれだ。お金を与え、環境を与え、アリサを甘やかす。これは、私じゃなくてもできることだ。つまり、アリサから見た私など、せいぜい「お金を恵んでくれる人」程度の認識でしかない。
それは面白くない。
私はこれから、アリサと「精神的な繋がり」を深めていく必要がある。それは同居であったり、デートであったり、或いはもっと深く激しいスキンシップであったり。アリサの中に「金宮零」という存在を深く深く刻み込んでやるのだ。そして、私たちの関係の終着点は────
と、ここまで考えたところで思い至る。何故、私はここまでアリサに執着しているのかと。
「寂しいから……?」
魔法少女は孤独な生き物だ。貴重な青春を訓練や仕事に捧げ、交流関係だって広くない。
殉職や失踪が絶えない業界で働く魔法少女たちは日々、その精神を摩耗させていく。
孤独は辛い。だから、人肌を求めてアリサに執着しているのだろうか。
いや、そんな単純なことではないような気がする。
「私はアリサのことをどう想っているんだろう……」
私が彼女と最後に刃を交えたのは十年も昔のことだ。当時の恨み辛みは風化したはず────そう思っていたけれど。
私がアリサに対して抱くこの感情は、愉悦でも瞋恚でもない。
言うなれば、愛憎。
疎ましくも、好ましい。愛おしくも、憎々しい。愛憎相半ばする感情が私の中で蠢いている。
彼女を甘やかしつつも依存させて従わせようとする私の行動は、こういった心理から来ているのだろうか。
────この中途半端な気持ちに折り合いを付けたいから、アリサに執着するのかも?
「あー、面倒くさい。やめたやめたー」
酔った頭で考えたって、いい結論なんて出て来やしない。とにかく今は、この関係を精一杯楽しんでやる。気持ちなんて、後から付いて来るのだから。
手元に残っていたお酒を一気に呷る。灼けるような熱さが喉元を通り過ぎていく。
空に浮かぶ秋月が煌々と私を見下ろしていた。
◇
「よーし、それじゃあ今日も元気に実習訓練やっていこー……って、サナは?」
明くる朝。アリサに留守番を任せて出勤した私は、軍事演習場に居て然るべき人物がいないことに首を傾げる。
同じく私の生徒であるミソラとサノも顔を見合わせていた。私は、彼女の双子の妹であるサノに確認する。
「サナと一緒に来たんじゃないの?」
「サナが珍しく寝坊したから、アタシが先に出てきたんだ。暫く待ってたら来るかもしれないけど……」
「レイちゃん、先に始めようよー!」
「うーん……そうだね。時間は有限だし、始めておきましょうか。あと、私のことは金宮教官と呼びなさいね」
私が号令を出すと、ミソラとサノは普段のルーティーンに沿って準備運動を進めていく。
暫く二人の様子を眺めていた私は、ポケットの内に入れていたケータイが振動していることに気が付く。勤務中はマナーモードに設定しなければならないのだが、切り忘れていたようだ。何事かとこちらを見つめる生徒たちに一言断ってからケータイを手に取る。
すると、ロック画面には今しがた入ったメッセージが表示されていた。
『FROM.アリサ たすけて!』
◆
掃除機をかけるという朝の任務を終えたアリサはドラマを見ていた。すっかりお気に入りになったエプロンを付けたままソファに寝転がっているため、皺が付いてしまっている。
────ピーンポーン
その途中、金宮家のインターホンを鳴らす者が現れた。
「誰かしら?」
主人であるレイから、基本的に来訪者の対応はしないように言いつけられている。アリサは居留守を決め込もうとして再びテレビに視線を向けるも、しつこくインターホンが鳴らされ続けた。
「もう、うるさいわね……」
ドラマに集中できないじゃないか、と口を尖らせたアリサは玄関扉の覗き穴で来訪者を確認しようとリビングを出る。すると、家の扉が数度叩かれた。
『すみませーん、宅配です!』
「あっ、宅配だったのね!」
実は昨日、レイから給料を貰ったアリサはネット通販で買い物をしていたのだ。
駄菓子一年分。
もう届いたのかと浮き立ったアリサはレイの言いつけを覚えていたものの、その約束を破ってしまう。
────宅配なら私が受け取ってもいいでしょう。再配達になってしまうのも、業者さんからすれば迷惑でしょうし。
「はいはーい、今行きまーす!」
アリサは鍵を開錠する。扉を押し開けたその先に居たのは────────
彼女たちの関係がこの先どうなっていくのか、サナちゃんは何者なのか等々はまたの機会にとっておいて、一先ず完結と致します。
ご愛読ありがとうございました。