第16話「決着」
「――今更、遅いって、どういう……」
問い返そうとしたレオの言葉は、途中で止まった。ガレスの繰り出す剣先が、これまでと変わらぬ速さで、しかし、明らかに違う軌道を描いていることに、ようやく気づいたからだ。
(……同じ場所)
打ち込まれる一撃は、どれも寸分違わず、大剣の刀身、ほぼ同じ箇所――以前の岩熊戦で刃こぼれを起こした付近を、執拗に狙い続けていた。
「まさか、お前……!」
「気づくの、遅い」
ガレスの一言と同時に、鋭い一撃が、狙い澄ましたようにその箇所へと打ち込まれる。
――パキン、と乾いた音が響いた。
「あ……」
新調したばかりの大剣、その刀身に、無視できない大きさのヒビが走っていた。
「新しい剣、だからって油断した? 前回の教訓、生かせてない」
「く……! やられた……!」
完全に一本取られた形のレオに、観客席がどよめいた。
「おいおい、ガレスの奴、最初から狙ってたのかよ!」
「これは、レオ分が悪いんじゃないか?」
場の空気が、一気にガレス優勢へと傾き始める。だが、追い詰められたレオの表情には、悔しさと同時に、まだ諦めていない光が宿っていた。
「……確かに、一本取られた。だがな、ガレス」
レオは、ヒビの入った大剣を、あえて大きく振りかぶった。
「俺にも、隠し玉くらいあるんだよ」
「――?」
ガレスが、僅かに眉を寄せる。次の瞬間、レオの口から放たれたのは、思いもよらない詠唱だった。
「――《ウォーター・フラッシュ》!」
「なっ――!?」
勢いよく噴き出した水流が、狙い違わずガレスの視界を塞いだ。あの、ドブさらいの日に、散々な結果に終わったはずの水魔法。だが、その日以来、レオは密かに、宿の裏庭で練習を続けていたのだ。
「あいつ、水魔法なんて使えたのか!?」
「まさか、あのドブさらいで大惨事起こしてた奴が……!」
観客席のあちこちから、驚きの声が上がる。その様子を横目に、串焼きを片手に眺めていたミレイは、くすりと笑みをこぼした。
「へえ……。やるじゃない、レオ」
驚きというより、むしろ得意げな響きすら滲む呟きが、彼女の口から漏れる。
「くっ……! 目潰し、卑怯な――」
視界を奪われたガレスは、悪態をつきながらも、即座に態勢を立て直した。愚直に後方へ下がれば、そのまま場外に転落しかねない。追い詰められた状況でも、その判断だけは瞬時に働いていた。
ガレスは、後ろではなく、右手側へと大きく跳んだ。水魔法がどれだけの範囲に及ぶか分からない以上、直線的な退路を選ぶのは悪手――そう判断しての動きだった。そのまま、跳躍の勢いを利用して、宙高く舞い上がる。
「――!」
ガレスの位置取りに、レオは思わず息を呑んだ。彼が着地しようとしている軌道の先には、ちょうど、真昼の太陽があった。
(まずい、あの位置から斬り下ろされたら――)
案の定、ガレスは太陽を背にする形で、剣を振りかぶった。逆光の中、剣先の位置が掴みづらくなる。
「くっ――!」
辛うじて、レオはその一撃を、体を捻りながら回避した。切っ先が、頬のすぐ側を掠める。
「危なかった……!」
「防いだか。だが」
着地したガレスは、レオの回避の仕方に、一瞬、何かを見出したような表情を浮かべた。
「今の動き、目、慣れてない証拠。もう一度」
そう言うが早いか、ガレスは再び、力強く地を蹴り、二度目の跳躍へと移った。
――だが、ガレスは、気づいていなかった。
レオが、懐から、あの因縁のサングラスを、静かに取り出していたことに。
※※※
「悪いが、その手はもう食わない」
レオは素早くサングラスを装着すると、宙を舞うガレスを見上げた。逆光の眩しさは、黒く濃い硝子に遮られ、剣先の軌道も、はっきりと視界に捉えられている。
(上にいる以上、こいつはもう空中で軌道を変えられない。なら――)
「もう一丁、いくぞ! ――《ウォーター・フラッシュ》!」
勝機を確信し、レオは再び詠唱を放った。だが。
「……あれ?」
手のひらから漏れたのは、水流ではなく、間の抜けた「ぷすん」という音だけだった。
「げっ……!? 魔力切れ……!?」
まさかのタイミングでの不発に、レオの顔から血の気が引いた。慣れない魔法の連発が、想定以上に彼の魔力を消耗させていたのだ。
「――隙、見えた」
空中のガレスが、その瞬間を、見逃すはずもなかった。落下の勢いと剣速を乗せた一撃が、真っ直ぐにレオへと迫る。
「くっ――!」
回避は間に合わない。レオは咄嗟に、ヒビの入った大剣を掲げ、防御の構えを取った。
――ガキン、という重い衝撃音が、闘技場に響き渡った。
速度と重力、両方の力が乗った斬撃は、単純な力比べとは、次元の違う威力を伴っていた。ヒビの入っていた刀身は、その一撃を受け止めきれず、根元から真っ二つに折れ飛ぶ。
「あ……」
勢いを完全には殺しきれず、レオの体は、そのまま地面へと叩きつけられた。
「――もらった」
着地と同時に、ガレスがレオの上へと素早くのしかかる。マウントを取られたレオの首元には、瞬時に、ガレスの長剣が突きつけられていた。
――詰み、だった。
武器は折れ、体勢は完全に制され、身動きも取れない。どう足掻いても、抜け出す術のない状況が、そこにはあった。
「……くっ……」
悔しさに顔を歪めながら、レオは、しばし沈黙した。だが、それも一瞬のこと。荒い息のまま、彼は静かに、右手を軽く掲げた。
「……参った。俺の、負けだ」
その言葉と同時に、審判が大きく手を上げた。
「――そこまで! 勝者、ガレス!」
高らかな宣言に、闘技場が一気に沸き立った。惜しみない拍手と歓声が、四方から降り注ぐ。
その中で、ミレイだけは、拍手を送っていなかった。
ガレスの勝利を讃える気持ちがないわけではない。むしろ、素直に称賛したい気持ちはある。だが、それ以上に――今、地面に伏したまま悔しさを噛み締めているレオを思うと、無邪気に手を叩く気にはなれなかったのだ。
「……拍手、しないんですか」
隣で盛大に手を叩いていたエルザが、ふと気づいたように尋ねる。ミレイは、小さく首を横に振った。
「今は、ちょっと」
「……なるほど。さすが、ですね」
エルザは、それ以上何も聞かず、感心したように小さく頷いた。ミレイが何を考えているか、なんとなく察したような様子だった。
実際、ミレイの胸中は、単純な同情だけでは片付かない、複雑な思いで満ちていた。
(レオが剣のメンテナンスをサボってたのは事実だし、それを庇うつもりは、正直ない)
自業自得と言えば、その通りだ。日頃の怠慢が招いた結果を、無条件に擁護するほど、ミレイは甘くなかった。
(でも……)
それでも、胸の奥に、小さな棘のような感覚が残っていた。
(私、心のどこかで、レオの武器の状態、そんなに気にしてなかった。だって――)
レオが敵の注意を引きつけてくれれば、多少の不利は、自分の魔法で十分に補える。その自信が、ミレイの中には確かにあった。万が一撃ち漏らしても、最後にはガレスが確実に仕留めてくれる。そんな安心感に、無意識のうちに甘えていたのかもしれない。
(だから、レオの剣がボロボロなの、分かってて、ちゃんと指摘しなかった……)
パーティーとしての連携が、いつしか、各々の甘えを覆い隠す言い訳になっていたのではないか――そんな思いが、ミレイの中に、静かに広がっていた。
ガレスへの感謝。レオが、この決着のためにどれだけの準備をしてきたか。そして、パーティーとしての、それぞれの役割。さまざまな思いが去来する中、ミレイは、誰にも気づかれないよう、小さく、深いため息をついた。
「うおおおおおっ、決まったぁ!」
「マジかよ、レオが力で押してたのに、最後は完全にひっくり返されたぞ!」
「くそっ、賭け外したー!!」
悲喜こもごもの歓声が飛び交う中、ガレスは剣を鞘に収め、静かにレオへと手を差し伸べた。
「……悪くない試合だった」
「……ああ、全く。まさか、魔力切れで詰むとはな」
差し出された手を取り、レオはよろよろと立ち上がった。全身に、心地よい疲労と、いくばくかの悔しさが、同時に広がっている。
埃を払い、一つ息をついたところで、レオは、ふと表情を改めた。
「……ガレス」
「ん?」
「今日の負け、完全に俺の落ち度だ。剣の手入れ、ちゃんとしてれば、ここまで一方的にはならなかった」
まっすぐな声だった。ガレスは、少し意外そうに目を見開いたが、何も言わず、続く言葉を待った。
「悪かった。散々指摘してくれてたのに、聞き流して。……それと」
レオは、僅かに頭を下げた。
「今度、剣の手入れの仕方、ちゃんと教えてくれないか。お前みたいに、毎日きっちりとは、できないかもしれないけど」
思いがけない申し出に、ガレスは、しばし黙り込んだ。それから、ふっと、小さく口元を緩めた。
「……悪くない」
「頼んだ」
「明日から、毎晩付き合ってもらう。覚悟しろ」
「うっ、思ったよりスパルタそうだな……」
早速及び腰になるレオに、ガレスは珍しく、声に出して笑った。
「サングラス、思ったより役に立った」
「あの高い買い物、最後にちゃんと元を取ったな」
軽口を交わす二人の様子に、観客席からは、どっと笑いが起こった。
その一角、串焼きの最後の一本を頬張りながら、ミレイは、満足げに小さく頷いていた。
「ミレイさんの予想通りでしたね」
隣に座るエルザが、感心したように声をかける。
「まあ、ね」
得意げに笑うミレイの視線の先で、レオとガレスは、互いに肩を叩き合いながら、闘技場を後にしようとしていた。
こうして、『無鉄砲な三馬鹿』フロント二人の、突発的な模擬戦は――大方の予想に反し、しかしミレイの読み通り、ガレスの勝利という結末で、幕を閉じたのだった。




