第105話 最凶VSソル・アルバレス・ロハス.決着
隔離エリアの静寂は、ソルの絶叫と連続する銃声によって無残に引き裂かれた。
プライドをズタズタにされたスペイン最強は、もはや冷静な狙撃など捨て去り、ただ目の前の「あり得ない存在」を消し去るために引き金を引き続ける。
「当たれ! 当たれ! 当たれええええッ!!」
狂ったように放たれる弾丸の雨。だが、そのすべてが空を切り、背後の白磁の壁を無意味に穿ち、削るだけだった。
その光景を横で見ていたミネルヴァは、戦慄を通り越して、自身の持つ「常識」が足元から崩壊していくような感覚に陥っていた。
(……どういうこと!? アナスタシア局長の報告では、『未来予知』は発動しなかったはずよ! それに、そもそもアンチマジックカフスが付いているのよ!? 魔力が完全に遮断されている状況で、どうしてこれだけの動きができるのよ!!)
「おいおい。そんなに闇雲に撃ったって、当たるわけねーだろ?」
弾丸の軌道を紙一重――まるで最初から弾道が見えているかのように右へ左へとかわしながら、さいか(才牙)は嘲笑う。
それは予知でも魔法でもない。引き金にかかる指の力み、視線の誘導、銃口の微々たるブレ、そして放たれる瞬間の筋肉の収縮。そのすべてを寸分の狂いもなく読み取る、辰巳才牙という常軌を逸した「勘」と、実戦の中で培われた「観察眼」の結実だった。
激しい弾幕を完全に潜り抜け、一瞬でソルの懐へと肉薄する。
才牙はソルの両手首の神経が走る急所を、正確かつ鋭く、自身の小さな指先で強く突き上げた。
「――あがっ!?」
神経を直接打たれたような激しい衝撃。ソルの両手は瞬時に痺れて力を失い、愛用の双銃がカランと音を立てて冷たい床に転がった。
武装を解除され、完全に逃げ場を失った彼女の顔面目がけて、小さな影が躊躇なく跳躍する。
――ゴンッ!!!
強烈な「頭突き」がソルの額へと容赦なくめり込む。
肉体強化がないはずの、幼女の一撃。だが、全体重を一点に集中させ、骨の硬い部分を的確にぶつけたその衝撃は凄まじく、ソルは鼻血を吹き出しながら後ろへと大きく吹っ飛んだ。
「だいたい、銃なんてもんはよぉ。相手の位置を確認して、狙って、引き金を引かなきゃならねえ。……そんなトロい工程をいくつも踏んでる武器が、この俺に当たるわけねえだろ」
「うぐ……うぅ……馬鹿な……こんな、ことが……」
床に転がり、意識を朦朧とさせながらソルが絶望混じりに呻く。
だが、才牙は追撃の手を休めるどころか、あろうことか戦いの最中だというのに彼女に背を向け、悠々と歩き出した。
数歩歩いたところで、才牙はピタリと足を止める。
そして、ゆっくりと肩越しに振り返り、冷酷なまでの捕食者の笑みを浮かべて、倒れ伏すソルを見下ろした。
「ほら。待っててやるから、さっさとその銃を拾えよ。それとも、もうおしまいか?」
「…………きさまあああああああああッ!!!」
あまりの屈辱に、ソルの怒りと魔力が限界突破して弾けた。
怒りで顔を真っ赤に染め、ソルが再び銃を掴もうと激しく床を這いずる。
完全な格下、それも拘束されていたはずの子供に「待ってやる」と慈悲をかけられた屈辱。それは世界に名を馳せるスペイン代表としてのプライドが、絶対に許さないものだった。
隔離エリアの空気は、ソルの激昂と、才牙の放つ凶悪なプレッシャーによって、さらに濃密な殺意へと塗り替えられていく。
プライドを木っ端微塵に砕かれたソルの瞳には、もはや「捕縛」という本来の目的は消え失せていた。
全身から噴き上がる限界寸前の魔力が、白磁の隔離エリアの温度を急上昇させる。異常なまでの執念を感じさせるその魔力の高まりに、事の重大さを察したミネルヴァが血相を変えて叫んだ。
「何してるのソル! やめなさい! 本気でその子を殺す気なの!?」
「黙ってろ……! 『ギアード』ッ!!」
ソルの双銃から放たれたのは、先ほどまでの直線的な赤い魔道弾ではなかった。不気味に揺らめく蒼い炎を纏った、巨大な火の玉。
弾速は、意外にも先ほどの弾丸より遅い。さいか(才牙)が余裕を持ってその射線から外れると、蒼炎弾は壁に衝突する直前で不気味に急カーブを描き、再び才牙の背後を狙って猛スピードで迫ってきた。
「……ほう。追尾弾か」
「そうだ! それは貴様に激突するまでどこまでも追い続ける! そのまま灰すら残さず焼き尽くされろ、ガキッ!!」
迫り来る炎の塊を、才牙は鼻先で笑い飛ばすと、その場での回避を止めた。
それどころか、おもむろに銃を構えるソルに向かって、真っ直ぐに突進を開始したのだ。
「なっ、正気か!?」
驚愕したソルは、パニック状態でがむしゃらに引き金を引き続ける。
今度は追尾機能のない通常の魔道弾が乱射されるが、頭に血の上った射撃など、冷徹な才牙にとっては止まって見えるも同然だった。
「遅えよ!」
背後からは、猛烈な轟音を立てて蒼炎弾が肉薄してきている。その極限の状況下で、最小限のヘッドスリップと鋭いステップだけでソルの弾幕を紙一重で潜り抜け、才牙は瞬く間にソルの目の前へと肉薄した。
(またあの頭突きが来る――!)
先ほどの強烈な衝撃を思い出し、ソルは恐怖のあまり思わず強く目を閉じた。
だが、待てど衝撃は来ない。
「……え?」
恐る恐るソルが目を開けた、その瞬間。
彼女の視界を埋め尽くしたのは、幼女の小さな拳ではなく、自分自身が放ったはずの『蒼炎弾』の眩い輝きだった。
――ドォォォォンッ!!!
凄まじい爆発音がトンネル内に轟く。
「自爆」だった。
直前で才牙に完全に身を翻され、標的を見失った追尾弾は、そのまま正面に立ち尽くしていた主へと牙を剥いたのだ。
魔法少女の特性上、自身の魔法攻撃によるダメージは無効化されるとはいえ、至近距離での大爆発と衝撃波は、ソルの五感を完全に麻痺させた。
「!?!?」
爆炎と黒煙が立ち込める中、ソルは思わず怯み、完全に視界を奪われる。
その一瞬の死角。
煙を鋭く切り裂いて、小さな、けれど鋼のような硬度を持った「指先」が伸びた。
――”一点突破。”
「もっと、頭を使って喧嘩しな」
爆発の衝撃に気を取られていたソルの喉元――その無防備極まりない急所に、才牙の『貫手』に近い打撃が正確無比に突き刺さる。
「う、ぐ……がはっ……ふ、ぇ……っ!!」
声にならない悲鳴がソルの喉から漏れた。
魔力による防御の上から、的確に急所(喉)を潰された衝撃。ソルはその場に力なく崩れ落ち、胃の中のものを全てぶちまけるようにして激しく嘔吐した。
世界最高峰の魔法少女としての矜持も、美貌も、もはやそこには欠片も残っていない。ただ冷たい床に這いつくばり、涙と泥に塗れながら呼吸すらままならず悶絶する、一人の哀れな敗北者がいるだけだった。
黒煙がゆっくりと晴れていく。
首元のアンチマジックカフスをジャラジャラと鳴らし、さいか(才牙)は興味を失ったように踵を返した。
「あ、あぁ……あぁ……っ」
喉元への正確な急所打ちを受け、冷たい床に這いつくばって胃液をぶちまけるソル。その無残で慘めな姿を一瞥することもなく、才牙は恐怖に震えるミネルヴァの方へとゆっくりと歩を進める。
最高峰の精霊と契約した、誇り。
それを完膚なきまでに踏みにじられたソルは、屈辱と激痛に顔を歪ませながら、血混じりの声を絞り出した。
「……ゴホッ、ゴホッ! ……待て……待て、貴様……っ。まだ、終わって……ない、ぞ……!」
しかし、才牙はその負け犬の遠吠えが耳に入っていないかのように、ミネルヴァの前に立つと淡々と問いかけた。
「……さて。邪魔な番犬は片付いた。……次は、お前の番だぜ、ミネルヴァ」
ミネルヴァは完全に腰を抜かし、白磁の壁に背中を預けて座り込んでいた。
魔法を、その根源から封じられたはずの幼女が、現役トップクラスの魔法少女を文字通り「純粋な格闘技術(喧嘩)」だけで再起不能にしたのだ。その理解を超えた狂気の光景に、彼女の優秀な頭脳は完全にフリーズしていた。
「この首のやつ、鬱陶しいから外してくれよ。鍵、持ってるんだろ?」
「わ、私は持ってないわ……っ! それの解除権限は、ハミルトン様が持っているのよ……!!」
「……あのおっさんか。そりゃ面倒だな、どうすっかなぁ」
才牙は小さな顎に手を当てて考え込む。
その、もはや自分を戦力としてカウントしていない「眼中にない」態度が、地を這うソルの理性を完全に焼き切った。
「……貴様ぁッ!! この私を無視するなあああああ!!」
「……あ? うるせえな、もういいよお前。そのまま寝てろ」
「!?!?!?!?!?」
「もういい」。そのあまりにも冷淡な一言は、誇り高き戦士にとって、死よりも残酷な拒絶の宣告だった。
ソルの脳内で、限界を迎えていた理性の糸がブツリと弾ける。
それと同時に、彼女の全身から、文字通り命を削るような狂気的な魔力の渦が狂暴に吹き荒れ始めた。
「『ジュビア・ソラール(太陽の雨)』――ッ!!」
ソルの狂気に満ちた絶叫が、無機質な隔離エリアの空気を激しく震わせた。
直後、彼女の周囲の空間に、歪な魔力のスパークと共に無数の極彩色の炎弾が出現する。それは圧倒的な密度で膨れ上がり、逃げ場を完全に塞ぐようにして、全方位から小さな標的を包囲した。
「あはははは! 跡形もなく燃え尽きろ!! ……ディス(撃て)ッ!!」
狂気的な笑みを顔に張り付けたまま、ソルが容赦なく引き金を引く。
回避する隙間など、文字通り微塵も存在しない。全方位から一点へと集中し、怒涛の勢いで押し寄せた無数の炎弾は、直撃と同時に巨大な炎柱となって弾け、その暴威のなかに『さいか』の小さな体を完全に飲み込んだ。
「な、なんてこと……」
ミネルヴァが唖然として、激しく燃え盛るその光景を見つめる。
アンチマジックカフスによって魔力を完全に封じられた無防備な幼女が、至近距離から精霊契約の魔法少女の最大火力を真っ向から浴びたのだ。これでは肉体など残るはずもない――すべてが灰燼に帰したと、その場の誰もがそう確信した。
しかし。
轟々と不気味な音を立てて渦巻いていた炎柱が、徐々に収まりを見せたとき。
黒煙の向こう側から、信じられない光景が静かに浮かび上がってきた。
「…………嘘、でしょ」
絶句するソルとミネルヴァ。
黒煙を割って姿を現したのは、まるでシャボン玉のような、ごく薄い光の膜に守られた『さいか』の姿だった。服の裾はおろか、その銀髪にすら煤一つついていない、完璧な無傷。
「な、なぜ……なぜ魔法を!? アンチマジックカフスが、効いていないとでもいうのか!?」
ソルが、恐怖に声を震わせながら尋ねる。
しかし、拘束具のインジケーターは今も正常な作動を告げており、彼女の体内からの魔力供給は、間違いなく根こそぎ絶たれているはずだった。
「あん? ……てめーがさっきから魔力を弾にして、派手にバラまいてただろ。その魔力を『借りた』だけだよ」
「なっ……!? あり得ない……! 他者の魔力を、外部から直接制御して魔法を使うなど……そんなこと、できるはずが……!!」
「知らねえよ。出来るんだから出来んだろ」
世界の魔導科学が築き上げてきた常識という名の壁が、音を立てて木っ端微塵に崩壊していく。
才牙は、本来なら自身の魔力をリソースとして展開するはずの『バリア』を、敵であるソルが放ち、周囲に霧散していた余剰魔力をそのまま我が物として強引に掴み取り、発動してみせたのだ。
才牙は、重い足取りで一歩、また一歩と、屈辱と恐怖で腰を抜かしたソルの元へと近づいていく。
そして先ほどの『バリア』とまったく同じ要領で、今度は残留するソルの魔力を強引にその小さな身体へと引き込み、『身体強化』を発動させた。小さな拳が、ギリ、と硬く握り締められる。
「ば、化け物……」
正面から迫る圧倒的なプレッシャーに、ソルはただガタガタと 身体を震わせることしかできない。
そんな怯えるソルの耳元へ、才牙はゆっくりと身を屈め、その不敵な口元を近づけた。
紡がれた声は、地獄の底から響いてくるかのような、冷徹極まりない響きを帯びていた。
「――てめーが、弱いだけだろ。」
――ドッ!!!
無慈悲な一撃が、ソルの顎を鋭く跳ね上げた。
スペイン最強とまで謳われた魔法少女の意識は、抵抗する間すら与えられず、その瞬間に深い闇の底へと叩き落とされた。




