25話 再会
馬車がゆっくりと進んでいく。見慣れぬ街並みの景色をよく見たくて、ロザリンデは窓に顔を近づける。
「ああ、いけない」
ライナスが用意してくれていたウィッグをつけ忘れていた。慌ててつけようとすると、ライナスが制止した。
「もう変装する必要はない。ここはドレスブルクだからな」
「……そうでした。忘れていました」
「今日、ついたばかりですから。……ドレスブルクの街並みはいかがですか? ロザリンデ様」
「素敵です。活気があって、とても楽しそうな街ですね」
ロザリンデの返答を聞き、隣に座るシャンタルは嬉しそうに微笑んだ。妻の姿を見て、アントナンも優しく目を細めた。
葬儀から十日、時折休憩を挟みながらロザリンデ達はドレスブルクに到着した。
本当は馬を変えて日中はひたすら進む予定だった。しかし、川に飛び込んだ影響か、ロザリンデが体調を崩してしまったため、当初より余裕を持って進むことになった。
ライナスの話では前々から逃亡する準備をしており、ライナスの補佐をするアントナンとロザリンデの世話をするシャンタル以外の使用人は先にドレスブルクへと渡ってるとのことだった。
「気になるなら、後で街歩きをしたらいい。もうお前を脅かすものはいないからな」
「……はい。そうします」
ライナスは窓から見える建物や露店に並ぶ商品などを簡単に説明してくれる。ロザリンデはそれを聴きながら、ぼんやりとライナスの横顔を見上げた。
ライナスに復讐する気はないと言われてから、一週間以上が経った。彼はロザリンデが無事に逃亡し、ドレスブルクで落ち着けるまでサポートすると言ってくれた。ライナスは本当に復讐の意思がないようで、終始ロザリンデに穏やかな態度で接してくれている。
けれど、ロザリンデはまだ飲み込めていない。心の中にぽっかりと穴が空いたような寂寥感に、時折胸が苦しくなる。
「ロザリンデ?」
「あ……いえ! とても興味深いなと思いまして」
「そうか。あれに興味があるのならーー」
次々とドレスブルクのおすすめを教えてくれるライナスはとても楽しそうで、ロザリンデも自然と頬が緩んだ。
もしあの時、ライナスと一緒に屋敷を抜け出していたら。
そんなありえない空想が浮かび、ロザリンデは内心自分を戒める。それを壊したのは自分だ。今更何を未練たらしく引きずっているのだろう。
ライナスはもう過去のことを断ち切って、前に進んでいるのに。
気持ちを切り替えなければとロザリンデが自分に言い聞かせていると、シャンタルが口を開いた。
「ところで、ご主人様。今日はどの宿に泊まりましょうか?」
「いや。今日は友人の家に泊まる。絶対に立ち寄れと言われていたし……ロザリンデにも会わせないといけないからな」
「私に……ですか?」
何故だろうとロザリンデは内心首を傾げる。
ライナスの友人に知り合いはいない。どんな人なのかと尋ねるが、ライナスは言えないと首を振った。
「秘密にしていろと言われている。そっちの方が感動的だからと。まあ、会えばわかる」
歯に物が挟まったような言い方をするライナスに疑問を覚えながらも、ロザリンデは頷いた。
そして、一行は立派な屋敷に到着した。ライナスの友人は富裕層なのだろう。ドレスブルクは王政だ。もしかしたら、貴族なのかもしれない。
緊張しながら、ロザリンデは従者に案内された応接室にライナスと共に入る。
そこにいた人物を見て、ロザリンデは目を見開いた。
「お兄、様……?」
何度も瞬きして目の前の光景を確かめる。
焦げ茶の髪に、グレイの瞳。貴族だった頃と比べて少し痩せてしまっているが、浮かべる優しい笑顔はよく見慣れたものだった。
間違いなく、三年前にロザリンデを守るために囮となった兄ジョルジュだ。
「久しぶりだね、ロザリンデ」
「お兄様っ!」
兄に駆け寄ったロザリンデは涙を流しながら、兄を見上げた。
「ご無事で良かったです……」
「お前も元気そうで良かったよ。死亡したと噂を聞いた時は心臓が止まるかと思ったが」
兄はこれまでのことを簡単に話してくれた。
どうにか民衆を撒いてドレスブルクまで逃げ延びたこと。ロザリンデを保護してくれるはずだった仲間と連絡が取れず、必死で探し回っていたこと。ドレスブルクで会社を起こし、基盤を固めたこと。ロザリンデの噂を確かめにアルクレアに戻り、囚われていたライナスを助けて亡命に手を貸したこと。
「お兄様が助けてくださったんですね、ありがとうございます」
「当然だろう、たったひとりの妹なんだから。本当はすぐに会いたかったんだが、急用があってね」
「そちらはもういいのですか?」
「ああ。無事に彼女を連れてこれたから」
ふいに、扉がノックされる。ジョルジュが入室の許可を出すと、お茶を持ったひとりの女性が入ってきた。
すると、少し離れた場所で兄妹の再会を見守っていたライナスが驚きの声をあげた。
「ミレアか? ……ジョルジュ、お前の急用というのは……」
「彼女をドレスブルクに連れてくることだよ。あのまま教会にいて、もし私たちに協力したことが明るみになったら危険だろう? お前は忽然と姿を消していて、今も捜索されているようだし。下手したらお前を誘拐した容疑までかけられる。一刻を争うから急いで連れてきたんだ」
兄はライナスの脱獄に協力してくれた人だと説明した。礼儀正しく自己紹介をするミレアは、姿勢も所作も美しく、敬虔な修道女であったことがうかがえた。
ライナスは兄をまじまじと見て呟く。
「ここまで連れてきたということは、本気だったのか」
「そうだよ。だから言っただろう? 純粋な心で親しくなったと」
その日はこれまでのことで話が弾んだ。
これからの事を考えなければいけないが、しばらくは何も気にせずのんびり過ごしたらいいと兄は言ってくれた。
ロザリンデはそれに甘えることにした。慌てても良い結果はでない。
そうして数日、兄の屋敷で過ごした。
「ところで、聞いたか? ライナス達は明後日にここを発つらしい」
よく晴れているからと兄に誘われたお茶会でそんな話を聞き、ロザリンデは顔を上げる。
衝撃発言をした兄はロザリンデが好むハーブティを顔をしかめながら飲んでいた。
苦手なら無理に飲む必要はないとロザリンデは言ったのだが、ロザリンデとのお茶会ではこれを飲まないと気がすまないと返された。変なところで意地を張る人だ。
「久しぶりの再会だからと引き止めていたけれど、あいつにも仕事や生活があるからね。あまり無理に留まらせることもできない」
「それは……寂しくなりますね」
そう返すのが精一杯だった。
この屋敷に来てから、ライナスと顔を合わせることは何度かあったが、必ず第三者がいた。ライナスには大抵アントナンがついていたし、ロザリンデは時間があれば兄に屋敷の案内やこの国のことについて学んでいたからだ。
このままふたりきりで話すこともなく、別れるのだろう。
ライナスと兄は友人だから今後も交流はある。ロザリンデもこの屋敷で会うこともあるかもしれない。
けれど、これまでのように頻繁に顔を合わせることはない。ライナスが復讐を止めた時点で、彼とロザリンデの繋がりは薄いものになった。
「昔は、こうして庭でお茶を飲んでいたね」
しみじみとした口調で兄が言う。
忙しい兄とのお茶会は月に数回程度だったが、ロザリンデはとても楽しみにしていた。
雑談をしながら、よくロザリンデは欲しいものをねだっていた。絵画や花、アクセサリーなど、値段を気にせず欲しいと思ったものは何でも手に入れてきた。
『ロザリンデ。今度は何がほしいんだ?』
それがお茶会での兄の口癖だった。
もし、ロザリンデがあの頃の素直さを持ったままだったら、何を願っただろう。
「本当はね、私はミレアのことを諦めるつもりだったんだ」
口直しにと甘いクッキーを一枚食べた兄は、庭を見ながら語った。
「外国に移住するのは苦労するし、彼女にも家族はいるからね。一緒になれなくても仕方ないと自分に言い聞かせた。でも、お前とライナスを見て、考えが変わったんだ」
兄はロザリンデに目を向けた。穏やかな眼差しだ。
「幼い頃から、お前の幸せを願っていた。枷の多いお前に少しでも幸せになれる人生を送らせるのが、自分の使命だと。だが、お前はアルクレアの支配から解放され、新たな道を歩もうとしている。だから、私自身も幸せになることを考えようとね」
兄はきっとわかっている。ロザリンデの願いも、葛藤も。
けれど、ロザリンデにそれを聞かなかった。
ロザリンデはもう箱庭の中でしか生きていけない神の子ではない。自由に外を歩き、望む場所に行けるひとりの女性だ。
そもそも、ロザリンデの望むものは、誰かが与えられるものではない。ロザリンデが自分の手で得なければならないものだ。
「そうですね……。私も、自分の道を……幸せを、考えようと思います」
ロザリンデの言葉に、兄は優しい笑顔を浮かべた。




