24話 贖い
死んだはずの神の子ロザリンデの復活に、人々は大いに湧いた。悲しみから一転、喜びに涙を流す者までいる。
久しぶり見るロザリンデの姿を、ライナスは食い入るように見つめる。遠くからなので表情はわからないが、体調には問題なさそうだと安堵する。
背筋を伸ばし、凛々しくあたりを見据える彼女は神々しい。まさに神の子の呼び名に相応しい。
気に食わないと、ライナスは眉をしかめた。
達観したように、すべてを諦めたように振る舞うロザリンデは彼女らしくない。彼女には生き生きとした表情がよく似合うのに。
仰々しく大神官長が跪くのを見た後、ロザリンデは高らかに告げた。
「哀れな私に神は再び生を授けてくださいました。けれど、これは仮初の命。使命を果たすために一時的に与えられただけに過ぎません」
予想とは違った発言に、ライナスは訝しむ。大神官長のことだから、神を讃えた後、ロザリンデと教会の価値を高めるような言葉を言わせると思っていた。
大神官長はロザリンデに何か伝えようと手を動かしているが、ロザリンデは不自然なほど彼を見ようとはしない。
何かがおかしい。ライナスがふたりの様子を観察している間も、ロザリンデの言葉は続く。
誰もがロザリンデの言葉に聞き入っていた。神と同じ容姿を持ち、神と同じく奇跡の復活を遂げ、神と同じく川を背景に民衆に語りかける彼女の姿はアルクレアの人々の心を打つのだろう。
ふと、ライナスは何かが引っかかった。もう一度、神と同じように振る舞うロザリンデを見やる。
そして、ライナスはロザリンデのしようとしていることを察した。
人の群れを掻き分け、川沿いを走り、広間からできるだけ離れた場所を目指す。位置や流れを考えると、彼女はこちらに流れてくるはずだ。
「ーーどうか皆様、冤罪を着せられたライナス・オブライエンに救いの手を。それだけが、私の願いです」
朗々と響く彼女の言葉の後、人々の悲鳴が聞こえる。ロザリンデが飛び込んだのだろう。ライナスは振り向くことなく、足を進める。
怒号や悲鳴が背後から聞こえる。あの混乱状況なら、ロザリンデの後を追って川に飛び込む者もいないのではないだろうか。そう考えるライナスの目が、流れてくるロザリンデを捉えた。
「――ロザリンデ!」
ライナスは外衣を脱ぎ捨て、川に飛び込んだ。流れは早く、水は冷たい。水を吸って重くなる服が鬱陶しいが、無我夢中で体を動かしてロザリンデの腕を掴む。
「ロザリンデ!」
「……ラ、イナス?」
虚な瞳がライナスに向けられる。微かに目を見開いたロザリンデは微笑む。だがすぐに柔らかな笑みを口元に残して、そのまぶたは閉じられた。
ライナスは動揺を抑えながら、ロザリンデを抱え、岸にたどり着く。
ロザリンデは水を飲んだのか、気を失っていた。だが、息はある。ライナスは安堵した。
しかし、すぐに移動したほうがいいだろうと気を引き締める。住民は皆広場の方に集まっているが、いつ人が来るかわからない。
ライナスは脱ぎ捨てた外衣をロザリンデに着せ、彼女を抱き抱えてその場を後にした。
ロザリンデの顔を隠し、自宅へと急ぐ。その途中、見覚えのある馬車がこちらへ来るのが見えた。
「こっちだ! 乗ってくれ!」
ジョルジュが顔を出す。どうやら、事態を察知して迎えにきてくれたみたいだ。
ライナスは馬車に乗り込んだ。馬車にはジョルジュの他に、シャンタルも乗っていた。
「ロザリンデ様!」
「気を失っているだけで、怪我などはない。安心しろ」
ライナスがロザリンデを座席にそっと横たえると、シャンタルがタオルでロザリンデの顔や髪を拭いていく。
「これは……服も着替えないと風邪を引いてしまいますね。お二人とも、これで目隠ししてください。ご主人様はこちらのタオルでお拭きください」
ライナスとジョルジュはロザリンデの着替えが見えないように、シャンタルに渡された大きな布を広げて掲げる。
用意がよく、テキパキと仕事をこなすシャンタルにライナスが感心していると、隣のジョルジュが話しかけてきた。
「まさか、ロザリンデ自ら飛び込むとはね。我が妹ながら、意外と豪胆なところがある」
「見ていたのか?」
「ああ。広間は大パニックだよ。お前を助けろと叫ぶ声もあった。今頃は信心深い神官たちが牢屋に押し寄せているだろう」
楽しそうに笑いながら、ジョルジュは続ける。
「屋敷には寄らず、このまま隣町に行くつもりだ。お前が牢屋にいないのがバレたら、まず屋敷に来るだろうから」
「ああ。今すぐ王都を出よう。アントナンたちは……」
「皆もう先に行ってるよ。隣町の宿で落ち合うことになっている。シャンタルだけはロザリンデの世話をしてもらおうと思って、残ってもらっていたんだ。彼女、優秀だな。修道服は目立つから着替えが必要だと荷物も用意して待機していたんだよ」
「なるほど。……にしても、行動が早いな。俺たちの元に来るのも、アントナンたちに伝えるのも。お前、あの時広場にいたんだろう?」
「万一のことを考えて、待機していたからね」
「万一のこと? 何か問題でもあったのか?」
ジョルジュは首を振って否定し、苦笑した。
「お前が暴走して、葬儀中にロザリンデを連れて行かないかと危惧していたんだよ」
「……さすがに、俺もそこまで考えなしではない」
「わかっている。普段のお前ならしないけれど……ロザリンデが関わっていることだからな。アントナンも絶対に待機していたほうがいいと言っていたぞ」
ライナスは眉を顰め、閉口する。
ロザリンデまで危険にさらしかねないことなどするはずがないが、そう勘違いされかねないような行動をしてきた覚えがあったからだ。
「終わりましたので、もう手を下ろしてもいいですよ」
タイミング良く、シャンタルの声がかかってほっとした。
簡素な服に身を包んだロザリンデはすやすやと寝息を立てていた。着替えをして寒くなくなったからか、顔色が少しマシになったように思える。
寒くない時期だったから良かったものの、冬なら危険だった。そもそも、あの流れの早い川に飛び込むこと自体危なかった。ライナスが間に合わなかったら、彼女は溺死していただろう。
自らの死を覚悟して、ロザリンデは飛び込んだ。
彼女はバーニスの虐待により、池を、大量の水が溜まった場所を怖がっていた。飛び込む時にどれほど勇気が必要だっただろうか。
囚われたライナスを助けるために、彼女はやり遂げた。
込み上げる感情を、ライナスは拳を握りしめて抑えた。
「お前たちが無事で良かったよ」
ジョルジュの優しい声に、ライナスは静かに頷いた。
半日かけて隣の街の宿にたどり着いた一向をアントナン達が出迎えた。急いでやるべきことができたというジョルジュとは、そこで別れた。
せめてロザリンデと会ってからにしたらどうかと提案したが、あとで会うのだからと断られた。
やるべきことの詳細は聞いていないが、珍しく焦った様子だったので、急用なのだろう。
宿についてもロザリンデは意識を取り戻さず、ベッドで寝かせてシャンタルに世話を頼んだ。
翌朝、ロザリンデが目覚めたと聞いたライナスは彼女の部屋に向かった。
「ライナス……?」
ロザリンデは寝起きだからか、少しぼんやりとしている。
ロザリンデのベッドに駆け寄ったライナスは、彼女が川に飛び込んだあとのことを簡潔に話した。
事態を把握したロザリンデは申し訳無さそうに頭を下げた。
「そうだったんですね……。面倒をかけてしまってすみません。あの急流から私を助け出すのは大変だったでしょう。……ライナス、あなたが無事で良かったです」
「それはこちらの台詞だ。お前があんな無茶をするとは……」
「すみません。あれ以外に方法が思いつかなかったんです」
再度謝るロザリンデに、ライナスは責めたいわけではないと首を振った。
「お前が命懸けで助けてくれたから、俺はこうして生きてる。だから、お前には感謝しているんだ」
余計なことをしたのではなかったと、ほっとした表情を浮かべたロザリンデを見て、ライナスは思う。――彼女を解放してやらなければと。
ロザリンデはかつてライナスを罠に嵌めたことに罪悪感を覚えている。
命を危険に晒した行為を謝ったのは、ライナスに助ける手間をかけさせたからだ。そしてライナスが助けたのは、自分に復讐するためだと信じ込んでいる。
「ロザリンデ……俺は、もうお前に復讐するつもりはない」
「え……?」
「とっくの昔に……少なくとも、お前を屋敷に連れ帰ると決めた時点で、もうその気は失せていた」
バーニス邸で再開した時、殺意を漲らせたライナスにロザリンデが向けたのは、恐怖でも嫌悪でもなかった。庭を散策しながら自由を求めていた時と同じ願う瞳だ。ライナスに復讐を果たして欲しいと、彼女は心から思っていた。
ライナスはすぐに悟った。自分はロザリンデを殺すことはできないと。
ライナスのロザリンデへの強い感情を、彼女は否定しなかった。受け入れてくれた。
好きだったあの澄んだ目で乞われても、その願いを叶えることはできないほど、嬉しかった。だから、彼女を屋敷に連れ帰った。
きっとライナスはロザリンデが受け入れてくれることを、心のどこかでは願っていた。だから、復讐のためだと自分や周囲に言い訳をしながら、彼女と再会する前からドレスブルクへ連れていく準備もしていた。
時間を置いて振り返ってみれば、自分の気持ちなどひどく単純なものだった。
意地を張り素直になれず、ロザリンデを振り回したことを、申し訳なく思う。この数ヶ月、苦しい日々を送らせてしまった。
「俺はお前に贖罪を求めてはいない。これからはお前の望むように生きていってほしい」
ロザリンデは呆けたようにライナスを見上げる。突然のことだから、まだ理解できないのだろう。
けれど、問題ない。時間が経つうちに、彼女はライナスへの罪悪感や贖罪の気持ちから解放されて、自由に生きていくのだろう。
アルクレアでは神の子として認められるのは、赤子の時に大神官長から認定を受けた者のみだ。神の子は信心深いアルクレアに贈られた宝物。他の国に生まれるのは見た目だけ似ている紛い物だと言われている。
だが、神官として数年務めてきたライナスは知っている。不届き者が他国から誘拐して神の子の座に据えようとして国際問題に発展仕掛けたため、そのような決まりになった。
ロザリンデが死亡と公表された以上、彼女は神の子と認定されていない他国の女だ。いくらでも生きていく道はある。
それを手助けしてやりたいが、彼女には支えてくれる兄がいる。
罪悪感を刺激するだけのライナスがいたら、邪魔になるだけ。
彼女から離れて、遠くで幸せを願う。それがライナスができる唯一の贖いだ。




