三の章・大祭御供(たいさいごくう)
夏半ば、祭りの日がやって来た。
かなめは朝から祭りの主役にかり出され、舞に謡いにいそがしい。そのさまを人波にまぎれて見ながら、忠白は少女に見惚れていた。
かなめは今日は目のさめるような藍の着物に、緋色の帯をしめている。初めて逢った日、忠白は帯のことを『赤いリボン』とかん違いしたものだった。異国の王子はそのことをふっと思い出し、己の無知に苦笑する。
熱いあつい夏の祭りは昼すぎて、かなめは小休止のために一度宮へと戻っていった。
「さぁ、これからが祭りの本番だ」
「楽しみねぇ。あんなもよおし、他のお祭りじゃめったに見られないものね」
ざわざわと言い交わすざわめきに、忠白の胸が甘くざわつく。
(きっと『祭りの本番』を見れば、かなめ様の正体が全て分かるんだ)
忠白は無邪気な胸の高鳴りに、白いほおを赤く染めながら待っていた。
再び宮から現れたとき、『竜子様』は綺麗な着物をもうすっかり着かえていた。真っ白な絹の着物に、白い帯。いつもはさらりと垂らした髪を結わえている髪ひもすらも、不吉なほどに澄んだ白。
(何だろう、何だかまるで、死人のつける衣装のようだ)
忠白はどことなし不安になって、ふっとあたりを見渡した。いつもは宮を護っている兵たちが、祭り用のきらびやかな鎧装束に着かえている。その兵たちの手にしている武器すらも、ものものしく美しい銀の刃に変わっている。
恐ろしいほど夏の光にぎらつく武器を手に、兵たちがかなめを押し包むように迫ってゆく。
『大御神様、雷神様、お二方に今年の生贄をお捧げ申す!!』
兵たちが声をそろえて叫び――、兵の一人が、かなめの頭を銀の鈍器で殴りつけた。
「ぎっ……っ!」
濁った悲鳴を上げたかなめを、わっと群がった兵たちが武器でさんざんにどつき回す。
あまりのことに、思考が止まる。目の前の惨事を理解できない忠白の視界で、かなめの体が鮮血に赤く染まってゆく。
朱が舞う、肉が飛ぶ、人々の歓声が地鳴りのように天へと響く。
『かなめ様! 竜子様! 我らのために生贄となり、その身を捧げて我らを助く、美しき生贄姫様、万歳、ばんざい、万々歳!!』
鮮烈な悪夢に身を灼かれる想いをしながら、忠白は異常な祭りの熱気に、声を枯らしてかなめを呼んだ。
「かなめ様! かなめ様!! かなめ様ぁああぁああ!!!」
忠白の声が聞こえたのか、その身を狂気のように殴られ、斬られ、血まみれになった『竜子様』が、忠白の方を見やって微笑した。生き絶えんばかりのかすかな微笑を――銀の刃が、赤く紅く斬り伏せた。
かなめの体が、ぐらりと揺れる。その場にくず折れるかなめの元に、忠白は人垣を押し分けて駆け寄った。
「か、かなめ様!! かなめ、さま……っ?」
かなめの息は、絶えていた。
「あ……ぁあ……あぁああぁあああっっ!!!」
忠白は声をふりしぼり、母を亡くした幼子のように泣き出した。そのさまを人々が心底ゆかいそうに、大口を開けて笑っている。
(やぁね、あの子何も知らずに)
耳に入った女の声を、忠白はそれと認識できなかった。かなめの亡骸が兵たちに抱かれ、今さらのように包帯を巻かれ、宮の奥へと運ばれる。
泣きながら後にしたがう忠白に、兵たちがしきりに何か言いかけた。だが、絶望に身を裂かれる想いの忠白には、それが全て雑音としか思えなかった。やがてかなめは自分の部屋へ運ばれて、上等の布団にその身を横たえられた。
「忠白、お前ここで『竜子様』の番をしていろ」
兵たちはそう言い残し、かなめの部屋を去っていった。残された忠白は、ぼたぼた涙をこぼしながら、かなめの遺体にすがりつく。
どれだけ泣いて泣いたろう。忠白はいつか泣きつかれて、死ぬように眠りこんでいた。さらさら、と懐かしい感触にほおを撫でられ、真っ赤に腫れたまぶたを開ける。
――夢かと思った。
愛しいかなめが、生きている。血のにじんだ包帯を巻かれて、それでも赤い目を潤ませ、こちらをじっと見つめている。
「忠白、目もとが真っ赤だぞ。泣いていたのか?」
「……か、かなめ様……お亡くなりになったのでは……?」
からからに枯れた声で問われて、かなめは何とも淋しげに微笑する。ぐるぐるの包帯に手をかけて、静かな手つきで白い布をはいでゆく。
……布をほどいて現れたのは、傷のひとつもない、美しい少女の体だった。息を呑む忠白のほおに手をかけ、かなめはしおれた花の風情で笑みを重ねる。
「忠白、我は『竜子』だ。我は害されても死なぬ」
泣きそうに微笑んだ少女が……少女の姿の人外の生き物が、甘えるように忠白の首すじを撫ぜてやる。
「この間、おぬしはおぬしの過去をしてくれた。今度は我の話をしよう」
せいいっぱい微笑むかなめの赤い瞳から、たったひとすじ、しずくが落ちた。
祭りの熱気さめやらぬ、狂ったような夏の晩。
生贄に供された『竜子様』は、忠白に向かい打ち明けた。
「忠白、我は人ではない。天からこの街にくだされた、死ぬにも死ねぬ『竜の子』なのじゃ」
鼻をすする忠白に、かなめはゆったり愁いを帯びた微笑を見せる。
「……この街一帯は、天の雷神様が統べておる。この雷神様が、なかなか凄いお方でのぅ。年に一度、処女を生贄として殺さねば、その大いなる雷で街を焼き尽くしてしまうのじゃ」
赤いくちびるからこぼれてくるのは、おとぎ話のような言葉。けれどその話の中身は、他でもないかなめの来歴にかかっている。
「街を守るため、人々は年に一度ずつ、幼い少女を生贄とした。だが人々の胸の内は、いつも後悔で濡れていた。そんな人々の想いを見かねて、大御神が……この世とあの世で一番に偉い神様が、この街に我をくだされたのじゃ」
忠白が赤く腫れた目をこすり、話の続きに耳をすます。淋しげにまたたいた『竜の子』が、また言の葉を紡いでゆく。
「生贄の数が百人を超えた年、我は雷と共に『雷神の宮』にくだされた。大御神は宮の巫女の口を借りて、こう告げた。『この赤子は竜の子じゃ。どれほど害しても死なぬ故、これからはこの赤子を生贄として捧げるが良い』……」
(本当は、幾度死んでも蘇る、と言った方が正しいが)
ため息混じりにつぶやいて、竜の子はそれこそ『死にそうな』微笑を浮かべる。忠白は口を開きかけ、少し迷って口をつぐむ。
何を言っていいのか分からない。
何を聞きたいのかも、分からない。
「……痛くないですか?」
やっと口をついて出たのは、そんなたわいもない、当たり前すぎる問いかけだった。かなめは微笑に微笑を重ね、「痛いいたい」と子供をあやすように応えてみせた。
「それは痛いぞ、当たり前じゃ。けれども、雷神様のなぐさみに、この身ひとつでこの街を護れるものならば……」
「……本心ですか?」
忠白の問いかけに、今度はかなめは応えなかった。黙ってうつむく生贄姫に、忠白は重ねて問いかける。
「あなたはいったい、今までに何度、こうして殺されているんですか……?」
「……来年で、ちょうど千度目になる」
忠白が言葉を失った。
――千度。
ならば目の前の少女の姿の生き物は、今までに九百九十九度、ああやって惨たらしく殺され続けてきたというのか。
「……逃げましょう」
忠白がかなめの手をとって、耳もとで熱くささやいた。かなめが、黙って首をふる。赤い目でひたと忠白を見つめ、潤んだ声でつぶやいた。
「我は竜の子、人ではない。人でない我を育ててくれた、街の者には恩がある」
「………………っ」
忠白が何か言いかけて、泣き出しそうに息を吐く。かなめの大きな瞳から、ぽろぽろと透けるしずくが落ちる。そのしずくに流れるように口づけて、忠白がひたとかなめを見すえる。
少女が声もなく泣きながら、忠白の着物をはだけてゆく。あらわになった胸もとの傷痕に口づけて、つばをつけながら舐めしゃぶる。すがるような口づけの後に顔を離すと、そこの傷痕は嘘のように消えていた。
(――こんな時まで)
かなめ様は人を癒そうとしている、と、忠白はむしろ痛々しい想いを抱く。死ぬほどに献身的な態度を押し潰すように、忠白がかなめの赤いくちびるへ口づけた。
……くちびるとくちびるの触れ合いだけでは足りなくて、その先の行為も足りなくて、求め合っているうちに、ふたりは共に一夜を明かした。
祭りの生贄の鍵となる『処女』という身分を、かなめはこの夜失った。




